【小説】 人斬り、落椿 -壱-
†*† 落ち椿 †*†
「時代は変わったのだ。亡霊は成仏させねばならぬであろう」
「新しきの世のためでござるか」
「無論だ。古きを罰して新しきを開く」
「明治の文明開化を成すために、幕府の要人の命を犠牲にするでござるか」
「山村皓雪」
「皓雪……。皮肉極まりなき名でござる」
「血に染まるは人斬りを生業とするお主の運命じゃ」
「血の雨はやむことはござらぬ」
苦悶の表情を浮かべ拳を握りしめる皓雪。
「この身も刀も、血の雨を吸いすぎたでござる」
「人斬りとはそういうもの。お主も其れは覚悟のうえであろう」
「元より剣は殺人剣、剣術は殺人術でござる。人を殺める道具であり、人を殺めるための術でござる」
「ならば」
「しかし、真に流れるべき血の雨が流れておるのかが些か疑問でござる」
「何が言いたい」
「本来流れなくともよき血の雨まで、徒に流れておる気がしてならぬでござるよ」
「皓雪」
「……はい」
「其れはお主の罪悪感が勝手にみせておる観念の亡霊じゃ」
「そうでござろうか」
「皓雪よ。改革には痛みが付き物じゃ。大義を成すためには、多少の犠牲は」
「其れは……其れは無闇に無意味な血が流れても致し方無き事という意味でござるか」
「……そうじゃ」
「何と無惨な……。酷でござる」
「何を今更。ならば人斬りを辞めるか」
「其れこそ、今更でござる。逃げ出したとて、染み付いた血の雨は消えぬでござるよ」
自嘲する皓雪。
「一生、罪の雨にうたれながら生きるでござるよ」
「……」
「一生、人斬りの日陰者でござる」
「……皓雪」
「政府に差し出したこの命でござる。精一杯努めさせていただくでござるよ」
「大切な命じゃ。無駄にするでないぞ」
「大切な命、でござるか。それを云うならば、今まで殺めた者たち皆、唯一無二の大切な命でござった」
「そうじゃ。皆、唯一無二の大切な命じゃ」
「……」
「それを忘れぬ事じゃ。胸に刻み込むんじゃ。志半ばで命を奪われた者たちの無念を」
「無念を……」
「そうじゃ。そしてそれを心のうちで弔うのじゃ」
「まさか、骸に花を手向けよとでも」
「それも一考じゃ」
「なるほど……」
思案する皓雪。
「さすれば、お主の苦しみも少しは和らぐであろう」
「其れならば、落ち椿を」
「落ち椿とはまた粋な。武士にとってはこの上なき花であろうな」
「志半ばで命を落とした者には皮肉でござろうか。やはり違う花が」
「いや、武士と云えば椿であろう。幕府の亡霊に手向けるには、ぴったりの花であろう」
「さようでござるか」
「これからは落ち椿の人斬り、いや人斬り『落ち椿』と名乗るが良い」
「それは勘弁でござる。拙者はただ」
「まぁ堅いことを申すな。まことに冗談も通じぬとは」
「冗談、でござったか。かたじけない」
「真面目で堅実……。しかも性根が優しいときてる。最も人斬りには向かぬ人間が、人斬りの才能を開花させちまったんだなぁ」
男は深い溜め息をつき、皓雪を憐れむように視る。
「最も酷で罪深きは、俺か」
男はそう呟き、猪口の酒をぐゆと呷った。
「落ち椿、か」
男は自嘲し、月を仰いだ。
武士の志を捨て、明治政府の犬となった己を顧みて、また男が自嘲する。
「拙者には学がござらぬから、難しい事は解らぬでござるが」
「……」
「貴方は立派な御仁でござる」
「ただの政府の犬が、立派ねぇ」
「犬でも、そなたは拙者の恩人でござる」
真剣な表情で断言する皓雪。
それを聞いて目を見開き、数秒後くくくと笑いを堪えきれずに吹き出す。
「犬なのか人なのか、一体どっちなんだ」
「あっ」
皓雪は苦笑し、髪を手櫛で梳かすように頭を掻く。
「お前はやっぱり優しすぎる」
四十には見えぬ端整な童顔に、人の良さが滲み出た美しい笑顔。
ひとつ結びの長髪は、さながら銀狼の尻尾のよううである。
普通の人生を歩んでいたなら、ただの優しい若侍にしか見えなかっただろう。
剣術さえ極めなければ、その才さえ磨かなければ、今とは違う笑顔の絶えぬ人生が待っていたはずだ。
皓雪の幸せを少しでも叶えるよう尽力せねばならぬな。
己の残酷さと罪を改めて痛感し、男は贖罪の意を深くしたのだった。
皓々と雪や
つみかさねては
血の雨降りて赤と染まりぬ
赦すを許さず罪を刺す
射貫く無念の咆哮の刃よ
せめてもの弔いにと
骸に添えるは落ち椿
武士の花と悼みて候う
新らしき世が開け
文明開化
乱世は過ぎ去り
訪れしは戦なき平穏の世
人斬りは幻の伝説となり
人知れず流浪する
─ 弐へつづく ─
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