【若院コラム】出会いが縁ならば、別れもまた縁である。
〔毎月発行〕おてらの読みもの 若院コラム『和而不同(わして どうぜず)』2024年6月号ー 浄土真宗本願寺派星野山西法寺-
▶『人はひとり。だからこそ、ご縁を見つめたい。』― 西本願寺のいわゆる【タグライン】と称される言葉である。「今後、西本願寺の社会的な役割を広く内外に伝えるため」(公式見解より)、場面に応じて用いられていくとのこと
▶とある本に『孤独とは独りの時に感ずるよりも、人がいるときに感ずることの方が多いと私は考える』とあった。〈朝のリビング。「おはよう」に返事が無い。そこに家族が座っているのに〉そんな一例も
▶無論、つながり(縁)が助けとなる現実も大いにあるだろう。一方で、人と関わりがあることと孤独の解消は、必ずしもイコールとはならないこともある。そして、縁は出会いだけではない。別れもまた縁である。ここの所もよくよく見つめたい
▶【独】の字は、「桑の葉にくっついて離れない(虫)」+「他と迎合しない(犬)」だそう。すると『独り』とは、単に多数内のひとり(孤独)というよりむしろ、ある種の自己執着のような、自らが背負う、いわばいのちの本質としての姿ともいえるのかもしれない
▶それは、決して他と取っては代われないものを恵まれていることでもある。ここに正しい意味を与えるのが仏教の教えなのだ