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性虐的飼育

この先には、私の愛する人がいるはずだ。いつものように私を待ってくれている。待ち人は男の人と言うよりは、まだ少年と呼ぶ方が相応しい。私はとにかく歩いた。何も考えずに、ただ、森の奥へ奥へと。甘い恐怖と戦いながら歩いていた。
「璃子(りこ)、こっちだ、分かるか? 璃子! 」
桜介の声がした。桜介の声の方向に向かって、私は更に歩き続けた。昼間とはいえ、この森の中は暗い、木がバサバサと生い茂り真っ暗だ。
この森は私たちが住んでいる館とお父さまが所有している裏山との境目にある。子どもの頃から歩き慣れているはずなのに何年たっても一向に慣れない。この森の澱んだ重い空気、奥深さ、漂う不気味さ。じめじめしていて、名前の分からないきのこが沢山生えている。
「寒い」
この森は夏でも寒く感じる程の静けさに満ちている。加え私は病的な方向音痴だ。この方向音痴が要らない不安となっている。足を一歩前に踏み出すのがとても怖い。歩き慣れているはずなのに、やっぱり怖い。私はとても恐がりで慎重だ。特に夜と闇が何よりも怖く感じる性質だった。
ふと思った。そう言えば、この家の娘に産まれた私でも、よく知らないことがまだまだある。
「お母さまは、この森にいったい何人埋めたのだろう」
お母さまはいつも私に言う。
「いいこと? この敷地内は自由に歩いてもいいわ。ただし、一歩も敷地の外には出ないように、お母さまの言っていることが分かるわね? 」
自分が育てられているのではなく、趣味に使う大道具として存在していること。もっと正確に言うと、お母さまの性の玩具として飼われていること。
このことに気が付いたのは私が娘になってからだ。言い方を変えると十二歳の春にめでたく初潮を迎えて女の子から女の気分になってからだ。
「もう、四年」
私はお母さまを慕い、同時に恐れる気持ちも持っていた。
どちらの感情も私の真実だ。お母さまのあの美しいアーモンドの形に似た瞳が怖い程綺麗だと感じるのは一人娘の私だけだろうか。
「桜介に触れたい」
この森は屋敷の敷地内にある。家の裏山だ。
桜介と会っているところを見つかっても、敷地ないなら咎められることはないと思うのは、まだ、十代の子どもの浅知恵だろうか? 私は甘いのかも知れない。
ご機嫌がいいときは笑ってくれるかも知れない。でも、機嫌が悪いときにみつかったら。そのときは、殺されてこの森に埋められるか、マネキンのように棄てられる。
「璃子ちゃんが物わかりのいい子で助かるわ。お母さまとのこの約束を守ることが出来なかったら、お母さまは、貴女を縄で縛り上げるだけでは足りなくなる。お母さまのこの言葉の意味が、賢いあなたには分かるわね」
「もちろんです。お母さま」
 私は返事をした。お母さまの言葉に逆らう気など毛頭ない。逆らえば私を待ち受けているのは本当の意味の監禁。主人公のお母さまが死ぬまでの永い地獄。狭い小部屋での息苦しい生活。
今も世間から隔離されているのに。飼育されているのに。守りたいものを全部搾取されているのに。
生まれてからずっと。私と桜介はお母さまに性玩具として飼われている。
「私はお母さまの言いつけを守ります」
「それでいいのよ。璃子ちゃんはいい子ね、お母さまの可愛い娘」
「ありがとうございます、お母さま」
「可愛い可愛い、璃子ちゃん、お母さまの大切な娘」
お母さまはそう言って私の痩せた身体を抱きしめた。お母さまからはいつも、薔薇の匂いがした。
「薔薇の匂いがしますね。いつもとは少し違う」
「新しく発売された薔薇の香りのボディークリームを見つけたから使っているのよ」
お母さまはとにかく薔薇に関するものが大好きな人だった。レターセット一つ選ぶのも薔薇のイラストの入った品物を選ぶ。お母さまはまるで薔薇のように華やかな人だと思う。
「お母さま、後で見せて下さいね」
「気にいったなら、璃子にも、一つあげるわね」
お母さまが放つ薔薇の甘い匂いに娘の私までが甘くどうしようもなく絡め取られて行く。
「薔薇を育てるのは難しい」
 良く聞く話だが、お母さまは毎年、庭に見事な薔薇を咲かせていた。家事はお手伝いさんのトヨ子さんに任せて、一日の大半、土いじりに没頭している。
白くて長い指、年齢と似合わない綺麗な手で薔薇の花を咲かせている。
 根っから土いじりが好きな性質なのだろう。薔薇の他に朝顔も毎年育てている。キュウリやなすびやプチトマトなど簡単に育つ野菜も作っている。植物の世話をしているお母さまはとても楽しそうだ。
「璃子。お母さまはね、貴女のことが大好きなのよ。だからこそこうして心配をしているの」
「お母さま、ありがとう」
 お母さまは、寝て起きて食べて、排泄している。夢中で土いじりをし、その他の時間を全て使って、自分の異常とも言える性欲を満たしている人だった。
