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日刊さっちん(ゆるめ)

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さっちんこと入谷佐知が毎日のちょっとしたことや頭の中身を書いていくだけのマガジンです。ゆるめです。
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#日記

名も知らぬ知り合い

今すんでいる街にはいろんな人がいる。 異様に口笛が得意でハリのある音でメロディーを奏でる「くちぶえおじさん」。映画に出てきそうな元ヤン風のゴツめの風貌で毎朝こどもたちの交通整理をする「サングラスおじさん」。会うと桑の実やぶどうの実やトマトをくれる「桑の実おばさん」。 今日も道を歩いていたら知らないおじさんから、「野菜いるかね」と言われて大量に野菜を受け取った。ナス、ピーマン、トマト、どんどん出てくる。私がもっと大きい袋を持っていたら入るだけ入れこもうとしただろう。たぶんわ

12の悪いクセとやさしい表現

「◯◯はな〜、くいしんぼうやねん」 と目の前の女の子がにっこり笑う。次々出てくる食べ物をパクパクと美味しそうに食べ続ける6歳の彼女を見て、「ずいぶん食べるね」となかば心配して声をかけたら、そんなふうに返された。「くいしんぼう」という表現が可愛らしくて思わず笑った。 「くいしんぼう」という言葉を聞いて、8歳娘がいま読んでいる『クレヨン王国 新十二か月の旅』をふと思い出した。 『クレヨン王国新十二か月の旅』は続き物で、 前作『クレヨン王国の十二ヶ月』では、12の悪いくせを

食べるよりつくるが中心にある食堂

奈良の南エリアにある複合施設「鹿の船」のなかにある3つの施設「繭 mayu」「竃 kamado」「囀 saezuri」に訪れた。もともと奈良の旧市街地である”ならまちエリア”の観光振興拠点だったところを、リニューアルして「鹿の船」として再出発。中村好文さんの建築で、くるみの木が手がけているそう。 「鹿の船 繭」は情報館、図書室、展示室。 まさに繭をつくる蚕の小箱みたいにそこかしこに奈良を紹介する展示や本が置いてある。個人的には本好きなので図書室が一番嬉しくて、森のイスキ

京都さんぽ

昨日はとてもいい日だった。 オットのはからいでゆっくり寝させてもらってぼちぼち起きて、午後からオットとムスメと3人で四条に出る。 祇園四条から鴨川を渡る橋のうえはいつも通り気が滅入るくらいたくさんの人だけど、高瀬川がそばを流れる木屋町通りにするりとエスケープすると、ちょっとだけ落ち着く。 そのままてくてく歩くと、京都の親ズには有名な絵本屋さん「メリーゴーランド京都」でむすめの絵本を4冊も買った。お誕生日に図書カードを1万円分ももらったから買いに来たんだけど、残念ながら図書

どっちつかず

わたしは基本バランス人間なので、だいたい両方から嫌われちゃうことが多い。「こどもに過不足なく関わる」と発言すると、こどもとの関わりに人生を懸けている方から嫌われれば、こどもより自分の人生を謳歌するのだという方からも嫌われちゃう。「安心安全とプロフェッショナリズムの両立」と発言すると、安心安全の場をつくることを目指す人からも嫌われれば、プロとしての成果達成を目指す人からも嫌われちゃう。今日も売上計画の数値をゴリゴリゴリゴリ動かしながら、なぜかD×Pの人たちが気持ちよく動き回る様

直接伝えることと諦められなかった経験

「あなたのツイートのここが問題だと思う」と直接メールしてくださった方がいらした。メールを読んだら確かにそうだと思ったので自分のツイートを消した。そして、お詫びと共にそのツイートの本意となる元のブログ文章をお送りした。すると、それをすぐに読んでくれて、しかも意図に理解を示してくださった。 ( 今回はわたしがツイッター上で文章を切り取りすぎてしまったのがほんとによくなかった。反省です。でもまとまった文章のほうは納得感あったみたいでよかった!) わたしは、こんなふうに直接言って

いつのまにか冬が好きになった

「ねーさっちん、冬はいいよね。心がきりりとするんだよ。頬が冷たいと心がシュッとする」とその人は笑った。 その人といっしょに働いていた時期は少しだったけど、濃密だったように思う。茅場町のマンションの一室にその事務所はあって、人が多くて座るところがなくてキッチンで立って仕事した。たまにゴミ箱をひっくり返して椅子にした。夜はひっきりなしに電話がかかり、必死で電話を取った。ほっとひと息つくと、その人に「十八番いかない?」と近くの中華料理屋に誘われた。コートを羽織り外に出た。氷点下一

