見出し画像

毒母への最後の手紙

今日は、月1回の診察とカウンセリングの日だった。結果からいうと、診察では早寝早起きを褒められ、カウンセリングでは母への向き合い方を褒められた。

大人になって、褒められることが少なくなるのが普通なんだと思うが、私はなぜか、子供の頃に毎日母から暴言を吐かれていたせいなのか、子供の頃よりも大人になった今の方が、人から褒められるようになった気がしている。

実は、先月、絶縁をしている母が私のマンションに来るという、私にとってはちょっとした大事件があった。ちょうどタイミング良く、ジムから帰ってきたばかりで、シャワーを浴びていたのが功を奏して、何度も鳴るインターホンに慌てて出たが、女性の声で「郵便です。」と言われたものの、全裸だったために「今手が離せないので、荷物はそこに置いておいてください。」と言うことができた。

そういうと相手は、「…」と一瞬無口になった。なんだか様子がおかしいぞと感じた私。でも、さすがにそれが、海外在住の自分の母親だとは気づかなかった。

しばらく沈黙が続いた後、「…ママです。」と小声で聞こえた。その瞬間、全身から血の気が引くのが自分でも分かった。怖くなって、無言でインターホンを切った。「母親が来た」。その事実が、どれほどの恐怖だったかは言葉では言い表せない。あえて言うなら、過去に襲われ殺されかけたストーカーに、直接家に来られるくらいの恐怖だ。

すぐに夫のことを思い出した。幸いジムに行っていて、不在だったが、このままでは鉢合わせになってしまう。何度も電話をかけた。が、その努力も虚しく、返信はない。まだジムにいるのだろうか。そう考えて、震えながら、台所に塞ぎ込んでいると、しばらくして着信があった。夫だ。

「もしもし、あの…ママがマンションに来てるみたいなの。今どこ?」と言うと、夫は戸惑ったように、「え、いや、なんか目の前にいるんだけど」。夫は、母と鉢合わせしてしまっていた。

結果だけ言うと、母は夫と1時間ほど世間話をして、帰っていったそうだ。世間話の合間には、もちろん私のことを探るような質問をされたらしく、どうも母は、私の病気が悪化したから、私が母をブロックしたと思い込んでいるらしかった。

私は去年、LINEで母をブロックした。私にとっては罪悪感との長い長い闘いに、やっと終止符が打てた瞬間だった。理由は、単純に母が私を責め立て悪く言うメッセージがいくつも送信されたからである。母親だからこそ、大事にしたかったし、愛し続け、連絡も取り続けたかった。が、これ以上彼女とつながり続ければ、間違いなくまた病気が悪化するだろう。自分でそう強く感じた。私にとっては、とても大きな決断だったが、母とはそれを最後に、一切連絡を取っていなかった。

妹や弟には、母とは絶縁することを話していたが、それが直接本人に伝わっているかは、わからない。いずれにせよ、「病気が悪化したから」母との絶縁に踏み切ったわけではなく、まさに「母に苦しめられ続けることで、病気が再発するのを防ぐ」ためなのだ。しかし、自分が一番正しい正義そのものと信じ疑うことをしない母にとっては、これをいくら懇切丁寧に説明しても、理解してくれることはない。

「今はお母さんとお会いしたくないみたいです。」夫は、そう伝えてくれたらしい。欧州から持ってきたお土産がホテルにあるから、取りに来いという母に対し、夫は、「それは遠慮させていただきます」とはっきり断ったそうだ。母はそのまま、笑顔で帰っていったらしい。

しかし、その数日後。

私が外出中のこと。家にいた夫によると、玄関の方で物音がしたらしい。インターホンはならなかったので、郵便物ではない感じがした夫は、物音が静まると、しばらくしてから玄関を開けた。

そこには、いくつも大きな袋に入った荷物があり、それらの袋にはマジックで、でかでかと私の氏名と部屋番号が書かれていた。母だ。あんなにはっきり断ったのに、母は私たち夫婦の気持ちを尊重せず、自分がお土産を渡したい気持ちを優先した。

中に入っていたのは、ほとんど私にとってはゴミだった。お菓子でも入っていれば、食べられたものを、中にあったのは、全く好みでない大きなポスターが2つ、紅茶が入っていた様子の空き缶、よくわからない石鹸などだった。

結局、いつもこうなのだ。母は変わっていなかった。恐らく私が、何をどう訴えようと、どう伝えようと、関係ない。私の思いよりも、母は常に、自分の思いを優先するのだ。残念だが、母は結局のところ、私を大切にできないのだ。

久しぶりに海外から会いに来ておいて、一言目が「郵便です。」という嘘だったのも、母らしいと思った。私が、もし母の立場だったら、本当に心配して来たのなら、「お母さんだよ、会いに来たよ」とか「突然来てごめんね」とか言うだろう。でも、母は違う。母の口から一発目に出た言葉が嘘だったのは、私を騙してでも、家に入ってやろうと思っていたからだ。私を騙す、嘘を付く。その時点で、無理なのだ。

私はできることなら、母を愛し続けたかった。いや、本当のことを言うと、今も愛してはいるのだ。彼女には、幸せになってほしいとすら思っている。幸せに過ごしてほしい。ただし、私のいないところで。

先日、知り合って数ヶ月の友達に、この話をしたら、「でも、たったひとりのお母さんなんだから…」と言われた。縁を切ることはしないでほしい、許してやってほしいと。それを言われた私は、思った。ああ、この人とは、この点に関しては絶対に分かり合えないな、と。彼女はとてもいい人で、優しく思いやりのある人だけど、幸せな親子関係を築けてきたという彼女自身の経験が、「母親は大切にするもの」という固定観念を生み出してしまっている。これでは、視野が狭すぎて、理解して貰うには相当時間がかかりそうだった。

でも、別に理解してなんてもらわなくていい。私は、自分でわかっているから。自分が知っていれば良い。母が大好きなこと。でも、同時に私には害でしかないことを。

ママ、さようなら。いつかあなたのお葬式には出てあげるよ。口がきけなくなったあなただったら、会っても問題なさそうだから。最後にお別れだけは、させてね。私を産んでくれて、ありがとう。あなたの育て方は、本当に間違っていたことが多かったけど、あなた自身も酷い母親に、不健康的に愛されず育ったことを今は、私も知っている。だから、赦すよ。あなたが私にした多くのことは忘れないけど、それでも赦すよ。でも、もう私とは会えないよ。私と同じ時間を過ごして良い権利を、あなたは自分で奪ったんだからね。会わないし、会えないけど。でも、元気でね。健康的に長寿を全うできますように。幸せにね。バイバイ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?