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育児

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育児(いくじ、英: Parenting)とは、乳幼児の世話、養育をすることである。乳幼児とは乳児と幼児を指し、小学校に入学する前の子供の総称である。
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 トイレトレーニングについて

トイレトレーニングについて

雨上がりの青々とした風が颯爽と吹き抜ける朝、私は決まって自宅のトイレを掃除する。トイレクイックルを使って上から下へ優しくトイレを拭いていく。 左官職人がコテを使って丁寧に漆喰を塗り込めるように。

タンク、フタ、便座と続き、便座を上げて裏を確認すると「はいー」と声が漏れるほどお◯っこで汚れていることがある。家には7歳と5歳の男児が住んでおり、急いでいたり集中を欠くことで「下ち△」を怠る場合がある。

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チャイルドシートが外せない。

チャイルドシートが外せない。

私の家には電動アシスト自転車がある。

前方と後方にチャイルドシートを装着しており、前方は4歳まで、後方は6歳まで乗ることができる。子供たちが小さい頃は兄弟二人を前後に乗せて自転車で移動していた。

長男は既に7歳なので一緒に自転車に乗ることは無くなってしまった。今、次男が5歳なので来年には一緒に乗ることもなくなるのだが、いまだに前方のチャイルドシートすら外すことができないでいる。

子供達が小さ

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私の中の育児が終わろうとしている。

私の中の育児が終わろうとしている。

育児にも様々な定義があるが、狭義においては未就学児までの期間を育児と呼べるだろう。

今、下の子が5歳。年長さんで幼稚園生活もあと半年と言ったところだ。上の子が7歳なので、ざっと7年ほどの育児生活を行なってきたと言える。

7年は長い。映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」でブラッド・ピット演じるハインリヒがチベットに居た期間くらいに長い。

この7年で私は育児をしなければおよそ経験しなかったで

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私の体力がペットボトルのフタに満たされた水割りだとしたら

私の体力がペットボトルのフタに満たされた水割りだとしたら

子供達と接しているとつくづく体力の差を感じる。

私の体力がペットボトルのフタに満たされた水割りだとしたら、子等の体力は樽いっぱいに満たされたシングルモルトウイスキーだ。

休日は昼が過ぎる頃には私の体力は限りなくゼロに近い。あとは気力で動いている。子供と接すると元気をもらうというのは、あくまでメタフォリカルな表現だろう。

体感としては、抱っこやおんぶ、追いかけっこをする度に、まるで子らに生命エ

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時にはマクドナルドで次男の「それ」を右手で受けとめた話をしようか

時にはマクドナルドで次男の「それ」を右手で受けとめた話をしようか

題名でお察しの通り、趣向ないしは状況によっては不適切な内容が含まれておりますので、それらをご理解頂いた後お読み頂ければ幸いです。

次男が1才と6ヶ月くらいの頃、家族でマクドナルドへ行った。

私はダブルチーズバーガーセットを買い、妻はチキンフィレオセットを買った。長男はポテトと図鑑のハッピーセット、次男はチキンナゲットとおもちゃのハッピーセットを買った。

ありていに言えば、食事中に次男がう○こ

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電動アシスト自転車をサイクルショップまで軽トラックの荷台に乗せて運んだ話。

電動アシスト自転車をサイクルショップまで軽トラックの荷台に乗せて運んだ話。

次男(5歳)が「ブラック・ホール号」と名付けた電動アシスト自転車が故障した。

いよいよ夏が始まりそうな朝、幼稚園バスが停まるバス停まで次男を送ろうと、ブラック・ホール号の後部に付属したチャイルドシートに次男を乗せて、いざ出発とスタンドを外したその時、後輪から「ガンッ」という鈍い音と手応えを感じた。タイヤから空気がすっかり抜けていたのだ。

私はプランA(自転車送迎)からプランB(車送迎)に切り替

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抱っこひもで抱かれる赤ちゃんを見て、なんだか目頭が熱くなる現象の名を僕はまだ知らない。

抱っこひもで抱かれる赤ちゃんを見て、なんだか目頭が熱くなる現象の名を僕はまだ知らない。

現在、長男7歳、次男5歳、いわゆる育児もいよいよ終盤に差し掛かった今日この頃。

小田急線の駅のホームで電車を待っていると、隣に立っていた女性に抱っこひもで抱かれている赤ちゃんと目が合った。ビー玉のように輝く瞳。真っ赤なほっぺ。むちむちの足。心の中をいろんな思いが駆け巡ってなんだか目頭が熱くなった。

抱っこひもは両手が空いて便利だが、背中に負荷がかかりやすい。慢性的な背中の強張りは今もまだ続いて

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