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若院コラム『和而不同』2024年5月号

文:〔西法寺若院〕星野徳行(ほしの のりゆき)

四月某日、たまたま乗車した阪急電車の中吊り広告が、大阪・関西万博一色となっていた

▼開催(二〇二五年四月一三日~)まで一年を切った頃から、SNS界隈含め宣伝を目にする機会がグッと増えたように感じる。いわゆる気運なるものはこうして醸成されてゆくのだろうか

▼街で行列を見かけたら、どんなお店か確かめたくなる。何かを指さす人だかりがあれば、ついそちらに目が移ってしまう。「気になる」を生む仕掛けは実に単純だ。無論、そこに深い理由はない

▼幼い子どもたちを見ていてると、例えば他の誰かが楽しそうなことをしているなと察知した途端、(自分の遊びを差し置いて)その場へ向かっていく。そう思うと、こうした所作はやはり本能的な習性なのかもしれない

▼『○○(人名)にとっての まちのパビリオン』ー某車内広告では、思い入れのある まちの場所・建物等をパビリオンと称したエピソードがいくつも紹介されていた

▼他方、助長されゆく〝同じ〟空気は、〈それまで〉を覆う危うさも内包する。例えば運営費増額・跡地利用の話題は、今やどこか蚊帳の外感があることは否めないだろう。ここについてはよくよく案じる必要がありそうだ。