脳腫瘍かもしれないハムスター
最近、頻繁にライティングのお仕事をさせていただいているおかげで毎日、頭をフル回転させております猫目です。みなさま。こんばんは。
やはり頭を使うのは至福ですね。脳の報酬ホルモンの名で知られているドーパミンが放出され、やる気や集中力、気分が絶頂によいです。
とはいえ
世の中には考えてもどうにもならないこと、というものも存在します。
たとえば、病気。
いくら考えたところで私たちに出来ることは限られている。寝る間を惜しんで熟考したからといい、次の日に病気が治っていた、なんてことはまずない。残酷ですが、これが事実です。
しかし
"今、出来ること"を考えることはできます。そして、それは考えなければやすやす見逃してしまう物事も多い。
考えることで得られるメリットは可能性の限り存在します。反対に、考えないことで生まれるデメリットもその数分存在するわけです。
たとえば、後悔。
あの時、ああしていればばよかった。
あの時、もっとこうしておけばよかった。
などといったものの中には考えつくせば防げるものも含まれています。よく「思いついたことはすべてやる」といいますが、それも然り。
思いついたということはつまり、考えていた、ということです。考えていなければ思考は頭に定着しません。定着していなければ発想も浮かびません。どこで考えていたかは別として(表面上でないにしろ)どこかしらでは考えていたはずです。
「そういえば」
という言葉が発せられるのは「そういえば」に思い至った根拠やら理由やらが根底にあったからだと思うわけですね。さて。
きょうは脳腫瘍かもしれないと診断を受けたハムスターのお話です。
ハムスターと暮らしたことがある方、これからハムスターをお迎えしようと考えている方、今現在自宅にハムスターがいるという方。知っておいて損はない内容になっていると思いますので、よろしければ最後までお付きあいください。
とつぜんですが
あなたはゴールデンハムスター派ですか?
それとも、ジャンガリアンハムスター派ですか?
この問いにたいして「そんな違い、わからないよ」と答えるひとはけっこう多いです。そうですね。ゴールデンとジャンガリアンの差異をひと言で述べるとしたらサイズでしょうか。
ほかにも生息地、食性、肉球の有無など身体面、性格やその特徴も異なっておりますが・・・
日本で飼育されているハムには、ほかにも、キャンベルハムスターやロボロフスキーハムスターという種類のハムがいます。
「どちらが好きか」と訊かれてあるひとは「どちらもネズミだ」といいます。そしてまたあるひとは「家族のなかでゆいいつ自分の話を聞いてくれる相棒」といいます。その差はいったいなんなのでしょうか。
それは関わりをもった時間に比例しているのではないか、と猫目は思います。おそらく、ネズミと答えたひとはハムスターと関わりを持ったことがない、もしくは極端に少ないのだと思います。
これは小説でも同じですね。
はじめは「なんだコイツ」と到底理解できなかったような主人公にいつしか感情移入してしまっていた、なんていうのは「関与の度合い」と「時間の経過」が深く関係しているように思います。
とりわけ
ひとは自分がかかわった時間に価値を見出す生きものです。
そんなわけで猫目はこの子に最大の価値と、それから愛情を抱いています。
今日の主人公、ジャンガリアンハムスターの月実です。
ツキちゃん(月見)をお迎えしたのはかれこれ半年前。その頃すでに彼女は0・5歳で人間に換算すると28歳。
そして1年が経った今。
ツキちゃんは36歳になりました。早いですよね。1年で36歳だなんてちょっと信じられません。
ハムスターはとくに短命な動物で知られています。かれらにとっての1年は私たちにとっての10日間です。
つまり
猫目が10日間、うんうん唸りながら物語のプロットをひねりだしていたそのあいだにツキちゃんは1歳を迎えていたわけです。
いったい全体1本の物語が完成するころにツキちゃんはいくつでいるのでしょうか。ハムスターの平均寿命は2年。そう考えるとあまりのんびりもしていられません。
まったく
かれらには時間の重み、有限であることをあらためて気づかされます。
生まれてから1年と2か月が過ぎたツキちゃんに異変がおとずれたのは、8月21日。夜のことでした。
なんていうのか頭とカラダが傾いてしまっていたのですね。「傾斜」というらしいです。いつもどおりご飯を用意していた猫目は、ほんと、心臓を鷲づかみされた気分でした。
やばい!
しめ切りに間にあわないかもしれない、という時分と比べものにならないくらい手に汗をかいてゲージのなかでバッタンバッタン倒れては起きあがっているちいさなツキちゃんをじっと見おろしていました。
ペットショップにいた頃。
ゲージにまわし車がセッティングされていなかったツキちゃんは、猫目が用意したそのお部屋で「なんじゃこれは!」といわんばかりに昼夜問わず(本来ハムスターは夜行性です)カラカラ、カラカラ、けっこうな距離を走っていました(野生のハムスターは1日に平均5~20キロ走ります)。
それはそれは楽しいんだか、眠たいんだか、なんだかよくわからないけれどがむしゃらに走っていました。
そんなツキちゃんがまわし車にのぼれない・・・
頭がななめ30度くらいに傾いてしまっているので当然、感覚は狂ってしまっているはずです。
これ、危ないな。
そう思った猫目はとっさにまわし車を撤去。まわし車から転倒したら脳への刺激がよけいに増強されてしまうのではないかと心配しての判断でした。
しかし
部屋からまわし車が無くなったツキちゃんは大混乱に陥ります。
「え、え、なんで? なんで走るやつ無くなったの?」
といわんばかりにまわし車が置かれていた場所を中心に、部屋中を這いずりまわりまわっていました。それを見ていた猫目の目からはすでに大量の粒があふれ、視界はぼやけるいっぽうです。
「あれ、なんで水飲めないんだっけ?」
陶器でつくられた水入れにうまく顔を近づけられないツキちゃんは、左へ左へ、同じ方向へぐるぐる回りはじめます。
殺人鬼の目!
