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大抵のレビューはあてにならない

オードリー若林さんの「社会人大学人見知り学部卒業見込」というエッセイを買った。
この本が気になり出してから裕に半年は経っていた。

なぜ今まで購入に至らなかったかというと、どこかのサイトで見たレビューに原因がある。
「内容に共感できる部分が少なく、文章も読みにくかった」
この一文が目に入って、とりあえずネットで注文するのは諦めた。

たしかにエッセイは書き手の性格や考え方が顕著に出るわけで、合わないものはとことん合わない。手に取ったものの、なかなか読みきれないなんてこともある。なにせ、ネットでは立ち読みができないから、自分の好みに合っているのかどうなのか判断がむずかしかったのだ。

一旦購入を保留とした間に、他の本を買ったり借りたりで若林さんのことはすっかり忘れていた。

しかし、出会いというものはいつも突然で。
昨日お気に入りの書店に寄って本を物色していると、一冊の本に吸い寄せられた。
それが「社会人大学人見知り学部卒業見込」だ。

その瞬間、ようやく存在を思い出し、すぐさまパラパラとめくってみる。
あら、まえがきからすでにおもしろいんだけど?文章も読みやすくて好みなんだけど?

こうして、約半年という時を経て一冊の本を手に入れたのだった。


実際読んでみると、ページをめくる手が止まらない。やめ時がわからないくらいするする読める。そしてなんたって若林さんの視点がめちゃめちゃ魅力的。(塩谷舞さんに触れてから、物事を見たり考える時に視点がキーワードになった。)

若様と星野お源様のエッセイにハズレなしだな。才能ある人は世界の見方が本当におもしろい。それを文章で共有して追体験させてくれる本ってすばらしい。


ところで、レビューというと批評や評判、評価の意味で世間的に浸透している言葉だろう。
今回の件では、先のレビューを書いた人の価値観とわたしの価値観は違ったことがわかった。

もしも、「わたし」にレビューがつけられたら、星はいくつで何て書かれるんだろうか。

親しい人・親友・家族からは星5つ?
「優しくていい子です」とか書いてくれるのかな。

知り合いからは無難に星3つくらいかな。
「あまり話したことはありませんが、人に危害を加えることはしません」みたいな。

わたしのことを嫌いな人や、苦手と思っている人はどうだろう。星は0〜2くらい?
「鼻につきます、嫌なやつなので関わらない方がいいでしょう」なんて。


結局レビューとは書く人の主観でしかなくて、大多数の声ではない。わたしに0の星をつけた人が、わたしと深く関わるようになったら3くらいまで上がるかもしれない。

そうして、各々の視点や角度から物事を判断し、簡単に星や点数をつける。
大切なのはレビューを見ないことではなくて、見定めること。自分の境遇や環境、思想に近い人。好みが似ている人。信頼できる人。そういった人の言葉を正しく選ぶことが必要だ。

歴史だって、見る側や後世のために記す側の人間が立っている位置で、視点は大きく異なるだろう。

なにより、レビューよりも信頼できるものは自分の目であり心であり直感である。この目で見たあの人はどうなのか。この目で見た景色はどうだったのか。この目で読んだ文章から何を感じたのか。


大抵のレビューはあてにならないので、自分の直感力を養うためにも、わたしは本を読みつづける。

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