18/07/2020:『Green & Gold』

本棚 今 1

和室には日があまり入らないから、この時間でも割と涼しかった。6畳の部屋が二間続いていて、僕は今大きな楢の木のテーブルがある方で横になっている。昔、祖父が買い揃えた百科事典や図鑑が収められた本棚を眺める。変わらずそこにある存在と対峙すると、時の流れを感じるというよりは、本当にそんなものがあるのだろうかという思いに駆られる。

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彼女 昔 1

「だってそうでしょ。」

と、彼女は言った。

僕らはカフェでご飯を食べていた。小洒落た木製のプレートに玄米ご飯と豆腐ハンバーグ、そしてグリーンサラダが付いたランチセット。彼女はハンバーグの代わりにサーモンのグリルを選び、玄米ご飯を半分僕によこした。

「その時に最新だと思ったものは、もう次の年には型落ちで、もう一年も経てば古臭くなるじゃない。例えば、知識や常識なんかもそうよ。これが全てだと思っていたのが、本当にバカみたいな話だって未来の人から言われるの。」

玄米は噛みごたえがあって、なかなか飲み込むことができない。でも、この少し香ばしいような香りが好きだ。

「ベルトコンベアからそういう諸々の詰まった箱が流れて来て、それぞれの年代の人が持ち去る。でも箱の中身を楽しんでいる間にもベルトコンベアは流れ続ける。そしてさぁ箱を戻そうと思っても、もうどんどん隙間なく箱が流れてくるから、戻すことはできない。手に持った箱はずっと手に持ったまま。どんどん流れるベルトコンベアにおいていかれてしまう。ふと流れてくる方向を見ると、同じように箱を持った人たちが無数にいるの。そして流れていく方向、ずっと先の先にも。目の前を箱は流れ続けて、そしてこの箱は誰が取るんだろう、そう思いながら箱を見送って死んでいくのよ。」

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本棚 今 2

僕は本棚を眺める。日が入らない分、この時間でもすでに和室は薄暗くて、電気をつけたほうがいいかと思った。でも、起き上がらないとスイッチの紐は届かない。肘枕の視線の先にはベルトコンベアにおいていかれた知識たちがカビの匂いに包まれたままそこに佇んでいる。

宇宙、星、海、山、空、土、植物、動物、魚、人。

古代、遺跡、文明、儀式、宗教、戦争、科学。

白字のシンプルなタイトルが寒色の背表紙によく映えている。僕は小さい頃、学校が終わって家に帰ると、自分部屋には戻らず、この和室でこれらの本をよく読んでいた。でも、何が書いてあるのか、習ってない漢字や難しい言葉はわからなかったから、写真や絵だけを楽しんでいたと言った方がいいかもしれない。

図鑑の中の海には色々な魚が泳いでいて、古代の地球には大きな恐竜たちが歩いていた。猿から原始人、古代人を経て現代人へとだんだん背筋を伸ばしていくように進化した様子を表すページを見たあと、そのまま洗面台に行って自分の顔を鏡で観察した。何度も絵と見比べて、彼らとの共通点を探した。

ヒゲも生えてなかったし槍も持っていない僕に、古代人から続く血が流れているとは俄かには信じられなかった。

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彼女 昔 2

「具体的に、その箱には何が入っているんだい。」

僕らは食後に運ばれて来たコーヒーを飲みながら、続きを話していた。

「知らないわよ、だって今こうしていることが箱の中を見ていることなんだもの。私たちは箱の中。ベルトコンベアは私たちを無視して流れていく、運んでく。私たちをおいていく。終わり。」

箱に入った僕らは、ベルトコンベアに運ばれる。そして、適当な時代の手によってそこから持ち上げられ、もうその流れに戻ることはない。時代によって選択されて、流れにおいていかれる。

ずっとずっと流れ続けていくのと、適当に取り出されるのと、どちらの方がいいのだろうか。彼女に聞いてみたいけど、彼女はきっと「知らないわよ」と言うだろう。

そのまま店を出た。

夏の太陽が照りつける。小さな路地には他にもカフェがあったり、古着屋があったりして、若いカップルたちは手を繋ぎ、お金持ちは犬を繋いでいた。

暑さは相変わらずだし、こんな都会なのにどうしてと思うほど蝉の声はうるさかった。でも、今、この路地を歩く彼らも、僕らと同じように時代によって勝手に持ち上げられた箱の住民だと思うと、何となく仲間意識みたいなものが感じられた。

そして、長い長いベルトコンベアは僕らのことを無視してずっと流れていく。

僕らはその流れから外れて、この中で命を始めて完結することになった。大きな時の流れのことは1ミリも分からない。僕らが残していくもの、それは今僕らが見ている残されたものと同じように、自分たちの意思とは関係なく、未来が淘汰していく。

郵便配達の原付バイクが2人を追い越して、向こうの交差点を左に曲がる。

彼女は僕の手を取った。

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本棚 今 3

いよいろ暗くなって来た。セミの声が聞こえなくなり、その代わりに小さく夏の虫たちが動き出したようだ。

立ち上がり、蛍光灯の紐を引く。

チカチカと点滅すると、和室全体にゆっくり光が行き渡る。

本棚には、おいていかれた知識たちが変わらず並んでいて、僕の体には古代からの血が流れている。

僕は適当な図鑑を取り、ページをめくった。

箱の片隅で鳴く虫たちの声は、遠く古代から聞こえるようだった。

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今日も等しく夜が来ました。

鏡を見て、これは誰で、どこから来たのかと考える。

Lianne La Havasで『Green & Gold (solo ver.)』。


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