お母さまはもうすぐ、四十二歳になる。中身は、今も無邪気で残忍で自分だけは汚れない、爛れたお姫さまだ。その証拠にお母さまの寝顔はとても、あどけなくて可愛らしい。
「いいこ。貴女はとっても、いいこね、賢い、お母さまの璃子ちゃん」
「お母さま。私は賢い子どもではありません」
「璃子、それは違うわ。分かって? あなたは、賢しい少女。お母さまの宝物なのよ」
 私はこの美しいお母さまが怖い。嫌いな訳ではない。お母さまのことは好きだと思う。
逃げたいと思うことと、嫌いと言う感情は違う。嘘ではない。本当にお母さまのことは大好き、だって、とても愛してくれるから。
「分かっています、お母さま」
 私は宝物と言うよりも、お母様の好む玩具が沢山入った大きなおもちゃ箱だと思う。
「何もかもが可愛い。あなたはお母様の大切な娘よ」
お母さまの愛。その愛が怖い愛だと言うことに何年も前から気が付いていた。お母さまの愛は痛い。それこそ、薔薇の枝のように棘だらけだ。お母さまのことが好きだからこそ余計に怖のかも知れない。そう思うのは、呪われているからだと思う。私を産んでくれたお母さまに。
お母さまは毎朝、私の髪をゆったりとすいてくれながら言う。朝の台詞は毎朝、決っている。私を洗脳するかのような、お母さまの言葉。お母さまはごくごくたまに、違う話もする。
「本当はね、貴女の名前を璃子ではなく薔薇ちゃんか野薔薇ちゃんと付けたかったのよ」
 その話を聞いたとき、思わずぎょっとしてしまった。私の名前が薔薇ちゃんか野薔薇ちゃん? この話を最初に聞いたときは、本当に驚いた。腰が抜けるかと思ったくらいだ。
「でも、お父さまに大反対されて璃子と付けたの。璃子も可愛い名前でしょう? でも、やっぱり、薔薇ちゃんも野薔薇ちゃんも諦められなくてね。次に女の子が生まれたら、絶対に、薔薇ちゃんか野薔薇ちゃんにしようと思っていたけどこの家の子どもは、結局、璃子ちゃん一人だけだった」
 私は命名を止めてくれたお父さまに心から感謝をした。地味な奥二重で和風の顔の私には、薔薇ちゃんや野薔薇ちゃんのような華やかな名前は重いと思ったからだ。
いつもこの家の子どもは私一人だとお母さまは言う。
「桜介もいます」
そう、言いかけて私は慌てて口をつぐんだ。つい、忘れてしまいそうになる。早くにお父さまの愛人だった母親を亡くし、身内がいなくなってしまった桜介は表向きは、私の遊び相手として引き取られたことになっている。
でも、本当はお父さまが故郷の幼馴染みに産ませた子どもであることを。そして、お母さまが桜介を殺したい程憎んでいること。一方で狂ったように、桜介の命まで愛していることも。
桜介がやって来たとき、私は十一歳になったばかり、桜介はまだ十歳だった。
「お母さまの愛は起用で不器用な愛なのですね」
つい、お母さまに言ったことがある。
「璃子の言う通りかもね」
お母さまはバイセクシャルだ。私が、この言葉を覚えたのは昨年、八ヶ月ほど前だ。肉体的には男性の身体を受け入れることが出来る。その証拠に私と言う子どもも、一人産んでいる。
男性が嫌いではないと思う。お母さまは今でもお父さまを愛していることが分かるし、桜介のことも歪んだ形で愛している。お母さまと桜介の間には身体の関係まである。
バイセクシャルのお母さまは、最近はお父さまよりも、お気に入りのお手伝いさんの奈津子ちゃんよりも、深く私と桜介の二人を愛している。その愛はとても、強い。
ねっとりとした執着と薔薇の香りを纏った愛情だ。
「璃子ちゃんも年頃ね。急にキレイになった」
「自分では分かりません」
私はお母さまが桜介を憎むと同時に、狂ったようにその精神も肉体も激しく愛していることも分かっていた。それも、ずっと前から。知ってはいたけど、私もお母さまの後を追うような形で桜介を愛してしまった。
異母弟なのに。
私と桜介のことを知ったらお母さまは気が触れてしまうかも知れない。考えただけで恐ろしい。まさに、開こうとしている薔薇の花のようなお母さまの激しい愛がとても脆いことも知っていた。
でも、
「お母さまは、案外、平然としているかも知れない」
あれとれと考えている間にやっと、私は一番大きな木のそばに辿り着いた。
「桜介? 」
私は、大きな木に向かって桜介を呼んだ。
「桜介、そこにいるの? 」
「璃子!  やっと来た。誰にもみつからなかったか? 」
 桜介が大きな木の影から出てきた。
「誰にもみつかってないわ。心配掛けてごめんなさい」
「璃子、無事で良かった」
 最近、急に逞しくなった桜介にきつく抱きしめられた。
「ほっとした、華子さまに見つかるかも知れないと思ったら急に怖くなって、本当に、ほっとした」
「ごめんなさい」
 桜介が大袈裟な訳ではない。愛おしい可愛い男、私の異母弟。
「お母さまに見つかったら,待っているのは死」
