見出し画像

ああでもないこうでもないと、仲間と語り合い、共に想いを形にしていきたい。

自分や仲間の興味や関心にひたすらに向き合って、やってみたいを形にしていく場。

そんな時間と空間があったらな、と妄想している。それも、既に働いている大人たちに向けたもの。

学生向けには、たくさんの場があると思う。探究学習は広まってきているし、探究塾は調べればたくさん出てくる。もちろん地域差はあるので、まだまだ広がる余地はあると思うのだけれど。

大人に向けたそういう場所。自分の興味や関心にひたすらに向き合って、やってみたいを形にしていく場が、本当に少ないと思う。

他でもない僕が、その場所を欲しているので、いつか自分で作れたらと妄想している。とはいえ、頭のなかだけで妄想を膨らましていても、僕が望む場所は出てこないので、ちょっと思考の整理がてら綴ってみようと思う。

*****

夢組と叶え組、どちらも参加できたらいいな

夢組と叶え組、という言葉がある。桜林直子さんという方が仰っていることで、詳細は下記のnoteを参照して欲しい。

夢中になる能力がある「やりたいことがある人」を「夢組」だとしたら、やりたいことがない人は「叶え組」だ。

上記noteより

なんだか、世の中で言われることは「夢組」の立場しか考えていないものが多い気がしている。「将来やりたいことはなに?」と聞かれて育ってきたし、大人になってからも「どういう仕事をしていきたいのか」と上司に聞かれることがある。仕事仲間と話していても、「どういう活動がしたいの?」という話が多い。

探究においたら、より顕著になる。やりたいことがある人は、そこに突き進めばいいけれど、そもそも“やりたいこと”が浮かばない人もいるはずだ。そんな人に「自分のやりたいことを探すんだよ!」と言うのなら、それはもはや暴力だ。

だから、冒頭でも「やりたいこと」じゃなくて「やってみたいこと」と意図して書いている。なんかマイルドになりません?ニュアンスの違いかもしれないけれど、やりたいことがなくとも、やってみたいことは誰しもにあると思うから。それは興味関心と言い換えられるかもしれない。

「対話の場づくりをやってみたい!」でもいいし「想いのある人のサポートをしてみたい!」でもいいし。「やってみたい」になるだけで、だいぶハードルが下がる気がする。

夢組でも叶え組でも。どちらでもいいから、参加できる場があったらいいな。

複数人で、やってみたいを形にする場

自分の興味や関心にひたすらに向き合って、やってみたいを形にしていく場。

そう聞くと、なんだか個人作業の印象がある。もちろん仲間と切磋琢磨しつつではあるだろうけれど、あくまでも作業するのは自分ひとり。そんなイメージだ。

でも、僕が欲しい場は「複数人で、やってみたいを形にする場」である。

それはふたつの理由から。

①支えることに夢中になれる人もいるから

要は、叶え組の人の居場所になるから、ということ。叶え組の人は、ひとりだと“らしさ”が発揮されないはずだ。

(僕の妻は、完全に叶え組なので、日々見ていてもそう思う。良い意味で、ひとりでは動けないタイプ)

でも、チームになった途端、その人は輝く。なぜなら“叶え”組だから。他の人の夢を叶えることに、喜びを感じる人だから。

そんな人の居場所は、複数人にしないと生まれない気がする。

②ひとりで自分に向き合うって辛いから

これは、以前取材でお聞きした言葉からの影響だ。

人生を見つめ直す、ってひとりではできないんです。
(中略)
人生を見つめ直すって、きっとあったかいものなんですよ。淡々と向き合って悩むんじゃなくて、誰かと分かち合う体温のあるもの。

(記事はコチラ)

ひとりで、自分の興味や関心にひたすらに向き合って、やってみたいを形にしていく。それは、もちろん楽しいけれど、しんどい時間もあると思う。しんどいというか、投げ出したくなるというか、優先度が落ちてしまうというか。

そんなとき、「誰かと一緒にやっている」という事実は、踏ん張りがきく要因のひとつになり得ると思う。

大変なのも数倍になるけれど、その方が豊かなんじゃないかなぁ。

とはいえ、これはあくまでも“僕の豊かさ”であって。ここで書いているのは、僕が欲しい場なので悪しからず。僕は、チームで動きたいんです。

③掛け算は予想外を生むから

この理由が一番大きいかも。僕の経験上、ひとりで“予想外”を生み出せたことがない。仕事にしてもそうだし、学生時代の部活もそうだし。

ひとりで物事を進めていると、“自分”という枠組みに閉じ込められてしまう。しかも、無自覚的に。それを“らしさ”と呼ぶのかもしれないけれど、なんだか予想の範疇に収まってしまってワクワクしない。少なくとも僕は。

人と一緒に動くと、自分の思考回路にはないアイデアが差し込まれたり、正反対の意見が出てきたりして、カオスになりがちになる。

でも、面白い。まとまらなさ、曖昧さ、余白を味わうには、複数人の掛け算があると良いんじゃないかな。

仲間と語り合う場が欲しいだけなのかも

いろいろと書いてきたけれど、結局は「ああでもないこうでもないと、仲間と語り合い、共に想いを形にしていきたい」という欲を満たしたいんだと思う。

その“形”が、自分や仲間の「やってみたい」だったら、どれだけ楽しいだろう。どれだけ夢中になれるだろう。

自分や仲間の興味や関心にひたすらに向き合って、やってみたいを形にしていく場。

そんな場があったら、僕は入り浸る自信がある。

でも、現状なかなか見つからない。だったら、作るしかないのだろう。

妄想を綴っていたら、いつの間にか想いも大きくなってしまった。この場を作るのが、僕の「やってみたい」なんだろうな。

ということで、仲間と一緒に、僕の「やってみたい」を形にしていきたい。

興味のある方、ご一緒させてください。僕からもナンパしますので。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 あなたが感じたことを、他の人とも分かち合いたいと思ってくださったら、シェアいただけるととっても嬉しいです。 サポートは、新たな本との出会いに使わせていただきます。