度を越した体罰教師に反抗して学級崩壊した小学4年生の春。

「いまだ!ころせ!!!!」

N君の合図でクラスの全員が担任の机に殺到した。裏の倉庫から持ち出したよく分からない金属製の工具を装備した男子や、掃除用具のバケツや箒を携えた女子たちは、各々好き勝手な事を叫びながら半狂乱で突撃を敢行した。

僕らの任務は担任の机を木端微塵に破壊することだけだった。ただそれだけでよかった。後のことなんて考えてなかった。幼い私たちを纏め上げ、ここまで統率の取れた軍隊に仕上げたのは、ただ純粋な敵意で、反抗で、そしてある種の興奮だった。



皆さんには「先生」と聞くとふっと思い出すような忘れられない教師がいるだろうか?

それは厳しかった部活の顧問かもしれないし、進路指導という形で自分の道を示してくれた恩師かもしれない。人生で最も多感な時期に密接に関わった大人の存在は、無意識化にまで及んで私たちに少なくない影響を与えているだろう。

私にも一人、どうしても忘れられない先生がいる。

小学4年生の時の担任、谷村だ。(※仮名です)


谷村はまぁ要するに「体罰教師」だった。中年の肥満体形の男性で、口元に大きなほくろと、異様なほど大きい眼鏡をしていたのが特徴的だった。声はいちいち大きくて、よく生徒の前で大きな欠伸とゲップをしていた。顔面は何故だかいつもオイルを塗ったようにテカテカで、いつもボロボロのシャツを着ていた。

谷村は教育委員会でもPTAでも問題視されるような典型的な体罰教師で、むしろなぜ教師を続けられていたのか不思議なくらいだった。(子供とは体罰を受けてもあまり周りの大人に相談しないのかもしれない)

谷村が暴悪な体罰教師たらしめる象徴的なエピソードを一つ紹介させて欲しい。

運動会のピストルを覚えているだろうか。あれをふざけて2度鳴らしたO君がいた。たった一度、一回だけふざけて鳴らしただけである。しかしそれを見た谷村は激昂。雄たけび声をあげながらO君にドスドスと走り寄り、O君の腕を掴んでそのままグラウンドを引きずり回した。しばらくしてO君の腕を解放した谷村だが、O君はすぐには立ち上がらない。すると即座に「さっさと起きろ!!!」と谷村はO君の腹部に蹴りをぶち込んだ

どうだろう。いくら今から10年前とはいえここまでのモンスターはなかなか珍しくないだろうか。というかこれ普通に警察沙汰だろ。

この谷村の噂は僕が小学校に入学した当初から聞いていた。「4年生の担任にやばい人がいるらしい」。この文言は、我が小学校に入った生徒は一人残らず何度も耳にすることになる。ちなみにこれは後から知ったことだが、谷村は問題行動を起こしすぎて低学年も高学年も担当させてもらえず、毎年4年生の担任をしているとのことであった。

更に絶望の新情報、我が小学校は生徒数が少なく、1学年に1クラスしか存在しない。

つまりは4年生に進学したら最後、あの体罰教師の元で貴重な小学校の一年間を過ごすことになることは確定するのだ。



桜が散って、地面に茶色く変色した花びらが積もった。可愛いピンクの花びらは昨日までの僕ら、茶色いのはきっと、今日からの僕ら。今日は始業式。4年生になった僕らは大人しく体育館に座っていた。入学当初から大幅に背も伸びて、体格もよくなった僕らは食い入るように舞台上を見つめていた。目の前では新年度の教師陣の紹介が行われている。


「1年生、○○先生」

「2年生、○○先生」

「3年生、○○先生」


次だ。次で僕らの1年間の全てが決まる。舞台袖で待機している谷村のことは一度頭からどかして、僕らは運命の啓示を誰より敬虔に待っていた。





「4年生、谷村先生」


知ってた

しかし僕らは眉1つ動かさなかった。誰もが胸中の感情を押し殺して、ただ前を静かに見ていた。恐らく他のどの学年よりも静かだった。面構えが違った。

僕らにとって、さっきの言葉はただの宣戦布告。これから始まる長く苦しい試練の、始まりを告げるベル。

始業式が終わって、チャイムが鳴った。僕らは足並みを揃えてヒソヒソと会話を交わしながら新しい二階の教室に入っていった。ワックスをかけたばかりの床はツルツルと滑り、大掃除をしたばかりの机や椅子は、今まで僕らが使っていたサイズと比べて一回り大きかった。



皆さんは「来年からゴリッゴリの体罰教師が担任ですよ~」って言われたら、1年をどう過ごすだろうか。ただ静かに、目につかないようにひっそりと1年が過ぎるのをただ待つだろうか。

僕らにとっての好都合は、そしてきっと向こうにとっての不都合は、僕らがクラス全員、一人残らずとても仲が良いことだった。

それを証拠に、3年生の終業式から今日の始業式まで、僕らは近所の公園で何度も会議を重ねた。クラス全員が集まって行われた総会の議題はもちろん谷村についてである。結論はこれ以上ない程スムーズに導き出された。




御託を並べず、唯一無二の我々の結論を述べよう。

「我々は必ず、かの邪知暴虐の担任を除かなければならぬ!」

僕ら反抗軍〈レジスタンス〉の象徴となる髑髏が印字されたシールを筆箱に貼ったなら、いざその拳を握って共に闘おう!いつかの我々の勝利のために!



