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ワンオペ出張カメラマンの1日〜あの人の面影〜

埼玉で撮影の朝。5時半に長野の自宅を出る。ファミマに入り100円引きの手巻き寿司を手にする。お腹は空いていない。けれど、事前に買おうと思っていたカフェラテと、ついでに50円引きのパンも持ってレジへ。いらないのに買うのは、食べる時になって「あれも欲しかった」と後悔するかもしれないことを予防するためだと思う。しかし、買うときに体がいらないと感じるなら後悔することは、まずない。それをわかっていながら買う。この状態を「思考優位状態」と名づけた。私はいつだってそうだ。そして失敗するのにまた繰り返す。


長野から大宮の新幹線あさまの切符は、1ヶ月少々前の予約で熾烈な争いの末、半額で買えた。基本的に、一番取引しているクライアントさんの撮影は、首都圏に住んでいなければ交通費が出ない。買えたときは心の中で昇竜拳的ガッツポーズをした。
今日の新幹線は長野が始発。石川発のかがやき開通に伴い長野はほぼ通過点の駅になり、始発が減った。始発だと10分前にホームについても新幹線がいるので、早めに車内に入れて嬉しい。
機材関係の入った縦走用ザック、長玉も入る機材キャリーケース、肩掛けの機材鞄、これが私の出張撮影スタイル。体のどこにも余白がない。それを、家から長野駅まで約30分かけて歩いて運ぶので、座席に座って荷物を置ける瞬間は言葉通り、肩の荷がおりる。

新幹線が出発する。パソコンを広げ、仕事をする。長野の雄大な空が車窓から見える。長野市街地はすこし気がこもっているように感じて鬱々することがあるけれど、こうして「脱出」すると気が軽くなる。

長野から大宮は約1時間少々。下車30分前、手巻き寿司とパンとカフェラテを次々食す。買う時に30円引きのツナおにぎりと手巻き寿司を猛烈に迷ったけれど、具材の多さで手巻き寿司にした。その判断を褒めたい。おいしい。そういえば、パレオな男さんというアンチエイジングブロガーがキングコング西野亮廣さんとのR25の対談動画で「おにぎりは冷めている方がいい」と言っていた。糖質が減って、代わりになにやら良い成分が生まれるらしい。その話を思い出し、冷たい手巻き寿司のおいしさが心なしか増した。思考優位状態は、思い込みでものをおいしくするメリットがあるのだと気づく。

カフェオレを飲んでいる途中で大宮駅につく。機材を背負って飲みながら降車し、地下にもぐる埼京線に乗り換えて現場のある駅へ。集合時間まで1時間ある。駅前に、モーニングをやっているカフェがあることを昨日リサーチしていたので、そちらへ。米粉パンやデカフェなど、体に優しいメニューが売りのよう。店内は、木製の木や机。ノマド向けの窓際席、ゆっくり座れるテーブル席、複数人対応のボックス席など、用途に応じて選べる空間。清潔な店内で汚れもなく、オープンしてから日が浅そうだ。
私は開店と同時に入店。するとひとりの男性客も来た。しばらくすると、ひとり、またひとりと客が来る。全員男性。お店の方向性からするとなんだか意外に思える。パソコンを開いたり、くつろいだり、なんとなく食べたり、とそれぞれがいろんな過ごし方をされていた。

たまにクロッキーを描く。カメラマンになってすぐに、見る力が弱いことに気づいた。視界には物質を入れているのに、脳が認知していない。だから、反応も遅い。この影響は撮影のみならず、物事や人の気持ち、社会のことなど何事に対しても見えていないこということな気がする。人としてまずい。そう思い、弱さに気づてから10年近く経った今、ようやくそのケアをしようと思い、はじめた。
インスタで見かけた、食べ物をクロッキーしている絵描きさんに、クロッキーのコツを聞いたときに、「飲食店で描くと、目の前の食べ物が冷めちゃう。冷めると店員さんにも悪いし味も落ちる。だから強制的に早く描ける」と教えてくれたのを思い出し、初めて食べ物を描いてみる。私が普段クロッキーにかける時間は1分。けれど今日は10分。よく見たからか、1日経った今でも食べたもの味を思い出せる。集中して見ると、記憶に残るらしい。


現場に移動し、撮影。高校サッカーの撮影。負けた学校の選手たちは泣いていた。そして互いにハグをしていた。軽い感じのハグではなくて、今までよく頑張った、と、心を通わせるような、深いハグだった。高校野球だと泣くことが多いけど、サッカーで涙するシーンをあまり見たことがない。それだけこの学校は、心に重きを置いていたのかもしれない。試合後、監督やコーチが選手に向けてメッセージを送っていた。「今日の試合、本当に良かった」「あなたたちの人生はこれからだから。今日をバネに進んでほしい」よく聞くけどいい言葉だな、と思いつつも、彼らは今が全てだから、今は無理やり未来に意識を向けさせるのではなく、徹底的に今に寄り添ってほしい、これからとかどうでもいいのだよ、という気もした。


ところで先日、師が亡くなった。毎日師や師にまつわる仲間たちのこと、そこから派生して私は本当はどうありたいのか、などを考えている。撮影中もぼんやり考えていたら、魂の向きと一致する思考が度々動いた。その時、アゲハ蝶がふわふわとやってきた。あ、〇〇さん(亡くなった人)だ、と思った。「そう、いいいよ、それでいい」と言っていた、ような気がした。撮影場所を移動してもまた来た。そしてこれを書いている今(翌日)も、目の前をアゲハ蝶がシュッと横切った。今度は「早くやりなさい」と言っている気がした。それで、こうして頭の中を書き出すという作業をしている。あとで気になってアゲハ蝶の意味を調べたら、亡くなった人がメッセージを告げるために現れるお役目、とのこと。あぁ。

続く、かも。

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