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「コブラ」寺沢武一に見るテクノロジーとクリエイター

漫画家の寺沢武一さんがお亡くなりになられました。
享年68歳、うーむ、若い。
寺沢さんと言えば、私はやはり「コブラ」です。
読んでたなー、週刊少年ジャンプで。
改めて調べてみたら「コブラ」は1977年にジャンプの増刊号で一話読み切りで誕生し、78年から85年まで週刊少年ジャンプで連載されていました。
私、小5(79年位)からジャンプを読み出して中学卒業(84年位)まで読んでいましたから、まさにドンピシャでした。

一コマ一コマがまるでイラストのような緻密さ

「コブラ」というと印象的なストーリーは勿論ですが、その「画質」
キャラクターの雰囲気はアメコミを彷彿させるものがありますが、そのタッチの緻密さはまさに日本クオリティ。
ちなみに、これまで全世界で5千万部以上のセールスを誇り、グローバルで人気を博す「コブラ」ですが、外国人の方に言わせるとその絵はとても“日本的“な画風なんだそうです。
そんな超絶ハイクオリティな絵で少年の心を鷲掴みしていたコブラですが、やはりそのクオリティの高さ故に、寺沢さん、大変な遅筆だったそうです。週刊連載の際は休載を挟んで、原稿を書き溜めて連載をしていたそうで(週刊連載ではすでに無い)、異例&特例の扱い。
でも、そんなに休んでいる記憶が無いのですが、多分その理由は、同時期に“休載王“とも言える「ストップ‼︎ひばりくん!」の江口寿史さん(こちらも絵のクオリティが半端なく高かった)がいたからかもしれません。
ちなみに、当時のジャンプの西村編集長がSF好きということがあったためか、「コブラ」は休載を挟みながら続いたのですが、「ストップ‼︎ひばりくん!」は連載が打ち切られたそうです。

世界初のフルCGマンガ「武TAKERU」(1992)

寺沢さん、作画技法に凝ることで有名ですが、85年には作画(彩色)にパソコンを取り入れており、二次元コンピューターグラフィックスを初めて連載漫画の原稿作成に取り入れた漫画家としても知られています。
それが背景など作画のさらなる緻密さに貢献し、もうポップアートと言っても良いクオリティの作品の誕生&連載に繋がったのだと思います。
ただ、当時のパソコンの処理能力は大変低かったので、作品のクオリティは上がったが、遅筆にはますます拍車をかけたかもしれませんが。

悪性脳腫瘍で半身不随、要介護4状態に

98年、人間ドックで悪性脳腫瘍が見つかり手術による治療・リハビリを行いますが、結果として排泄や入浴の介助も必要な身体状態となってしまいます。
が、翌99年にはスーパージャンプで「GUN DRAGON」の連載が始まります。
その後も精力的に創作活動を続けて、近年ですと2019年には「コブラ」の新作「COBRA OVER THE RAINBOW」の連載も始めています。

私、寺沢さんとは全く面識はありませんし、その職場を覗いたことがあるわけではありませんが、テクノロジーの進化が、寺沢武一というクリエイターのクリエイティブ活動の継続と成長を支えたのではないかと思います。
クリエイティブのクオリティというだけではなく、クリエイター人生の存続を。
近年、生成AIとクリエイターの関係が色々と議論されています。
勿論それとこれは違う話ですが、寺沢さんの漫画家人生―――テクノロジーとクリエイターが良き関係を築けるのだよ―――の良き例ではないかと思うのです。

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