私という人物 2
こんばんは。 こんにちは。
見てくださり、ありがとうございます。
こうして初めて出会えたかもしれない、
初めてではないけれど見にきてくれたのかもしれない。
1が気になり見にきたよという方々かもしれない。
noteから出会えた、素敵な全てのご縁に感謝いたします。
こちらの記事は、私という人物 というタイトルで書かせてもらった私の自己紹介の2つめの記事になります。
良かったら、最初の記事から入っていただけると内容がスムーズかなと思います。
それでは、以下本文です。
✎𓂃
中学二年の夏、
担任の反対や、学校の抵抗もあったが
それは私の意思を汲んでくれた母と共に押し切り、
教育委員会へ初めて足を運び
いろいろな手続きを済ませ
転校した。
幸いにも、ほぼ制服が変わらない所へ転校したので
制服はベストぐらいだけ変えて登校することになった。
夏が明け、転校し、優しいクラスメイトと共に過ごすようになったけれど
勉強も追いつけず、体力も回復せず
何より、心が回復しきっていなかったからか
結局裏登校という形をとるようになった。
転校先の学校は、とても綺麗な学校で
職員室も生徒が入りやすいような空間になっており
先生達は前の学校とは比べ物にならない程、全員優しかった。
こんなことを言っては行けないかもしれないけれど、
大人の卑屈さや卑劣さを繊細すぎる私は良くいろんなところで感じたものだった。
けれど、転入先の学校の先生たちは皆、それが感じられないほどに寛大な心を持った先生達ばかりで驚いた。
私が転校生で、事情を抱えてたからってのもあるかもしれないけど。
でもやっぱり、以前の学校とは比べ物にならないほど生徒へのフォローとかが手厚かった。
私立ではなく、公立の中学校なのに。
そんな先生達の思いやりや優しい心が、今大人になった私の一部をも形成していると思える。
あと何より、校舎がずば抜けて綺麗だった。
綺麗な部屋にいると気持ちが晴れやかな様に、転校先の学校もずば抜けて綺麗だったから、通ってる人の心も綺麗に見えたのかな…?
公立なのに校舎がまず吹き抜けになっていて、
一階に職員室、少し進んでいくと吹き抜けになっているところのホールというか階段の踊り場にピアノがあって。
誰でも弾いてOKな感じのグランドピアノ。
漫画に出てきそうで出てこない感じの、本当に綺麗な校舎だったなぁ。バリアフリーに特化してるし。
エレベーターもあるの。
トイレは自動照明で、人感センサーライトだから自分でつけたり消したりするタイプのものじゃない最新式。
コンサートホールみたいな、立派な区民会館的な学校だったな。
だから車椅子でも登校できたんだ。思い出した。
筋肉無さすぎてボロボロな時、最初の頃は母の付き添いで送ってもらって、それが難しい時はタクシーで学校行って。リッチな通学してたなと思うけど、母はそれでも通ってくれるだけ、嬉しい嬉しいって涙浮かべるほど喜んでくれてたな。行けない日も勿論あったけど、責めずに仕方ないねって寄り添ってくれてた。
最初は母も、絶対なんでうちの子がこんな事にって気持ち、あったと思うんだ。
けど私も母と向き合って、酷いこともたくさん言ってしまったけどわかってもらうために必死に自分のことを訴えて、母も母でどんどんボロボロになっていく私の姿を見てやっと理解というか…受け入れてくれたんだよね。
受け入れるというか、受け入れるしかないような状況だったから…。
だから普通に、鬱なんだって言ってそうなんだねって受け入れられる人、普通はいないだろうなって思う。
学校ついたら学校にあった車椅子に座って校舎の中移動してたもんな。懐かしい。
裏登校とは言ってもね
それは名ばかりのもので、勉強はテスト以外の時はせず
カウンセラー(元学校教師で定年退職された方)さんとたわいもないお話をして。
給食の時間に間に合えば給食をたべて。
そうじゃない時は食べずに帰って。
少しずつ慣れてきて、バスを使って通学できるようになるくらいまで回復してきてからは、途中の駅にあるパン屋さんで買って帰って食べたり。
学校行くまで携帯で大好きなμ'sの音楽聴いて、雪景色で自分の心境と照らし合わせて余韻に浸ったり。
中学生でそんな事しちゃいかんよなとは当時の自分も思ってたから携帯持ってることがバレないように、めっちゃくちゃバスの中でも駅を降りてからでも必死だったのは覚えてる笑
謎の使命感なんだけどね、誰も責めないしさ😂
でもあの時間、好きだったな〜。
自分で通学できるまで半年以上はかかってるからさ
そう思えて良かったなってバス通学するたび思ってた。
そう思えるぐらい回復したって事だから、ものすごく嬉しかった。
その頃の私の生活を聞いたら当時の同級生は羨むだろうと思うようなものだろうと思うんだけどね😂
当時の私にはそれが本当に救いだったんだ。
ただ、勉強面は疎かになりすぎて全然今でも義務教育はちゃんと受けとけばな〜と思う時はある。
理解できなくてもその時の記憶に残ってるものってきっとあるじゃない?
私にはその記憶すらも残せなかったわけだからさ。
選択はできたよ、勉強の。
でもまずは心の回復最優先だったから、今でもその選択に悔いはないんだけど、やっといたらな〜って気持ちはあるから、もし同様に悩んでる人がいたら、無理にでも受ける必要は無いけれど、受けたら受けたで得られるものもあるんだよって伝えたいな。
✎ܚ
そんな私も、フルーツバスケットっていう作品に出逢えて、声優になるという夢ができて。
思い出すと懐かしいなぁ、声優を志して10年。
高校に入って、大好きな人と出会って。
専門学校に入って、
かけがえのない友人たちと恩師に出会えて。
上京して、コロナ禍で初めての一人暮らし。
初めての遠距離恋愛。
本当に心が壊れそうにもなったけど、
定期的に会える親友がいたり
離れてても支えてくれる人がいて
私の夢を支えてくれるバイト先の人たちと出逢えたり
同じ夢を目指す人たちと最後には笑い合えて。
元気にやってるかなぁって人もいれば、また再会できる友人もいる。
それってさ、小さな幸せだって思うかもしれないけどそんな事って当たり前のことではなくて。
そーゆう気づきに気づけない時もあるから、息詰まったらまたこれを見返して。
優しい気持ちに戻れたら良いな、なんて思ったりもする。
上記のことを書いたのは年明け前で、いま続きを書いてるのは2024.02.16。
年明けてすぐ、震災や災害があった時に自分も胆振で被災した時のこと思い出したり。
当たり前って、当たり前じゃないんだよな…なんて気付かされる日々です。
ここまで長文にお付き合い頂きありがとうございました✌️
ちょっと真面目にいっぱい書いちゃったけど、日常の中に幸せを見出しながら今後も生き抜いていきたいなぁって思います。
見てくれた人すべての方に色んな幸せの形が訪れますように🌸
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