詩 『木漏れ陽』 (⚠️10代前半の頃に書いた旧~い作品)
作:悠冴紀
地球が踊り
北半球と太陽が視線を合わせる頃
私は森の中へと歩を進める
法も規則もない世界
流れる風に囁きかけるように
緑の大地が波打っている
翼を持った森の住民たちが
自慢の歌声を交わしている
木洩れ日が舞い降りる
背高い木々の合間から
辺り一面に光の柱
その温もりは
やがて森中に染み渡り
眠れる森の全生命を甦らせる
**********
※1990年(当時13歳)のときの作品。
これまた懐かし~い昔の作品の登場です A^_^;) 表現の端々に幼さが滲み出している……💦
ちなみにこの作品は、関東方面に引っ越した元同僚(←親ほど歳の離れた副業仲間で、夫のDVから逃れるために仕事を辞めて隠れ家生活を余儀なくされていた人)と久々に再会したときに、「最近つくづく自然が減った」という話になり、ふと思い出して引っ張り出してきた一作です。
私は元々、緑豊かな兵庫内陸部の出身で、幼少時代を常に大自然の中で過ごしてきました。気晴らしをしたいときには、愛犬と共に山奥に分け入り、生傷まみれになりながら獣道を走り回ったり、水の澄みわたった近所の川で沢ガニを捕まえたり、空き地で夜空を眺めながら詩を閃いたり、食事をもらえず空腹のときに樹木によじ登って木の実を取ってきたり……。(← 注:私は木だけでなく電柱にも登っていたし、立ち入り禁止の場所にピッキングで侵入したり、工事現場やダムなどの高いところを走り回り、落ちたら死にそうなところを平気でジャンプして渡ったりと、人工的な場所でも何かとスリルを楽しんでいましたが……💧)
そんな私にとって、十数年前に移ってきたここ大阪(市内)は、あまりにも自然が少なく、噂通りにゴミゴミとしている上、物理的にも心理的にも人と人との距離が近すぎるし、隙間があれば誰かが必ず割り込んでくる、という感じで、毎日閉塞感を覚えてならないのですが、私よりずっと以前から大阪に暮らしていた元同僚に言わせると、「いや~、その大阪でも、私があなたぐらいの年頃までは、もっと自然があって、建物も今よりずっと少なくて、空が広かったよ。なのに今は見上げる度、電線やらビルやら看板やらに視界を遮られて、空が本っ当に狭いのよ」との話でした。
更にその元同僚がこんな話もしていました。「私の娘は何かと傷つきやすくてねー。原因は他にもたくさんあるけれど、考え方に余裕がなくて人の細かいことばかりが気になったり、ストレスを解消するのが下手なあの性分の一因には、周りにそういうことを忘れさせてくれる自然が少ないから、というのもあると思う。私は家族の問題や人間関係で行き詰まる度、広い空を見上げて大自然や世界の広さを実感し、『この広大な大自然の中では、自分はなんてちっぽけなのか、目の前にある人為的なトラブルの数々も、星々の浮かぶあの広い空、長~い歴史を持つあの宇宙に比べれば、なんて取るに足りない些細なことだろう。一見どんなに困難なことでも、すべてはほんの一部なんだ』と思えることで、大いに気が紛れたのに、かわいそうなことに、あの子の時代には、生まれた頃からすでに人工物に遮られて、空が、視界が、狭かったのよ!」と……。
── 言われてみれば確かに、私の生まれ育ったあの兵庫の田舎町でさえも、年々みるみる様変わりして、私が大学生になる頃までには、かつての遊び場の殆どが人工物で埋め尽くされてしまっていました。そして現在のあの町より更にずっと人工物や人でごった返している大阪暮らしの今は、確かに私も、以前よりずっと視野が狭くなり、かつてなら簡単にサラッと流せたはずの つまらないいざこざや他人の目線がやたら気になったり、狭~い人間社会のチマチマとしたトラブルを、何週間にもわたって引きずっていたりする。かつて知人友人一同から、口々に「冴紀ちゃんは割り切りの良さがすごいよね!」と言われていた以前の私とは別人のように (;一_一)
てっきり自分自身が落ちぶれて、人間としての品性が落ちてきた結果なのかな……としか思っていなかったのですが、元同僚のその話をきいたときに、ハッとなりました。そういえば、あれほど自然好きの野生児肌で、夜な夜な空を見上げては宇宙の神秘に酔いしれていた私なのに、大阪に越してから何年もの間、久しく自然や宇宙との一体感を味わっていなかったな……と。
そんなわけで、こうして大自然の美をつづった過去作品で、時折自分のあり方を見つめなおしつつ、どこか緑豊かで空の広い場所に自分から出向いていって、失われた感覚を取り戻さねば! と思うに至ったのでした。(← 一時期あまり新しい詩を閃かなくなっていたのも、自然から遠ざかりすぎたのが一因だったのかもしれないと、このときにハッと気付かされたのでした。必要な養分は人それぞれに異なりますが、私なりのガス欠かな、と😥)
改めて、大事なことを思い出させてくれた元同僚に感謝です。
注:誤解のないよう言っておきますが、私は決して都会がダメだとか嫌いだとか、そういう場所に住んでいると皆が視野狭窄になるとか言っているわけではありませんよ。私の小説『PHASE』や、そのスピンオフ作品『JADE~表象のかなたに~』も、今回の詩作品に見るような自然派の要素は殆どなく、メタリックで硬質な人工物にまみれた場所や、人間臭~い歴史が刻まれた街並みを背景とする作品ですしね😉
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