と冗談めかしていわれていたアーモンド型(半目)のその瞳は片方だけがふくらみ、なにかの弾みでポロンとこぼれてしまいそうでした。
部屋の中をぐるぐる這いずってはコテンと転げる。それの繰り返しです。
これ、いつまで続くのだろう?
こうして朝までぐるぐるしていたら、それこそ、疲れて死んでしまうのではないかと本気で心配した猫目はいったんまわし車を部屋へ戻します。
すると、ツキちゃんのぐるぐるは停止。安心したかのようにまわし車のそばで眠りにつきました。
翌日、車の助手席にちいさな透明のケースをしっかり固定し、家を出発。仕事を遅刻して午前中に動物病院へ(理解のある会社でほんとうによかった)駆けこみました。
ケースのなかに居るぐるぐるツキちゃんを横目に診察の順番を待ちます。
ーー・ーーーーー・ーー・ー・ーーーーーーーー・ー
けっこう長めの診察(15分くらい)のあと、便検査、レントゲンとその病院で出来る限りの検査を終えて獣医さんはいいました。
「脳に異常があると思うんですね」
それは……猫目は言葉を呑みました。知っていたんです(調べれば調べれるほど、ツキちゃんの症状は脳の異常だと断定されていきましたので)。傾斜の原因はいろんなケースが考えられる。
首周辺の骨折や神経回路の問題そして、脳の異常。
「もっと詳しく、ええ、たとえばMRIとかで検査しないとわからないんですけど」
先生は言葉を切ります。
「これまでの例からして脳腫瘍の可能性もあると思うんですよね」
脳炎……でもむずかしいのに、腫瘍ですか。猫目は先生のうしろの壁に描かれたまっしろい雲を見つめて頷きます。なんてきれいな形の雲……つくりものめいているな……なんて思いながら。
「ただ人間とちがって動物には負担がかかるのと、費用も馬鹿にならない。それにツキちゃんの場合、寿命があるからね」
先生がツキちゃんの名前を呼んだ。その瞬間、猫目の視界からまっしろい雲が消えました。ああ、そうだよね。今、ツキちゃんの話をしているんだった。ほかのだれかじゃなくって。ななめ下。ケースのなかのツキちゃんはレントゲンやら検査やらで混乱状態。
なんで?
最近、あれだけペレットがっついていたのに?
へえ。そっか。私たちの4時間がツキちゃんの1日なんだ。だから進行も早くって私たちの「今日」と「明日」のあいだに彼女は何度も「毎日」をくり返しているんだ。へえ。ついに先生の声そのものが遠のいていきます。
なんだ、これ。
声が遠のいていくってこれまでさんざん小説に書いてきたけど、ようやく今解かった気がする。本当に声に実態がともなっていない。だれがしゃべっているのか、そもそも、しゃべっているのか、よくわからなくなった猫目はとにかくケースとそのなかで動くぐるぐるツキちゃんを抱いて診察室をあとにしました。
そうして
帰宅したその日のうちから猫目はあるものを作りはじめました。ペーストフードです。先生のお話によるとツキちゃんみたいな小動物は1日でもご飯を食べなくなると危険だという。
危険、は避けたい。
そういうことで猫目はAmazonですり鉢を買って、ひまわりの種などナッツ類、主食クッキー、乳酸菌入りチーズなどをすりつぶしてペースト状にしました。
「人間だって首が傾いたら食欲、失せますからね」
との先生の言葉に猫目はとにかく種をつぶした。ひまわり、かぼちゃ、ピーナッツ、クルミ、アーモンド、いちご。
もともと小動物専用のフードや栄養剤をあまり食べない選り好みのはげしいツキちゃんだ。食べてくれる保証はどこにもない。
だけど
今考えられる、やれるべきことはやろうと思い、ペーストをひとまず指先へからめてツキちゃんの口もとへ・・・
たーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
食べた!
そうなんです。なんとツキちゃん。しっかり食べてくれたんです。しかも、それからというものお皿に盛ったペーストも完食。ペロペロ、残さず食べてくれるようになりました。
これは信じられないほんとうの話なのですが、その後、今にいたるまでツキちゃんは元気に過ごしてくれています。
しかも
首が治った、んです。
目にかんしても、片方だけがふくらんでいるということはなく、もとの気だるそうなツキちゃんアイズへ。
脳腫瘍の可能性もある。
そういった先生の言葉からあれこれ考え、行動した結果(たとえそこになんの因果関係がなくても)今、こうしてツキちゃんは元気に生きてくれています。それがなによりうれしいです。
ありがとう、ツキちゃん。
今日も生きていてくれて。
さて
今回はハムスターのお話でしたが、これらは私たち人間にも通用する点があると猫目は考えます。
提示された現実に
考えないで逃避するか。
それとも
考えて行動するか。
もちろん
考えたうえで行動に移さないという選択肢だってあります。
大切なのは「考える」という行為そのものです。
そして
これは私たち人間にしかできないことです。
たしかにツキちゃんには感情があるかもしれません。ですが、彼女は「自分は脳腫瘍なんだ」ということも「どうして自分は斜めにしか歩けなくなってしまったんだろう」ということも「病気が少しでも悪くならないように工夫しよう」なんてことも考えられません(おそらく)。
なので
考えられるひとが考えるしかないんです。
私たちは考えることを許されている。そのことを忘れないようこれからも猫目は考えて生きていきます。
みなさま。
本日、9月2日土曜日もさいごまでお付きあいくださいましてありがとうごいます。また来週もお会いしましょう!
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