そこからは長いようで、短いようで、でもやっぱり長いような闘いの連続だった。

配られたプリントは即座にその場で紙飛行機にして窓から放った。

授業にはクラス全員が一切参加せず、校庭でひたすら逃げた。

給食当番は給食を教室ではなく外に持ち出し、僕らは外で昼食をとった。

ドアを閉められ、鍵をかけられようものなら我々は窓をぶち破って廊下に逃げた。

生物観察をするためにビオトープに連れてこられたときは、S君が真っ先にその池に飛び込んですべてを無茶苦茶にした。

書道の時間に渡された墨汁は、机の塗料となった。

谷村が何かを喋ったときは、必ず誰かが奇声をあげた。

谷村が職員室に帰ったときは、職員室前で卑猥な言葉を声高に叫んだ。

4年生で飼育するために渡されたヘチマの種は、給食に混ぜて全て食べた

明らかにエスカレートした何人かの生徒は、懐にカッターを忍ばせていた。


要するにこれ以上ないほど学級崩壊した。教室は常に誰かの叫び声か奇声か、もしくは谷村の怒号が響き渡った。教室の窓は4分の1ほどヒビが入って、僕らの教室は一階の視聴覚室へ移された。給食の食器を毎日叩き割っていたら、いつしか僕らの給食はアルミホイルで出来た食器によそわれていた。

勿論、僕らの闘争の間、谷村による体罰は続く。僕も例外ではなく普通に顔面をグーでぶん殴られたりもした

でもそれで誰かが臆してしまったら、誰かが屈してしまったら、誰かが折れてしまったら。きっと今までの全ての決意と血が無駄になると思っていた。みんなそう思っていたはずだ。だから僕らの炎は決して消えなかった。

コツは一人にならないことだった。一人になってしまえば、大人の谷村からの暴力には到底太刀打ちできない。僕らは常に団体行動をしていた。誰かが標的にされたなら、誰かがその横から鉛筆を投げつけた。


桜が散ったって、梅雨が僕らを濡らしたって、照りつける太陽が僕らの水分を奪ったって、僕らの闘いに終わりはなかった。



季節は巡り、秋。もう何度目かになるこの公園での作戦会議は今なお白熱している。何故ならそろそろ、我々の中での一大作戦の実行の時期であったからだ。

作戦の内容とは要してしまえば「職員室にある谷村の机を木端微塵にしてしまうこと」であった。作戦の決行時刻は帰りの会。N君が合図を出したら一斉に教室を飛び出して、職員室の机を破壊する。この作戦は今までとは違って、他の先生をも巻き込む作戦であった。僕らはこの日のために入念に準備を重ねた。

体育倉庫にあった金属製の鉄柱(多分バレーボールの支柱)を持ち出して、二人組で装備した。スコップやシャベル、家庭科室にあったフライパン、とにかく硬くて強そうなものは片っ端から集めて、各々のロッカーや掃除用具入れに忍ばせていた。



運命の日がやってきた。ついに今日、全てが決まる。いつものように誰も何も聞いていない、着席すらしていない帰りの会がはじまろうとしていた。しかし今日は違った。全員が静かに着席をして、N君の合図を待った。いつでも武器を手に取って走りだせるように、一人も捕まらないように。


谷村が口を開いた途端、N君が叫んだ。


「いまだ!!!ころせぇ!!!!!」


合図だ!僕は叫びながら一目散に掃除用具のバケツを手に取って廊下へ飛び出した。他のみんなも同様だった。全員が奇声をあげながら、この特攻隊は職員室へ猛進していた。

普通に入ればいいのに職員室のドアをバレーボールの支柱で破壊した僕らは、一目散に谷村の机へ向かう。目標はすぐ近く、窓際の席。あっという間に職員室は阿鼻叫喚の嵐に包まれた。

飛び交う怒号と、響き渡る金属音。誰かが墨汁をそのへんの書類にぶちまけて、誰かが先生につかまって叫んだ。先生が制止しようと手を出したなら、誰かがその手に嚙みついた。誰かが持っていたカッターを投げつけて、誰かが持っていたハサミを投げつけた。湧き上がる衝動の発散に困った僕らはとにかく金切り声をあげた。狂乱だった。もうよく覚えていないが、とにかくアドレナリンがドバドバで、肝心の机を破壊しても、行き場を失くした暴動は他の設備へと矛先が向かい、瞬く間に職員室は滅茶苦茶になった。帰りの会の時間であったから職員室は手薄で、作戦はあっという間だった。なんか知らんけど普通に流血してるやつもいた。


この事件は僕らが想像もしなかったほど大事になった。当たり前である。職員室はしばらく清掃のために封鎖され、他の学年にまで影響が及んだ。PTAの偉い人、教育委員会の偉い人が、僕らのクラスの視察に来た。

それから僕らの担任は4人制になった。若い男の人2人と、女の人と、教頭先生だった。

そう、谷村は担任の座をおろされたのである。

僕たちの教室の小さなパルチザン闘争はついにここで結実した。そこからの展開は早かった。僕らはあっという間に更生し、2週間後には普通に椅子に座って授業を受けていた。学級崩壊の名残で、少し私語は多かったりしたかもしれないが、驚異的なまでの変わり様だった。



僕はこの一連の騒動を「僕らの勝利」と言うつもりは毛頭ないし、普通に学級崩壊は悪いことだと思う。だからといってこれを読んだ誰かに何か教訓めいたことを言うつもりはないし、今更ここで体罰の問題点について論じるつもりもない。

ただ「先生」という文字を見ると、どうしてもあの狂乱の職員室を思い出してしまう。そして気が付いたらnoteにログインしてしまっていたのである。

今、谷村はなにをやっているのだろう。かつての仲間たちは何をやっているのだろう。お酒が飲めるようになった僕らの最高のツマミとなるのは、きっとあの頃の話に違いない。



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