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#先日の余談

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書き直すことがが少なくなってきた。(投稿してから数日は修正追記していますが♪)
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2015年1月の記事一覧

表現や言論の自由に限らず、普段の言動も含めて、相手の気持ちを想像できないと暴力になる。

#先日の余談 <脱稿:80%ぐらい(698W)> フランスの週刊誌「シャルリー・エブド」で起こった残忍なテロ。 シャルリー・エブドは、社会批判として風刺画を用いており、その一部でイスラム教徒から反発を抱く内容のものがあった。社会批判をすることが表現の自由、言論の自由として行われた。描かれた風刺画は相手の気持ちを逆撫でする「暴力」として捉えられたのだろう。 風刺画を公表することへのリスクが具現化したのがテロとしての報復。ペンにはペンをではなく、自由(暴力)には暴

FacebookやTwitterのタイムラインは「景色」みたいなもの。

#先日の余談 <脱稿:80%ぐらい(1119W)> そう思った、何か思い当たる節はないかと思い返してみると、、、小学生の頃かな?(30年以上昔ww) 宇治市の実家の近所に祖父が営んでいたお茶屋(小売)があった。お店はちょうど国道に面しており、店の中から外の様子をずっと眺めるのが好きだった。ループしない自動車の列、往来する近所の人々、お客さんが入ってくると、愛想良く笑ってるだけの時間。 人に注視するのではなく、情報の景色が流れている。ラジオやTVなどの情報も流れてい

報酬を得る時 “「勉強させていただきました!」なんて言ったらあかんで。” っと横にいたパートナーに言われた。

#先日の余談 <脱稿:85%ぐらい(968W)> 20年前(1995年頃)の話。 大学を卒業して、作品を創る傍ら、店舗の看板など作っていた頃がある。その延長で店舗の内装という話に膨らんだ。そんなボリューム何の経験も無かったんだけど、何の不安も抱かず快く引き受けた。 僕だけでどうにかなることではないのは分かっていたので、建築士の仕事をしていた大学の友人に声を掛ける。コンセプトとか企画とかまとめることを知らず、クライアントの希望・要望を聞きながら、ただ僕の創りたいこと

充実した時間。言葉は各々の捉え方でいく様にもなるので表現が難しい、充実した時間の中には苦しいこと、笑顔になれることもある。

#先日の余談 <脱稿:95%ぐらい(922W)> 「仕事が楽しいかどうか」という話題が別にあり、そこから続きとして。 まず「仕事」は、いつからしているのか、そして「楽しい」という表現は相応しいか考える。 仕事を「家の手伝い」からすると、実家が小売店をしているため、物心がついた時には、お客さんと呼ばれる見知らぬ人に商品を渡しお金を受け取っていた。それは楽しいということではなく、日常であった。 労働の対価をいただいたのは高校生の頃、初めてしたアルバイト。地元のケン

組織では、それぞれの視点があり大事にしていることが異なる。慎重に理解度を上げて、信頼し合う関係を作ることでようやくスタート地点に立てる。

#先日の余談 <脱稿:80%ぐらい(614W)> 他者は、紛れも無く他者なんだ。 プロジェクトや仕事の規模によるが、クライアントがいるだけで組織という考えても良いと思っている。僕も含め他者がいる、複数であれば視点が増えるし、立場が異なれば、その視点の役割も異なる。関わる目的が同じだからといっても、僕の仕事の内容を全て理解してもらうのでもなく、相手の仕事の内容を全て理解しなければならないことでもない。 当然、優先していることは異なる。時間、家族、自己顕示、金銭、恋愛など

機能不足を埋める際、機能性に加え文脈に添わせることで、そのコストはポジティブに変わる。

#先日の余談 <脱稿:80%ぐらい(339W)> 加えること以上に、削ぎ落としていくことが「創る」作業だと思う。加える時は広く、削ぎ落とす時は丁寧に行う。 アウトプットしたものは元に戻すことはできないが、満足できない、何かが足りないと気が付くこともある。足すにしても引くにしても数を重ねるほど濁ってしまい質が落ちることも多い。 数文字のツイートはその数倍の情報や経験を元にしている。その中からニュアンスの近い言葉や表現を合わせてツイートする。脊髄反射的なものであったとして

口コミでの書き込み・ご意見は評価の一部にしか過ぎず、現場で働く人と向き合うことが大事。

#先日の余談 <脱稿:85%ぐらい(905W)> 口コミは、古くは井戸端会議や友人、知人が体験した事象が元にある。 伝聞としての情報が溢れだしたのは、新聞、ラジオ、TVなどのいわゆるメディアが社会と人との接点として構築されてからだろう。 本質が伝わるのは、周りから見聞きする方がわかりやすいことがあるんだけど、口コミはその1つに過ぎない。 広告に関わる仕事をしていることもあり、クライアントが目的を達するために情報をターゲットに伝え、ターゲットがアクションを起こしてもら

感動したこと、助けてもらったこと、感謝したことを、ゆっくり咀嚼して自分にできるところから再分配する。

#先日の余談 <脱稿:87%ぐらい(1381W)> 再分配は、経済用語かと思っていたが、「施し」という側面をみると宗教用語でもあるんだろう。まぁ、社会の成り立ちに宗教が大きく影響しているように思う。 人よりも富むことは、金銭だけでなく、感動する回数、助けてもらう回数、感謝する回数など、心の富みも人の形成では大きな存在。 「感謝される仕事がしたい。」 そんな事をしっかり意識したのは、ちょうど一年前(2014年)。納品するコトやモノだけが仕事では無いんだけど、僕の仕

目的にしっかり向き合うと素晴らしい手段と出会う。その瞬間もっとも大事なことは迷わない決断力だ。

#先日の余談 <脱稿:80%ぐらい(334W)> ブレないことが大事か。 何に対してブレないのか、ブレないために何をするのか、ブレないことは窮屈で、余裕がないことではないのかと思う。同時に柔軟な発想は、その視界に起因することが多く、日々の忙殺にすべてを失うこともある。 進む先への道は真っ直ぐな時もあれば曲がりくねったものもある。すべての道は繋がっているかも知れないが、今の体力や装備を踏まえると、迷いや不安を持って進むと目的に辿り着けないかも知れない。過去に作られた地図

美しいのはその容姿ではなく、脆くも妖艶な画面構成を創ったあなたの視点。

#先日の余談 <脱稿:85%ぐらい(425W)> 美しい女性に惹かれる。。話す機会もあれば良いなぁと思っていると、展覧会をされているというので観に行く機会を得た。その方は日本画というカテゴリーで作品を作っている画家をされている。 会場は観に来られた多くの人で賑わっているが、ひとまず作品を拝見する。 普段、作品を観る時、日本画などカテゴリーが何を示すのか、正直、全く興味はない。カテゴリーは観る人よりも、創る人と結びつきが強いと考え、僕が大事にしているのはそこで得る「体験

新しい商品やメニューを提案するよりも、ライフスタイルを提案する方が鮮明だ!

#先日の余談 <脱稿:85%ぐらい(672W)> 新しい商品、メニューということに限らないんだけど、その「新しい」って、すでに飽和している。新しいが飽和するという言葉の矛盾のようだが、その新しいが指すコトすらすでに飽和している。 じゃ、「何をすれば」良いんだ。。。 ってことなんだけど、「何がしたいんだ」ってことに集約されている気がする。突き詰めていくと、「新しい」ということはキーワードでなく、ただの時系列の結果に過ぎず、商品やメニューというのは対価の対象に過ぎない。