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インターネット登場による大変革と、『坂の上の雲』のあとがき

司馬遼太郎氏の代表作のひとつ、『坂の上の雲』。日露戦争を描いた歴史小説としては、日本でもっとも有名な作品といってもいいでしょう。

まずはその『坂の上の雲』のあとがきから、いくつかの文章を引用させてください。

維新によって日本人ははじめて近代的な「国家」というものをもった。
(中略)
たれもが、「国民」になった。不慣れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した。

社会のどういう階層のどういう家の子でも、ある一定の資格をとるために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも官吏にも軍人にも教師にもなりえた。
(中略)
しかも一定の資格を取得すれば、国家生長の初段階にあっては重要な部分をまかされる。大げさにいえば神話の神々のような力をもたされて国家のある部分をつくりひろげてゆくことができる。

司馬氏は、明治維新の重要なポイントとして「庶民の大変革」に注目したわけです。僕は以前から、この司馬氏の書いた文章は「インターネットの登場」にも当てはまるのではないか…?と思っていました。

(何を言ってるんだこの人はと思うかもしませんが、どうかしばしお付き合いください)


この文章を現代風に改変してみると

インターネットの登場は「世の中のすべてを変えた」と言っても過言ではないほどの大変革であることは間違いないでしょう。

現代では、パソコンやスマホさえあれば、誰もがインターネットにアクセスでき、自分の書いたもの・つくったものを日本中、世界中に向けて発信することができます。

これを司馬氏のあとがきになぞらえてみると、以下のようなことが言えるのではないでしょうか。

インターネットの登場によって、たれもが、「発信者」になった。不慣れながら「発信者」になった日本人たちは、日本史上・人類史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した。

社会のどういう階層のどういう家の子でも、パソコンかスマホさえあれば、小説家にも評論家にもコメディアンにも映画監督にもなりえた。
(中略)
しかも一定の人気を獲得すれば、その業界のインフルエンサーとして重要な部分をまかされる。大げさにいえば神話の神々のような力をもたされて業界のある部分をつくりひろげてゆくことができる。

インターネットの登場が我々庶民にもたらした大変革は、まさしく「維新」そのものだと思っています。

インターネット以前、「情報の発信」は社会のごく一部の人間だけに与えられた特権でした。社会に向けて情報発信できたのは、新聞やテレビなどのマスコミ。あるいは有名なミュージシャンや映画監督など、その道で成功を収めた人のみ。ほとんどの人は「情報の受け手」であり、個人の力では、ごく限られた範囲にしか情報を届けられませんでした。

しかし今や、パソコンかスマホさえ持っていれば、すべての人が発信者です。従来の情報発信者ですら実現することが難しかった「全世界に向けての発信」も簡単に行うことができます。

これは、司馬氏の言葉でいう「大げさにいえば神話の神々のような力をもたされて」いる状態ではないかと思っています。


力がもたらすもの

神々のような力が多くの人々に与えられたことは、もちろん良い側面と悪い側面があるでしょう。

例えば、インターネット登場以前には人知れず消え去っていくしかなかった星の数ほどのクリエイティブが多くの人の目に触れることになったのは、インターネットがもたらした大きな功績といえるでしょう。

その他にも、インターネットの登場によって「便利になったこと」「改善されたこと」は、わざわざ僕が紹介するまでもないかと思います。

その一方で、SNSによる誹謗中傷やデマの拡散などは、インターネットがもたらした負の側面ではないでしょうか。

世の中のすべての「力」にいえることかもしれませんが、「力」は使い方によってまったく異なる結果をもたらします。ノーベル賞の生みの親、アルフレッド・ノーベルは、自身が発明したダイナマイトが戦争に使われることになり苦悩したと言われていますが、まさしくそれです。

「いつでも・どこでも・誰でも発信できる」という力は、人々を幸せにするかもしれないし、殺すかもしれない。今の世の中は、すべての人がその力を持っている状態だと思います。


僕は冒頭で、司馬遼太郎氏のあとがきを改変した文章を書きましたが、そこに大切なことを付け加えるのを忘れていたかもしれません。

社会のどういう階層のどういう家の子でも、パソコンかスマホさえあれば、小説家にも評論家にもコメディアンにも映画監督にも、そして犯罪者にも殺人鬼にもなりえた。


インターネットの登場によって、誰もが「発信者」になりました。不慣れながら「発信者」になった人類(もちろん僕も含め)は、人類史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した…のですが、そろそろ維新の昂揚感から抜け出す時代なのかもしれません。

「力の正しい使い方」とは、どうあるべきか。

それが維新後のテーマなのではないかと思っています。

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