いつも会ってる人たち、たまに会う人たち、しばらく会ってないけどSNSだけは追ってくれてる人たち、この記事で僕のことを思い出してくれた人たちへ。 皆さんいかがお過ごしでしょうか。 前にnoteの定期更新をすると言って、するする詐欺をしている久平です(苦笑) 飲食の備忘録的なアメブロは気負いせず書けるので割と更新頻度高めなんですが、noteだとどうしてもちゃんと書かねば!という意識が強く、、 しかし今回は、40歳目前ってことで、色々と思うこともあり、節目感もあるのでしっか
一年は経ってないと思うけど、noteを再開することにしました。 経緯は色々ありつつ、ひとことで言うならその時の感覚を改めて書き残しておきたいという感じ。 タイトルに書いたのは、不定期にやってくるネガ思考に対する考え方みたいなもの。 というのも、2月の中旬から後半にかけて結構やられてました(苦笑)←一部の人からは「またかよ!」とツッコミ入りそうw 単純に風邪をひいて、熱はすぐ下がったんだけど喉の痛みと咳がひどくて声も出ないし、咳喘息の症状もあって、オンライン会議および
インスタに理由も含めて少し書いたけど、昨年くらいから登山欲がすごくて、まずは初心者らしく高尾山へ。 あっという間に朝8時過ぎには登頂したけど、山登りをすることでいくつか収穫があったので共有してみる。 「今この瞬間」を感じることができる当たり前だろ!と突っ込まれるかもしれないけれど、メンタル弱かったり個人事業としての不安と闘っていたりすると、意外と現在に焦点を合わせるのが難しくなる時がある。 例えば収入の不安定さから現状ありもしない不安に襲われて未来を怖がったり、逆に過去
一つ前の投稿でもアダルトチルドレン的な抑圧思考について書いたけれど、内省する時間が長いので更に自分のことを深掘りしてみるとまだまだ気づきがあった。 それは「7つの習慣」に由来する。 初めて読んでから10年くらい何度も何度も読んでいるのに、ものすごく衝撃的に新しい発見をしてしまった自分がいる。 というのも、すでにご存知の方は多いけれど、7つの習慣は大きく分けると2つに分類することができる。 第一から第三までは自分自身の成功に向けた習慣の考え方。 第四から第七までは他者と
ここ一ヶ月ほど仕事が落ち着いているのもあって、内省する時間をたくさん取っている。 考えたいことはたくさんあるけれど、その中でも特に小さい頃を振り返ることが多い。 というのも、この風の時代が加速していく中で、やはり自分自身の軸というか本当に根幹にあるものはなんなのか、自分の今世の使命はなんなのか、という問いに大体帰結するからだ。 宇宙レベルで言えばどうでもいいことかもしれないが、多くの人が本当の幸せを感じられないまま人生を終えてしまうと仮定した場合、そこから抜け出す術は自
ここ最近、もっぱらの関心事は『セルフ・コンパッション』だ。 セルフ・コンパッションとは日本語でいうところの自分自身への思いやりのこと。 マインドフルネスの延長でわりとよく聞くようになった言葉な気もするが、僕にとって実践はとても困難を極めている。 というのも、ホテルで10年間接客をやっていたこともあり、自分は黒子で何よりもゲストのためにサービスをするというのが当たり前だったからだ。 サービスマンとしての技術を磨き、ソムリエとして知識を蓄え、管理職として店の経営を任され、
前回の投稿でも少し触れたが、緊急事態宣言解除後から僕は導かれるように川や滝など水源のある場所を巡り始めた。 SNSで繋がる多くの友人たちはこう思ったようだ。 「旅人に転向したの?」 「滝行でもするの?」 「なにか忘れたいことでもあるの?」 「自分探しの旅?」 「羨ましいけど暇なの?」 どれも間違っていない気がするし、むしろどれも正解な気もする。 自分をまず徹底的に癒すためのアンパンマン理論実践に向けたトライアル。 そして今まで感覚的に捉えていた水の原点の模索と、上善
僕は『水のように生き、水の力で人を癒す』という命題のもと日々を生きようと切磋琢磨している。 結局それってどういう意味なのか?とよく聞かれるので、ここに綴ってみたい。 アンパンマン理論その前に、ちょっと大前提となる話をしたい。 前回の投稿で、小学校時代の引越しが与える影響について、カウンセラーから指摘を受けたことを書いた。 それは、子どもの頃に自分の感情を押さえ込む癖を付けてしまっていて、要するにこれはインナーチャイルドを否定することであり、自分自身を否定することである
いつからだろう。 ありのままの自分をさらけ出して接することが苦手で、機械的かつ表面的なコミュニケーションをするようになったのは。 思い返してみるとそれは幼少期、小学校時代に遡る。 父の転勤により小学校3年生と5年生の時に2回引越しをし、学校を3回変わっている。 後々考えてみると、新しい場所でもすぐ対応できるコミュニケーション能力が培われたという側面もあるが、数年前にどうしても自分自身と向き合わなくてはいけない状態の時にとあるカウンセリングを受け、一番の原因はそれだと言