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静寂の時

こんにちは。久しぶりになってしまいました。 なかなかはっきりしない天気が続いていますね。


現代社会はとても便利で、知りたいことがあればある程度はすぐに情報が手に入ります。

毎日何かしら、至るところから情報が入ってきて、逆に制限することの方が難しいぐらいに…  その情報の選択は、個人個人の嗜好や価値観、情報に対する力量も問われることが多いと感じます。

嬉しくなるような楽しい情報ばかりではないから、何に触れているのかによって、自分とは違うものや望まないものにもエネルギーを削がれていることが多いのではないかと、改めて感じます。

人間の感覚って本当に凄くて、言葉や映像などにすごく敏感だと思う。本人の自覚以上に、たくさんのことを感じている。


私も先日あるニュースに、思った以上に自分がダメージを受けていると自覚し驚きました。頭では、その起きたことを冷静に受け止めているのに、体が思った以上のダメージを受けていました。全く面識もないはずのその当事者の方の気持ちを想うと、眠りも浅くなり、どこかやるせない気持ちと、こわばっていた自分の体がありました。


世の中のことは、知らなくていい事ばかりではないけれど、知ったからといって、必要以上に触れなくてもいい事もたくさんあると思います。

テレビのニュースやSNSも選んでみるようにし、音楽さえも煩わしく感じることもあるので、最近の私は、静寂の中に身を置くのが好きです。

静寂の時間を自分に与えてあげることが、楽しみでもあり、癒しでもあります。外の情報がないと、自分の内側に入っていける。私にとって、この時間がとても贅沢でもある。

自分に向き合い、創作活動をしている人たちは、そういう時間を持っていることも多いと思います。特に現代人は、敢えてその時間を取ることが必要な気がします。


外側の多くの情報より、内側の自分の感性や価値観、自分の命や大切なものと向き合い、感じて味わうこと。

便利な世の中で情報過多になる時ほど、内側も大切に観ていくこと、感じていくことは、自分らしさのバランスを取るためにも必要だと感じます。

静寂な時間の思った以上の恩恵に感謝して、私の見えている世界を今日も大切に生きよう。


ここまでお読み頂き、ありがとうございます。 

あなたにとって、たくさんの愛と豊かさに満ちた毎日でありますように。



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