トーキョーが好き

トーキョーが好きだ。 人との関係が崩れた時、新宿駅東口に飲まれるように向かうと大勢の人が一切自分に関心を寄せずにそれぞれが行きたい方向に行くのを味わって、妙に癒された。だれもわたしを見ない。そんな安心感があった。サザンテラス口の少し落ち着いた感じも、西口のざわつきも好きだった。 西荻窪にある小さなカフェに行くと、おじさんがニコニコしながら「今日はカフェラテとチーズケーキが絶対にいいよ」とお高いセットを勧め、「おれはベイスターズが好きでね、すごい弱いけどね」と好き勝手に語り

人と人の間にある最適な関係性

人と人の間ってそれぞれに最適な関係性があるんじゃないかな、と思う。いい距離感とか、いいありかたとか、きっとそれぞれにあるんだと思う。それを、トモダチとかコイビトとかフウフとかオヤコとか、そういう世の中にある言葉に当てはめようとすると苦しくなっちゃう。世の中にある定義に無理に押し込めようとしなくてもいい。わたしとあなたの関係性には、世の中にはない名前があるはずだ。 残念ながら相手が自分の思うように関わってくれるわけじゃない。わかってほしいという気持ちが募るのはとてもよくわかる

先陣切って間違いと弱さを認めること

わたしは昔、大きな嘘と虚勢心で大事な人を傷つけたことがある。その人との関係はいつか修復するかもしれないし、やはり修復しないかもしれない。いずれにせよその人を怒りに震わせた事実は変わらない。嘘と虚勢がばれてから、わたしは必死で作り上げた鎧が解かれたような思いでいた。 あの時は、鎧が解かれてしまって恥ずかしかったし、情けなかった。なにより傷つけてしまったことへの後悔が強かった。でも今から思うと、23歳のあの時に裸になれてよかった。あの時からわたしは虚勢を張るのをやめて、周囲を自

ごはんとセルビア。日常と非日常。

突然だけど、わたしはごはんについて書いてある本が好きだ。 「食べる」には価値観が乗り、その時の背景が乗り、社会が乗る。「食べない」という選択も含めて、毎日のごはんにはさまざまなバックグラウンドがかくれている。 『パンと野いちご』は、セルビア難民のことばを編み上げたインタビューの本だ。日本人である筆者が、住まいを失いながらも生きる友人たちの声を日本語にしたいと思い書き上げた。 けれどこのインタビューで彼女は難民である友人たちに、戦争のことや昔住んでいた場所のことを問いかけ

それは他人だから。

朝、お弁当づくりをひとしきり終えるとオットから「ありがとう」の言葉がかけられる。ふと見ると洗濯物が畳まれているので「あー、やってくれたんだ。ありがとう」とわたしも声をかける。我が家ではもともと「ありがとう!」と言い合う場面が多かった。でも家族が増えて共に暮らすようになって、「ありがとう〜助かったわー」と言われたり言ったりすることがさらにさらに増えた。 だけど、「例えばもしわたしが彼女と結婚してたら、ここまでいい関係になっただろうか?」とふと疑問に思った。もしわたしが彼女と結

noteをばあーって書いてみたらどうなるんだろうの回

いま、9月28日(金)の23:53です。今からnoteをばあーって書いてみたらどうなるんだろうと思って書いてみるとします。 いますごく感じているのは、D×P(ディーピー/わたしが働いているところ)の広報・ファンドレイジング部門のメンバーって、え、ほんとにみんな最高じゃない??と思っていて、いまひとりひとりの顔思い浮かべて、まじでこの人いいな、ここがいいな、と思ってニヤニヤしています。ちょっと気持ち悪い感じになっている。自立的に動くひと、なんでも質問してくれるひと、楽しそうに

安心安全と自由が両立する共同体をつくりたい

随分前にTwitterで出回っていたこのプレゼン資料を久しぶりに眺めていたのだけど、この図を見て改めて思ったことがある。 ※20代・30代の若手官僚30名で構成された次官・若手プロジェクト「不安な個人、立ちすくむ国家」http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf わたしは、「権威主義的なもの」があんまり好きじゃない。家長制度も好きじゃないし、年功序列も好きじゃない。一方的な物言いも