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エコロジカル・アプローチ@バレーボール【6/16】「ゲームモデル」との関係

エコロジカル・アプローチ@バレーボール【5/16】どんなパスがいいパスか?「代表性」についての続きです。

前回は、「どんなプレーをすべきか」を言葉で規定しなくても、「練習環境の設定」=「制約」次第で「何がいいプレーか」が決まり、身につけられるスキルが決まってくるので、どんな「制約」を設定するか、その練習環境が試合と同じような状況であること、つまり「代表性」が重要ということについて、バレーボールのパスを例として解説しました。

言語化しなくても、「ある結果が得られる」ように、それを目指したくなるようなゲームルール(制約)を設定すれば、それに最適な自己組織化が起きるというわけですが、求めるべき「ある結果」とは「ゲームの勝利」であるというのが競技スポーツの大原則です。しかし、それだけでは抽象的すぎてなかなか有効な探索が起きないでしょう。代表性の高い適切な制約を設定できれば、言葉を使わなくても効果的なスキルを身につけていくことができるわけですが、「ある結果」というのを言語化し、全員で共有するという方法もあります。

例えば、以下のような項目が考えられます。
・直接失点しない
・相手のブロッカーに負荷をかけるために、全てのアタッカーが十分な助走を取って攻撃参加できる
・パスしたプレイヤー自身が、十分な助走を取って攻撃参加できる
・ブロックに跳んだ後、どんなパスが返されるか確認せずにネットから離れて助走を確保できる

これらは「ゲームモデル」または「プレー原則」と言うべきものであり、それを明確にすることによって「何が最適か?」をプレイヤーが自ら探索し、その「解」を見つけていくことができるようになると考えられます。

適切な「制約」を設定する、または「ゲームモデル・プレー原則」を明確にすることで、プレイヤーは主体的な試行錯誤によって最適解にたどり着くことができるわけです。しかし、たとえば「できる限りAパスを目指せ。ただし、状況に応じて間を作ること。」といった指示の場合はどうでしょうか?これでは状況判断の基準が不明で、「間を作るかどうかの判断」はパスをする人にしか分からないことになります。つまり、アタッカーにとって「ブロックに跳んだ後、迷わず開く」ことは不可能になるということです。

その状況では、プレイヤー自身が最適解を求めることができません。「指導者が提示した正しいやり方」というものに従うしかなく、どんなやり方をしても指導者からダメ出しされる可能性を残し、指導者の「支配」が絶対的な力を持つことになります。「正解は指導者の中にしかない」ということです。

それに対して、「起きるべき結果」を言語化することは、プレイヤー自身が最適解を求めることを可能にし、1つ1つのプレーの検証もできるようになります。「正解かどうかは、誰でも見ることのできる結果から分かる」ことになり、指導者の手を離れるわけです。

また、「起きるべき結果」として設定したものが妥当なのかどうかも検証することができます。たとえば「Aパスを入れる」が上位に設定されている場合、直接失点につながったり、Aパスでしか使えない攻撃になったり、アタッカーの助走を損なったりして、かえって得点機会を失うということが少なからず起きます。その可能性が明らかになれば、「全てのアタッカーがよりよい条件で(十分な助走を取って)攻撃参加できる」等を、より上位の「起きるべき結果」として設定することが必要だという判断ができます。

同じような問題は、「言葉によらず、制約でスキル・戦術を構築していく」場合にもあり、デザインされた練習環境(制約)が適切かどうかがカギを握っています。「何が起きて欲しいか」を明確にして「制約」の妥当性を検討していくこと、それが「ゲームモデル・プレー指針」を構築することでもあると言っていいでしょう。

言語化のメリットとして、「何が起きて欲しいか」ねらいを明確にすることで、プレイヤーが納得して「その制約のゲーム」に参加するようになるということもあります。ゲームを遊ぶことに専念できるというのが、「制約」の効果を最大にしてくれるでしょう。さらに、「それだったら何点ゲームにした方がいい」とか「**にした方がいい」とかプレイヤー自身が決めるようになると、「制約」をより適切に調節できることになり、コンセプトの理解・共有・内面化が進むことになります。

「ゲームモデル」と「制約」の関係については、植田文也氏の書籍の中で次のように述べられています。

エコロジカル・アプローチの考え方では、ゲームモデルは制約の一種です。達成可能なチームコーディネーションのパターンや、各選手のソリューションを制約しています。いくらか概念的な捉え方をすると、チームの構成要素である各選手の相互作用のあり方に境界線を設け、方向づけ、相互作用の中から機能的な協調関係が生まれるように仕向けています。
チーム戦術に関わる制約さえ設けておけば、自然に機能する協調関係が生まれてくるということです。

植田文也. エコロジカル・アプローチ 「教える」と「学ぶ」の価値観が劇的に変わる新しい運動学習の理論と実践 (pp.198-199). 株式会社ソル・メディア. Kindle 版.

制約とは、具体的なソリューションではありません。プレイヤーが自らソリューションを探索し、発見するために設ける大枠です。フレームとも言えます。

植田文也. エコロジカル・アプローチ 「教える」と「学ぶ」の価値観が劇的に変わる新しい運動学習の理論と実践 (p.200). 株式会社ソル・メディア. Kindle 版.

また、当noteにおいて雑賀氏は次のように述べています。

先述した通り、エコロジカル・アプローチによるゲーム・モデル構築時には双方的プロセスを経ることとなる。その際、重要なのはゲーム・モデルの抽象度を「最適」にすることによって、プレーヤーの自己組織化を促進し、かつチームが機能するようにすることである。しかし「最適」は様々な変数によって変わるものであり、そこを探り当てることは極めて困難である。

ゲーム・モデルの抽象度が高すぎて制約不足になれば、各プレーヤーに機能的な自己組織化が生まれず、ただチームとしての無秩序が生まれるだけである。一方、ゲーム・モデルの具体度が高すぎて過剰制約となれば、ゲーム中に起こり得るイレギュラーな状況に対して脆弱であったり、チーム・プレーがパターン化し、相手チームに分析・対処されやすくなったりするのである。

非線形的運動学習理論『エコロジカル・アプローチ』【3/5】

「ゲームモデル」は「制約」であり、プレイヤーの自由を制限するものですが、それがあるからこそプレイヤーの自由な創造が可能になるわけですね。「ゲームモデル」のとらえ方にはそれぞれ違いがあるかもしれませんが、「エコロジカル・アプローチ」と「ゲームモデル」の関係について解像度を上げていただくことにつながったでしょうか?

「ゲームモデル」については、フリオ・ベラスコの考える『ゲーム・モデル』と『創造力』(1/3)~(3/3)が参考になると思います。是非、あわせてご覧ください。

エコロジカル・アプローチ@バレーボール【7/16】「言語化」はどこまで可能か?に続く。

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バレーボールに関する記事を執筆しています。バレーボーラーにとって有益な情報を提供することをコンセプトにしています。