仏教と科学の宇宙観
はじめまして、ショッキンです。宇宙をテーマにしたnoteを発信していこうと思います。
第1回は9月24日(祝)に仏教と現代サイエンスから見た宇宙というイベントに参加し、NASAのJPL(ジェット推進研究所)でエンジニアとして働く小野雅裕さんと浄土真宗のお坊さんをされている大來尚順さんという異色の組み合わせのお二人の対談を聞いてきましたので、その内容について書いてみたいと思います。
(初回なのにかなり怪しいテーマになってしまいましたね。。。)
目次
1.宇宙とは
-三千世界と銀河系
-創世神話と宇宙の始まり
2.生命とは
-生命の定義
-自己と知能
3.仏教と科学の共通点
4.あとがき
5.対談者プロフィール
1.宇宙とは
三千世界と銀河系
仏教でも科学でも、この世界は階層構造で表現されています。
仏教ではこの世界のことを三千世界と呼びます。
我々の住む1つの世界が1000個集まったものを千世界とし、千世界が1000個集まって小千世界、小千世界が1000個集まって中千世界、中千世界が1000個集まって大千世界といい、これらすべてをまとめて三千大千世界(略称三千世界)となります。
仏教の宇宙観の一つである曼荼羅
宇宙のスケール感もこの三千世界と同じように広がっていきます。
個々の家の明かりが集まって街明かりとなり、街明かりが集まって地球を照らし、地球を含む惑星が集まって太陽系を形成し、太陽などの恒星が集まって銀河を造り、銀河系が集まって銀河団を造り、泡のように拡がる銀河団をまとめて宇宙の大構造と呼んでいます。
宇宙の大規模構造
我々の世界は、とてつもないスケールの中のほんの一部であるということを実感させられます。
創世神話と、宇宙の始まり
世界の始まりについても、双方から解釈をしていきます。
仏教の創世神話において三千世界は世界が始まったときから存在するという前提で説かれています。世界が終わった後には劫の風が吹き、微粒子が集まってまた世界が始まるとされています。世界の始まりはなく、終わりも定義されていないのです。
※これは弟子が古代インドの伝承などを基に解釈を付け加えたものであって、釈迦は今どうあるかを大切にし、死後の世界(未来の話)や、世界が始まる前(過去の話)は語らなかったそうです
科学は今ある世界のことを記述するための学問であり、観測のできない宇宙の外側は定義できません。そのため、ビッグバンより前がどうなっているか、光が到達できる観測可能な世界より外側がどうなっているかは明らかにできないというのが科学の限界です。
宇宙の年齢は137億年だとわかり、時間に始まりがあるという概念自体ができたのもここ最近のことなのです。
宇宙の始まり~現在を描いた宇宙図
2.生命とは
生命の定義
仏教における生命の定義は意外にもあっさりしていて、現象の一つでしかないとされています。
・因縁生起:他との関係が縁となって生起すること
・諸行無常:すべてのもの移り変わる
・諸法無我:全てのものは因縁によって生じているもので実体性はない
世界の流れに身を任せ、生きていきなさい。自分の命さえコントロールできないのに、他人の命を奪ってはならないと説いています。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある人と、栖(すみか)とまたかくのごとし。 -方丈記-
科学の世界において、「生命」の明確な定義は存在しません。
そもそも物理学者からすれば、生命も「ちょっと複雑な化学反応」というだけで、物理現象には変わらないのです。
生物の五大要素「自己と外界との境界、自己増殖、エネルギー変換、恒常性、維持」はあっても、あくまで地球上の生物という定義を基に挙げているに過ぎず、地球しか知らない私たちには、明確な「生命」の定義づけを行うことができないのです。
地球外の生命を探査することは、この生命の判断基準を明らかにし、自己の存在を探求するのにも等しいと言えるのかもしれません。
ウイルスは生物か、非生物か
自己と知能
仏教では人間の肉体と精神を五蘊と呼ばれる五つの集まりに分けています。
・色:形ある肉体や身体のはたらき
・受:感覚や知覚などの心のはたらき
・想:イメージを思い浮かべる心のはたらき
・行:何かをしたいという心のはたらき
・識:モノをモノとして認識したり判断する心のはたらき
自分の左手を指さすことはできるが、自分の性格を指させと言われてもできない。
人間の存在や自己というもの幻想でしかないのです。
科学における自由意志の存在を解明しようとした実験の一つにリベットの実験というものがあります。
被験者に時計の針を見ながら手を挙げてもらい、動かそうと意識した時の時計の針と、脳波の立ち上がり時間の差を比較してみようという実験で、意思決定を行ったと判断する0.35秒前に脳波が反応するという結果が得られたようです。
リベットの実験
自分の行動は自分の意志だと思っていても、それは脳によって判断「させられた」ものなのではないかという面白い解釈が得られた実験です。
そもそも、知能というものの存在も不確かです。石ころと、ミドリムシと、魚と、犬と、人の知能は何が違うのでしょうか。
物理的な変化に応じるだけの石ころも、栄養を得るために活動するミドリムシも、自己の存在意義を考えたり、科学によって世界を明らかにしようとする人間も、本当に明確な違いがあるのでしょうか。
3.仏教の本質と科学との共通点
釈迦の説いた純粋な仏教は、自己の究明と解脱を目的としていた科学でした。
未知なるものをはぎ落してこの世の真実を知ることと、生まれながらに身分と生き方が決まってしまう「六道輪廻」から抜け出すことを目的に作られた教えです。
釈迦本人は教えを記した書物は残していませんでした。各地で行った説法を弟子がまとめ、解釈や迷信を付け加えていった結果、現在の形となりました。経文そのものを信じるのではなく、迷信をはぎ落して突き詰めていく中に純粋な釈迦の教えがあります。この過程は科学の探求そのものです。
4.あとがき
無宗教で基本的には神や仏といった存在にも懐疑的な私でしたが、今日の対談を受けて仏教の世界観に興味を持つことができました。特に、生命の存在意義や世界の在り方については幼いころから疑問を抱いていた問いであり、宗教という新しい観点から考えるきっかけとなりました。
仕事にばかり目を向けていると、そういった根源的な探求といったものを忘れがちですが、たまには立ち止まって自分や世界について思いを巡らせてみることも大切なのかもしれませんね。
Update
2018-11-01 公演の動画がyoutubeに公開されました。
仏教と科学~宇宙観編~
仏教と科学~生命編~
5.対談者プロフィール
小野雅裕さん
MIT出身で、NASAで火星ローバーの開発などを行っており、日本でも積極的に出版活動や公演活動をされています。人類の宇宙開発の歴史や、宇宙探査の最前線について書かれている「宇宙に命はあるのか」は超おすすめ宇宙本です。
大來尚順さん
ハーバード出身のお坊さんという面白い経歴の方で、山口県の超勝寺で僧侶をする傍ら、通訳や翻訳活動、簡単な英語で仏教用語を解説した「英語でブッダ」など様々な書籍を出して活躍されています。