抑圧された感情を噛み締める
ここ一ヶ月ほど仕事が落ち着いているのもあって、内省する時間をたくさん取っている。
考えたいことはたくさんあるけれど、その中でも特に小さい頃を振り返ることが多い。
というのも、この風の時代が加速していく中で、やはり自分自身の軸というか本当に根幹にあるものはなんなのか、自分の今世の使命はなんなのか、という問いに大体帰結するからだ。
宇宙レベルで言えばどうでもいいことかもしれないが、多くの人が本当の幸せを感じられないまま人生を終えてしまうと仮定した場合、そこから抜け出す術は自分の原点に改めて触れて、受け入れながら今に集中して生きるだけだ。
例えば僕の場合、内省する中で自分にはアダルトチルドレンに似た自分自身を抑圧する癖がかなり強いと改めて認識させられる。
その根本となった要因を深掘りしてみる。
以前noteでも書いた幼少期の引っ越しについては言うまでもないが、さらに考えを巡らせてみると、高校まで門限が厳しかったり、高学年に入って遊びの代わりに塾へ通っていたり、ゲームを1日30分しかできなかったり。
その当時は全然意識していなかったが、意外と好きなことを自由にやらず、勝手に発散できない自分に仕立て上げてたのかもしれない。
どれも普通の家庭なら一般的なことじゃん!と思われるかもしれないけれど、それならばどの家庭もそれなりに抑圧がある環境の中に生きているということだ。
いい子でいること。
僕自身、反抗期がほどんどなかったのも、すでに反発するという感覚すら失っていたのかもしれない。
自分自身を制限するのが当たり前になるというのはすごく恐ろしい。。
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それにしても今日はちょうど面白い引き寄せがあったのでシェアしたい。
もうすぐ始めて2年になる週2日のオンライン英会話での話。
日常英会話とトピックカンバセーションの2種のうち、後者の今日の話題が「Childhood Memories」だった。
まさにその頃を思い出すようなトピックで思わず笑ってしまった。
先生からの質問の中で「幼少期に体験して今の自分に関係していることはなんですか?」というフレーズにドキッとした。
今まさに自分が掘り下げようとしているところだ。
こういうのって引き寄せるんだなぁと思いながら、ゆっくりその時代の記憶をたどり、噛み締める。
世間的にはよく7〜8歳くらいの体験がその後の自分を大きく左右すると言われていたりするけれど、自分を制限することで良かったことも苦労したことも全部今の自分を形作っているわけで、どちらも否定せず、ありのままでいることが大事だよな。
当時の原体験をベースに、自分にしかできないことに全力投球すること。
そうやって一歩ずつゆっくり歩みを進めていこう。
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