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小さく産まれたさちこのはなし①

私は、台風の日に産まれたらしい。
23時50分、ギリギリ19日。
もし日付が変わって20日生まれになってたら、全然違う性格になっていたんだろうか、なんて考えたこともある。

誕生日占いには、〇〇な性格だとか書かれてたけど、同じ誕生日のマオとは全然違う性格だったから、そういう占いは信じないことにしてる。

2,600gほどの小さめサイズで産まれた私は、小学生の頃から背の順ではずっと、一番前。先頭を誰にも譲らなかった。わけではない。小学4年生の健康診断で120cmだったことだけは、なぜか今でも覚えてる。

そういえば、母が心配して大学病院に通わせてくれてたこともあったな。毎回身長と体重を測ってグラフをつけて、採血したり、MRI検査したりもした。結局は異常なし。小さいのはただの遺伝ってこと。当の私自身は、まったく気にしてなかったしね。

小学生の頃の記憶は途切れ途切れで、思い出せることが少ないんだけど、雨の日に学校に行くのが面倒で、「車で送ってほしい!」と泣いてせがんだことがよくあった。車で5分もかからない距離なのに。妹がインフルエンザで寝込んでる日に、「迎えにきて!」と電話して怒られたこともあったな。父からNGが出た時には、祖父が銀色の軽トラで送ってくれたっけ。とんだ甘ちゃんだったわ。

祖父といえば、学校から帰るとよく林檎をむいて食べさせてくれた。後から母に聞いたけど、水虫の薬を塗った手でそのまま林檎を...なんて日もあったそうな。亡くなる時は、認知症が進行して私のことは多分もう忘れてたけどね。おじいちゃん、天国で何してる〜?

小学6年生の夏、イケメン俳優やらアイドルやらが出てるちょっとエッチなドラマ(スタンドアップ?)が流行ってて、その放送日はいつも夜更かししてた。ちょうど、お父さんが夜間の仕事から帰ってくる時間だった。

ガラガラと玄関を開ける音。なにかを察した母は私に「早く寝に行きなさい。」と言って、寝室にうながした。私も同じくなにかを察して、荷物を取るふりをしてリビングに留まっていた。

当時の父は、お酒が好きだった。酔っ払って突然キレたり軽く暴れたりする姿を何度か見かけたことはあったけど、正直、そこまで気にしたことはなかった。だけど、その日だけは別人のようで。目は血走り、罵声を浴びせ、母を蹴り上げた。私のことは見えていないようだった。ただ、怖かった。

止めなければ。小学6年生が考えつくことなんて、たかが知れていた。包丁を持ってきて刺す?バケツに水を入れてぶっかける?私に出来ることは、もっとたかが知れていた。父の手を握って、ひたすら押さえることしかできなかった。

一連の大きな音で起きてきた祖父が柔道技で父を倒し、長い夏の夜が明けた。暑さは感じなかったし、涙も出なかった。

その後、どうなったかって?
母は、父にこう言ったそうだ。
「お酒をやめるか、離婚するか、選んで。」
父はお酒とタバコを同時にやめて、家族と離れないという選択をした。母は、こうなることを分かっていたのだろうか。

でも、私は知っている。あの夜の後、母が半日だけ家出していたことを。数日間、泣きながら実家に電話していたことを。家出が半日だけだったのも、離婚を決断しなかったのも、私たち子供のためだったんだろうと思う。

もう大昔の話なのに、この件は暗黙の了解で家族の話題にはあがらない。
「あの時、守ってくれてありがとう。離れないでいてくれてありがとう。」って、いつ言おうかな。

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