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今までのことと、これからのこと

サマルカンドを出発して10分。とりあえず無事に電車に乗れてよかったと思いつつも、景色を見ながら今後の不安をぐだぐだ考えてしまうので、少し文字に起こしておこうとパソコンを開いた。


「終わってみればあっという間だった」というほど感傷に浸るわけではないけれど、半年過ごした自分の憧れの町を離れるのは少し寂しい。まあ、またいつでも来れるでしょう、というくらい。また1年後にはサマルカンドにいるような気もする…。

取り留めもなく、思っていることを書きだしていこう。


ウズベキスタンに来た目的とその達成度

ウズベキスタンに来た目的は「積極的に“生きたい”と思うため」。例えばの話だが、ある時目の前に「生きる」と「死ぬ」という選択肢が現れたら、みなさんはどちらを選択するのだろうか。現代社会は半強制的に「生きる」という選択肢しか与えられていないのが辛いところ。少なくとも1年前の自分は、この2択が与えられたときに迷わず「死ぬ」を選択していただろう。だって、生きるのって大変。そこまでしてこの世に固執する意味はないと思っている。親に対しても「ここまで育ててくれたことには非常に感謝しているが、産んでくれたことに感謝したことは一度もない」と思っている。とんだ親不孝だ。

まあ現実にそんな2択を迫られることはないから、ただの空想だし、「死にたいと思っているけど、惰性で息をしている」って人は星の数ほどいると思う。でも、自分はこんな風に思いながら一生を過ごすのは嫌だった。積極的に“生きたい”と思いたかったし、親に「産んでくれてありがとう」と言ってみたいと思った。

そんな自分を変えるための手段が海外逃亡だった。このまま日本のレールで就職しても、この根本的な価値感は変えられないし、絶対に自分は幸福度の高い生活を送れないと思った。

ウズベキスタンを選んだのはまったくの偶然で、自分の大好きな景色・遺跡があって、まあまあ行けそうだったから。後、ほとんどの人が興味のない国に行ってみるのも面白そうだったから。

当時は自分の価値観を変えるために、2年くらい1つの国に費やすのが必要かと思っていた。(これは実際来てみて違ったので、後述する。)だから、海外に長く滞在できる一番の近道として日本語教師の職を選び、資格も取った。今思うと、日本語教育能力検定試験には1発で合格出来たのは本当によかった。

では、ウズベキスタンに来た当初の目的「積極的に“生きたい”と思うため」が達成できたのかどうかというと、これは大方達成できたと感じている。ウズベキスタンに来て、意外と海外が近いことを実感した。それなら、ほとんどの人が一生のうちに見ることのない世界の景色に会いに行きたいと思うようになった。人生の目標ができた感じ。だからノマドワーカーという新たな形を模索している最中だし、目標に向かってなんとなく頑張る心持にもなっている。

ここまで書いてしまうと、大学生の自分がいかに「やりたいことがなかったのか」ということに気づかされる。やりたいことは見つけられた、そんな半年だった。



ウズベキスタンで働いてみて

正直なところ、ウズベキスタンの景色は好きだし、優しい人が多い国だとは思うが、働くのはしばらくごめん、って感じ。特に日本語教師としては。

その要因として、ウズベキスタンの働き方の要因が2点、自分の要因が1点ある。

ウズベキスタンの働き方について、まず1点目が時間の捉え方があまりにも自分と違っていたから。仕事の予定を10分前に言うのは当たり前、何もすることがなくても仕事場にいなければいけない、時間や締切を守る人がいないから逆算して考えられない、などなど…。ウズベキスタン時間に囚われている限り、日本や他の国の人と事前に予定しているmtgやオンラインレッスンはできなくなってしまうことが多いし、学校での拘束時間がめちゃめちゃ長い。日本語教師って、授業以外の時間は他の場所で準備もしていいと思っていたからなおさらのギャップ。

これに関しては、ウズベキスタンに適合できなかった私の柔軟性のなさが浮き彫りになった経験だと感じている。後、自分の都合を優先してしまいがちなところとか。学校に勤めて2,3か月目は余裕がなくなって、自分のことしか考えられなくなっていた時期だった。

さらにウズベキスタンの働き方で自分に大きなストレスになっていたのが、ウズベキスタンの語学学校の「当たり前」だった。1つ目、生徒は勉強したくて来ているわけではない→家の用事や結婚式などで普通に休む。2つ目、“自分で”勉強することを知らない。1から10まで伝えないと何もやってこない。3つ目、1と2の結果、集団クラスでも個人の進度がバラバラなので、個別授業をしなければならない。この授業スタイルと、生徒のやる気のなさが、本当にストレスだった。そして、指示した宿題をやって来なかったことに対して理由を聞くと、怒っていると受け止められ、生徒に怒るのはいけないことだと、私が上司から怒鳴られる。もう訳が分からなかった。

この時期寒波の影響で、家のインフラ(電気・ガス・水)が全滅していたこと、それに対する上司の対応も最悪で、もうここで働くのは絶対に嫌だと思った。

ウズベキスタンの語学センターでは、この進度バラバラ授業が普通で、大学で働こうと思っても、それはそれで問題があったり…。とにもかくにも、ウズベキスタンで生活するのはいいけど、ウズベキスタンの人と働きたくはないなと思った経験だった。

そして最後に自分側の要因だが、これは丸一日、会社で週5,6日働くことはできないと思ってことである。この働き方が嫌で海外に出てきたのに、結局似たような労働条件の会社を選んでしまったのは、本当に何も確認しなかった自分の落ち度だが…。週3,4日で20コマが上限、くらいで働きたい、その余った時間をオンラインに当てたいと思っていたので、それができなかったのも、会社を辞めた一因だったと思う。1月はフルで働く&朝5:30、夜は帰ってから22時までオンラインレッスンをしていたので、本当に人間を辞めた生活をしていたと思う。インフラもなかったし…。

