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ゴミ箱認定の広さは国土の広さから?

写真は街の様子。なんとゴミ箱があります。
その辺にポイポイ捨てているんじゃなくて、単純にゴミ箱認定がガバガバなだけということに気がつきました。ゴミ箱のある方向に捨てる感じかな。
毎日回収業者がくるし、ゴミ拾いの人もいるし、食べ残しはフリーの犬が食べるので綺麗です。

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2019年9月6日選り抜き協力隊日記
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【一言メモ】
活動校の学校内では、コンクリ製のゴミ箱にきちんとゴミを入れる習慣があります。入れ損じたら、拾って入れなおす姿も。反面、町では小学生や老人のポイ捨てが目立ち、その理由を考えたりなぞしました。少なくとも、今から25年ほど前の日本でも同じような傾向は強くあったような気がします。
私の小学生時代は、『ポイ捨てをやめようキャンペーン』の真っただ中にあったように思います。いまはどうなのかわかりませんが、子どもを引き合いに出したような啓発CMはずいぶん減りました。

任地の大通りにはゴミ箱が頻繁に設置されているのですが、裏道ではそれはなく、ゆえに置いてある箱類、缶類、チリトリ類は目を離すとすぐにゴミ箱になります。もう数年前のことになりますが、この国の学生を対象にした日本国内の日本語学校に勤務していた時のことです。当時、教室や通学路のゴミ問題は慢性的な問題でした。机の下にゴミを詰めて帰ったり、ペットボトルを放置したり、コンビニ弁当の容器を校舎ビルと隣のビルの隙間に窓から投げ捨てたり。もちろん全員が全員、そういうわけではありません。

何とかして教室やビルの隙間からごみが減ると、今度は通学路の花壇や自転車のカゴにゴミが溢れるようになるのです。仕方がないので授業終了時にゴミ袋をもって「ゴミがあれば入れてください」と言いながら机間を回り、回収することになりました。「私何やってるんだろう、親元を離れた人間相手にばかばかしい」と思ったものです。赴任を経験して、少なくとも自転車カゴ現象の謎は解けたような気がしました。それには、さほど悪気はないのです。彼らを取り巻く日常生活は、中国の延長だったのですから。

日本語学校付近の惨状は、家庭教育と親元を離れた結果なのか、地域ごとの学校教育と生活水準の差なのか、世代によるものなのか、その仮説は数年かけて組み上げていきたいと思っています。

中国国内の環境保護意識は若年層を中心に確実に育っていますから、上記の答えもいずれ出ることになるでしょう。その時の日本語学校の学習者層は今と変わっていることは確実でしょうから、その時にどのような変化が起こるのか、または起こらないのか、少し楽しみにしています。

国籍を絞った日本語学校では、成績と容姿、成績とモラル、出身地と云々、親の職業と云々、等々の相関関係が見いだせることが多く、また学校や家庭、それから心に関する社会問題を垣間見ることができ、ある種の知的好奇心を満たせる職場であったように思います。

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