「対話」について考える
▷こんにちは!田舎の公立小学校教員ねこぜです。noteでアウトプットだ!と意気揚々と始めてみたもののやはり思考を整理してアウトプットするのは難しく放置しておりました。今日から再開します。よろしくお願いいたします。三日坊主にならない秘策は四日続けること!先ずはそこを目指していきたいと思います。では、書きかけの記事があったのでそれを完了させていきます。
▷数か月前「子どもたちが対話できない理由を50個あげたら何か見えてくるんじゃないか」Twitterで、ひょんなアイデアからプロジェクトが立ち上がり、そこに縁あって参加させてもらった。実は、その更に数か月前に野口芳宏先生の著書『話せない子・話さない子の指導』という本を古本屋で100円でゲットしていた。今回はその本から得た知見から「対話」に結び付けて考察し、述べていきたい。
▷ちなみにこの本の出版年はなんと1981年。40年も前の本である。私が購入したのは13版で1988年のもの。Amazonでは”名著復刻”版が出ているほど著名な本で、読んだことある方も多いことだろう。そして何より驚愕だったのは、書かれている内容がとても40年前のものとは思えない、つまり、今目の前に置かれている教育的諸課題がほとんど変わっていない点である。
▷そう、子どもたちは実によく喋る。僕自身は子どもの頃、比較的大人しい方だったと(個人的には)思っているが、それでも友達とよく会話し、笑い、楽しかった思い出ばかりだ。学校の日常風景的な子どもの多弁さは今も昔も変わらない。にもかかわらず、授業という区切りがあると途端に口を閉ざす。あるいは、学習に関係のない私語で収集がつかなくなった授業では「静かにしなさい」とむしろ話すことを制止せざるを得ないなんて場面も頻発する。どうだろう、教室での様子は変わっていないように感じないだろうか。野口芳宏先生は「話せない子・話さない子」を以下のように類型化している。
どうだろう、教室に思い当たる子がぷかぷかと浮かんでくるのではないだろうか。少なくとも僕の学級には当てはまる子が何人かいる。大事なことは、1人1人に焦点をあてて、アセスメントをとることだと考える。話せない要因は何だろうか…性格的なものか、知能的なものか、対人的なものか…まず理解しようと努めることだ。そして、「できていない」ことを焦らずその子にとってどんな指導、支援が適切か考えることが教師の役目だと思う。
▷長くなりましたので一旦区切りとしたいと思います。次回、もう少し補足をして「対話」について考えていきます。今回この記事を読んでくださった皆さんにはとりあえず今目の前にいる子どもたちの様子を思い浮かべて、「話せない子・話さない子」「対話」について一考してもらえたら幸いです。
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