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カワスケのひとりごと~推敲(すいこう)と校正の違い~

こんにちは😊
寒い日が続きますが、桃の節句も過ぎていよいよ春到来ですね🌸

今日のカワスケのひとりごとは、

『推敲(すいこう)と校正の違い』


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先日のコラムで、書いているうちに別のテーマが湧き出てくることがあると触れましたが、今回はまさにその時に湧き出てきたテーマについて。

これまで多くの文章に触れてきたこともありますが、話すのと同じくらいの感覚で文章を綴ることは自分にとっては自然な営みになっています。

別にわざわざ自慢することではありませんが、これはある意味長所だと思っています。

ところが、話すことと違うのは、文章は後にも残ってしまうということ。

話したことは相手に響けば、相手の中には残るでしょうが、適当に話した言葉などはそのまま雲散霧消となり、何も残りません。

ところが文章は、どんなに良い文章だろうと稚拙な内容なものであろうと、誤字脱字を含めて、削除されたり処分されたりしない限りはそのまま残り続けます。

作家さんが自分の過去の作品を見直したくないというのは、今の自分にとって稚拙な文章を目にしたくないからなのかもしれませんよね。

話を戻しますが、私もこうしてスラスラとタイピングをしてはいくのですが、書いた内容をどこかで一旦見直す必要があります。

普段あまり使わない単語ですが、この作業を「推敲(すいこう)」と言います。

推敲とは、もともとは以下の故事に由来するとのことです。

ある中国の唐の詩人が詩を書いていたが、「僧は推す月下の門」という語句の「推(お)す」を「敲(たた)く」にすべきか迷って、ある詩の達人に相談したところ、「敲く」がいいと即答された。

推敲と似たような作業に「校正」や「校閲」があります。

校正は、文字や文章を比べあわせて、誤りを正すことです。作業は、1つ前の工程と現段階の2つを比較する形で行います。

校閲は、原稿に書かれている文章の意味や内容を読み、誤りを正すことです。作業は、原稿のみが対象になります。

校正や校閲は、主に印刷物に使われる表現なのと、編集者や校閲の人など、本人以外の第三者が行うものです。

対して推敲とは、その文章を綴った本人が、もっと良い文章にしようと何度も考え、字句や表現を何度も練り直すことです。

そして、池上彰さんも仰っていますが、実はこの「書いた内容を見直す」という推敲作業がとても楽しいのです。

池上彰さんなどは特に、もともとNHKの「週刊こどもニュース」のお父さん役として、どうやったら子供たちに分かるように、世情や時事問題を伝えることができるかに特化して考えてこられた人ですから、「いかにして平易に説明していくか」という観点で推敲されているのだろうと勝手に思っています。

池上さんほど上手くはありませんが、私もそうした推敲の過程の中に、より分かりやすい伝わりやすい文章表現を見つけていく楽しみを見出しています。

作家の伊坂幸太郎もそうですが、特に高村薫や天童荒太などは発売した単行本が文庫化する際には、登場人物などの設定や性格、途中発生する事件の描写などまでが大幅に改稿されてまったく別の作品になっているケースなどが見受けられます。

常に過去の自分をアップデートしていくプロ意識とも言えますし、読み返してみて推敲するのが好きな人たちなのかもしれません。

学校の宿題やテストなんかは終わったら一度も見直してこなかった私ですが、今は会社の事業計画や経営目標の設定時、またこうしたスタッフ向けのコラムの文章などは何度も読み返しては練り直しています。

やはり、「なんのために」といった目的や、「誰にその想いを届けたいか」の対象が明確だと、なかなか手を抜かなくなるのでしょうね。

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今日も読んでいただいて有難うございます。

校正はよく耳にしたり私も使ったりする言葉ですが、推敲は今回勉強になりました💡

来週もカワスケのひとりごとをお楽しみに~👋

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