 可能性はある。私たち二人が住んでいる屋敷の中では、人の命には価値や意味がない。
「謝らなくてもいいから。姉さん」
 桜介は力を込めて私を抱きしめた。私は、姉さんと言われて少し苛立った。確かに私は半分血の繋がった桜介の異母姉だ。
「姉さんって言いながら私のことを抱かないでよ! 」
この家の暮らしは常に死がすぐそばにあった。簡単に手が届く、愛と性と生と死。死は身近な存在で庭のそこら辺にコロコロと転がっていた。
「桜介、苦しい」
「嫌だ、このまま、璃子のことを抱きしめさせてくれ」
桜介は、構わず私を抱きしめている。切ない。
こんなことは、してはいけないのに。私たち二人は決して抱き合ってはいけない禁断の男と女だ。自分に何が出来るかを考えながら、私たちは幼い愛を時々確かめ合っていた。
「駄目なものは駄目なの。分かろうよ、桜介」
 そう、言おうとしたら桜介は私に口付けをした。だから、駄目だと言おうとしたのに! 私は思わず桜介のことを振り払った。
「このことを忘れては絶対にだめ。私たちは二人ともお父さまの子どもなんだから」
「でも、好きだから。大好きだから触れたい」
「分かって、これ以上は」
私が言うと、桜介も絞り出すような声で、
「了解。これ以上は、絶対に踏み込まない」
きっぱりと言った。
「約束する。璃子が困るようなことはしない」
「桜介と私。愛しあうことは永遠に無理なのよ? 」
 言ってしまったら急に寂しくて悲しくなった。
「分かっている」
二人して、何かに呪われているような気がした。
「でも。それって、ちょっとだけさみしいな」
 私は桜介の手に触れて言った。甘えたいと言う気持ちあった。時々、二人とも同じお父さまの子どもだと言うことを忘れそうになってしまう。
「どっちだよ」
桜介が笑って言った。まだ、こんな年なのに、目の前にある初恋を掴めない。相手の瞳を見つめてはいけない。相手を見る行為は罪に直結する。私と桜介の道は険しいのに簡単に手が届いてしまう道だ。
「この、初恋も禁じられた運命なのかな」
まるで、スマートフォンが一台あれば手が届く、安くて汚れた不倫のようだ。一枚の扉を閉めるとそこからは、本物の地獄。部屋に待っている安っぽい天国。ドアが完全に閉まる音を聞いて服を脱げば地獄が始まる、手軽で便利な不倫の恋に似ている。
「そんな、愛じゃない」
切なくなってしまう。桜介はお父さまの息子、私の一歳年下の、異母弟。
「私も好き」
私も桜介が好きだった。
半分血が繋がっている男。愛おしくて、可愛い弟という名前の目の前の男。お母さまが羨ましい。お母さまと桜介の間には血の繋がりがない。
「桜介。私も同じよ。私も愛している。私にはあなただけ」
 この、屋敷の中で信じられるのは桜介だけ。後は、たまあに帰ってくる、のんきなお父さまだけ。お母さまは私を物として扱う。私だけではない、桜介のことも、物として扱う。
お父さまは違うけど、お父さまは月に一度しか帰らない。私たちは広い屋敷の中でお互い二人だけだった。桜介は十一ヶ月違いの私の異母弟。
いつの間にかお互いの存在を優しい気持ちで思いやるようになっていた。
「桜介、この傷って? 」
 私は桜介の腕に新しい傷があるのを見つけた。
「ねえ、これはお母さまがやったんでしょう? それも最近の傷」
「昨日。華子さまが、急に俺の血が舐めたいと言って。ごめん、璃子」
「桜介、謝らないで。お母さまが、ああ、桜介、ごめんなさい」
 今度は自分から桜介のことを抱きしめた。
「この傷はカッターナイフ? 」
 私が聞いても返事がなかった。
「璃子。もう、戻る時間だね。最後に、もう一度、キスしてもいい? 」
 桜介の言葉に私はうなずいた。
「待って。私からさせて」
 私から桜介の額と傷に軽く一度ずつ、キスをした。その時、私は下半身に、例えようもない気持ち悪い感覚を感じた。予兆のような痛み。
「あ」
 また、あの儀式が私を待っている。あの屈辱に似た感覚から逃げられない。
「あって、どうした? 璃子」
「血。今、ドロリって出ちゃった。多分、生理だと思う」
「ははは。律儀にくるものなんだな、女の子の生理って」
 そう言って桜介は笑った。
「人の気も知らないで、笑わないでよ」桜介に言った。
「こればっかりは仕方ないわよ。だって、私は女だもの」
「ごめん、もう、笑ったりしない」
 私は女。桜介は男。何も変わらない事実だ。私と桜介は同時に腕時計を見た。そして、時間差で敷地内にある森をでて、裏の古い木の扉からそれぞれの部屋に帰った。桜介は地下室。私は二階の自室へと。大丈夫大丈夫、誰にも見つかってはいない。
「じゃあ、また。二週間後」
「分かったわ」
 そう言って別れた。
 
 
 

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