今後、海外の日本語学校で働きたいとなったら①授業は週3,4日、②カリキュラムや教案の素地がある、③日本人がすでに働いている、この条件で探したいと思っている。サマルカンドにこの条件に当てはまる場所はないのだが。



ウズベキスタンの「心が動いた場所」

ウズベキスタンの中でも印象に残った場所を3つに絞って挙げるとすると「カラクム砂漠」「テルメズのアフガニスタン国境」「聖ダヴィデ堂の乗馬」になる。まずは、カラコルム砂漠である。サマルカンドからヒヴァに行く電車の中からは無限に広がる中央アジアの砂漠を見ることができる。砂漠の日の出は美しく、ずっと見ていられると思った。遠いところまで来てよかった、と心から思ったのはこの旅行が初かもしれない。続いて「テルメズから望むアフガニスタン」。私が初めて陸の国境を見たのがこの時だった。アムダリヤのその先はもうアフガニスタン。1本のボーダーで、国も、地域も大きく変わってしまうその風景は、今まで海の国境しか知らなかった自分には、かなり印象的なものに思えた。最後に、ウズベキスタンでの念願の乗馬。少し田舎に行けばどこででもできるはずだったのに、意外と機会が無くてできなかったやつ。結論、乗馬って楽しいけど大変だし怖い。崖のぼりだったのはあるけど、本当に命の保証はなかったなと感じている。「動物と生きる」という意味が、日本とどれだけ違うかを体感できてよかった。お馬さん、ありがとう。



非日常が日常になった瞬間に、何か色褪せたように感じる

ウズベキスタンで生活し、目に映るすべてのものが新鮮で、楽しかったのにも期限があった。特にサマルカンドの景色は、非日常だったものが日常になってしまい、安心して暮らせる反面、仕事や日々の生活範囲の“非日常感”は薄れてしまったように感じる。仕事に追われて、ウズベキスタンの人々のもっと深い生活に触れることも少なく、楽しさを感じるのは月に1度の旅行の時だけだったかもしれない。現状に満足することができない性分なのかも…と思ったりもした。「ここではない何処かに行きたい」という言葉が好きな通り、一度慣れてしまったら、次の場所に行きたくなる。ウズベキスタンの中でも、まだまだ行けていないところが多かったが、飽きが来たから生活の拠点を移したいと感じたのも絶対あった。

そして、この気持ちはどうにか変えなければいけないものなのか、少し悩んでもいる。というのも、親にしてみれば、娘が海外放浪しているのは不安なわけで、現実的には一か所に留まるのが正解なのだと思う。いつか40代、50代になったときにどうするのか、ということもあるし。でも、この気持ちに折り合いをつけることはできるのか、諦めるしかないのか。でも「ここではない何処かに行きたい」という今の気持ちを無視するのも、後々後悔するかもしれない。



初の一人暮らし

実は日本では、実家でぬくぬくと暮らしていた。だから本格的な一人暮らしはウズベキスタンで初めて。しかもキッチンや流しがない、途中からインフラが全滅する、というなかなかサバイバルな状況で…。

これに関しては、まあ慣れなのかな、と思う。最初は寂しいこともあるけど、慣れればどうにかなる。でも、日常で話し相手がいないのはつらいから、その分外に出るようにはなったけど。

しかしまあ、大家さんが勝手に部屋に入って物の位置を変えてきて困ったことになることや、他の人の家に居候させてもらっていたときは、かなり気を遣っていた。



ノマドワーカーへの道、仕事について

では、ここから今後について。

今後、私はノマドとして生きていきたいと思っている。どこかに定住するのではなく、2,3カ月に1回の頻度で住む場所を変える感じの。たくさんの、行きたい街・景色に出会えるから。現地で働かないから、その地域の働き方に振り回されることも少ないし…。

そこで、日本の滞在中に私がしたいのは、とにかく「戦える武器を身につけること」。メインはオンラインの日本語教師で生きていたいけど、如何せん安定しない。レッスン数が十分にない月も往々にして現れる。だったら、海外ノマドとして生きていくには、フルリモートのハーフタイムの仕事を探すしかない。日本語教師という武器と、もう一つなにか尖った武器、オンラインで完結させられるという前提で。

ハーフタイム*オンラインの仕事なんて、そうあったものではないけれども、何とか探すしかない。頑張ろう。その前にもう一つの武器を何にしようか考えなくてはいけない。これは日本帰ってから色々な人に相談しつつ考えてみる。

元々7,8月は礼文に行くつもりだったから、その前に少し自分のキャリアを見つけるいい機会だと思って、この5,6月は焦らずやっていきたい。(焦るなよ、自分…!)



お金の使い方について

最後にお金の使い方について。私がこの世で最も苦手なことは「整理整頓」と「貯蓄」。今回、日本に帰らなければならなくなったのも、資金の枯渇というのがあったので、そろそろ本気で、お金を貯める仕組みを作らなければならない。

先取り貯金をするのはいいとして、難しいのがカード支払い。気づいたら結構な支払い額が溜まっている。これどうしよう。クレカを使うのではなくて、基本はデビットで即引き落としにしたほうがいいのかもしれない。月4万の娯楽費・生活費のラインをしっかり守ること。友達とご飯に行くのはお金がかかるから、2週間後から始めるつもり。とりあえず美味しいもの食べて、日本を感じよう

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