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縁があればまた会える

伊勢神宮には“呼ばれる”という考え方がある。お伊勢さんに呼ばれると都合や天気、体調などあらゆることがトントン拍子に物事が進むという。いつか行きたい、なんて考えてるうちは行けない。“呼ばれる”と“行かねば”と感じるようになる。

そんな風に“縁があれば”と人は言う。

なのに会おうとするたび必ず何かが起る。もう本当に面白いくらい縁のない人もいる。

◆◆◆

初めて彼女にDMを送ったのは冬が始まった頃だった。

その夜は少し参っていたせいで、タイミング良く届いたSNSの通知に気が和んで、つい脊髄反射で送った。

いつか○○さんとスタジアム観戦行くのが夢です。

きっとこの人と遊んだら楽しいだろうなという確信があった。

ぜひぜひ🌸**
めちゃめちゃ楽しませるので来シーズン機会があれば行きましょう〜**⸜❤︎⸝

思った通りの人だった。
いつかもっとゆっくり話してみたいなと思った。縁があればいつかきっと会えるはず。

◆◆◆

でも大人になるほど“いつか”は来ない。

“いつか”は危険な言霊。いつか、いつかと繰り返す人ほど諦めの呪詛を自分に言い聞かせることになる。

だからってストレートに「一度飲みにでも行きましょう」なんて誘えるような人が羨ましい。つい物語を複雑にしたがる悪い癖がある。合法的な理由が必要だった。

スタジアム観戦といえば、その頃ちょうどオリンピックの2次抽選が始まった。ほら、縁とはそういうものだ。外れる気がしなかった。

◆◆◆

年が明けた。オリンピックチケットが当たるコカコーラのキャンペーンが始まった。箱買いなら得意だ、まかせろ。

さらに一ヶ月が経過して、もうコーラは飲めないと根をあげてた2月の終わり、彼女からDMが届いた。

こんばんは🌙**
3/26 18:00から○○スタジアムで野球観戦しませんか?
チケットが2枚取れたのでお誘いしました
**☺︎

相当嬉しかった。とりあえず新宿のバッティングセンターに走ったくらいだ。

ただそれは新型コロナウイルスが本格的に僕らの生活に影を落とし始めた頃だった。

◆◆◆

プロ野球12球団と日本野球機構(NPB)は臨時の代表者会議を東京都内で開き、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて3月20日に予定していた今シーズンの公式戦開幕を延期することを決めた。

それでもまだこの頃は誰もが、桜の季節までには収束してるといいなくらいに楽観していた。多少の延期も仕方ない。なのに

4月に延期になったら行けない…

と彼女は嘆いた。どういうこと?

そうしてスタジアムでのドラマチックな初対面を諦めて、どこにでもあるようなカジュアルな店で普通に話を聴くことにした。

◆◆◆

彼女はSNSでまったく自撮りの類いを晒すような人じゃなかったから、先に店で座って待つことにした。

ひとりで海外旅行にでも行けちゃうような行動力溢れるところが魅力だったけれど、ひとりナイター観戦とかひとり居酒屋(しかも和民レベル)で泡盛とか、ひょっとしたら禿げ散らかしたくそ親父が来てもおかしくなかったし、それでもきっとこの人と遊んだら絶対楽しいだろうなという確信があったのでまるで不安はなかった。

入ってきた彼女に店中の視線が集まった。
そこは期待してなかったと言えば失礼なんだけれど、とんでもないチャーミングな女性が現れたせいで、しばらく自分が何を見ているのか意識を定めることができなかった。

まあこれ以上盛ると図に乗るので控えるけれど、映画モテキのヴィレヴァン待ち合わせシーンみたいなことってホントにあるんだと驚いた。

いや、ひょっとすると誰かに頼まれて別の人が来たのかもしれない、と疑ってみたけれど、オーダーの前に「ちなみに昨日何食べました?」と訊くと「ひとりで松屋」と即答したので、ああ間違いないと確信した。

◆◆◆

そこで多くの初めての事実を知った。

中でもふたつ挙げるとすれば、ひとつは別アカウントで僕のことを10年もフォローしていてくれてたということ。そして何よりの驚きは彼女はこの3月いっぱいで転勤のため遠方へ引っ越してしまうということだった。4月に延期になったら行けない…の意味がようやく分かった。

長い人生から振り返れば、僕らは異なった方向からやってきて、たまたま進路を交差させ、ほんのわずかな時間視線を合わせ、そして異なった方向に離れていく。SNSの出会いなんてそのくらいに思っていた方がいい。縁があればまた会えると。

でもまだ3月の初めだった。あと2回は会っておきたかったので、とりあえず来週ドライブにでも行きましょうよと誘った。

10年もフォロー→【脳内変換】→10年前から好き…

女を10年待たせるなんて男の風上にもおけまい。会えるうちに会っとけ。

◆◆◆

3月が進むにつれ新型コロナウイルスの感染拡大は他人事ではなくなってきた。WHOがパンデミックを表明。三密という流行語が生まれ、うなぎパイは生産休止になった。

わたし熱が出ました…
今下がって来てるのですが、もしかしたら、もしかしたら難しいかもしれないです…。

約束の日までまだ数日あったけれど、とにかくそんな時期だったので当日まで様子見ながら過ごすより、一旦バラしてリスケしようと提案した。まだ3月が終わるまでには時間がある。

それからさらに急な用件で約束は後ろ倒しになった。

3月も半ばを過ぎると世界中で国境封鎖が行われたり「オーバーシュート」や「不要不急の外出」なんて新しい言葉が世間を賑わせた。

何かが起るのが怖くて連絡を取り合うこと自体にナーバスになっていた頃かも知れない。今度いつ会えるのかは、神のみぞ知る。

そうしてるうちに3月も終わりを迎えた。
志村けんが感染したニュースは深刻だったけれど、まだオリンピックはやるき満々だった。

◆◆◆

ようやく迎えたその日は雲ひとつない好天に恵まれた。約束をした当時はまだ感染者ゼロだった街へ向うことにしていた。

茨城大陸は二人とも初めてだったけれども地元出身の友達に薦められた日本三名園のひとつ偕楽園を散歩することにした。

不要不急にされた観光名所は気の毒なくらい閑散としていた。売店もシャッターが降り、まるでバイオハザードかアイアムアヒーローの世界のようだった。
さらに梅林で有名な名園なのに、季節が終わっていて、この世の終わりみたいな華も香もない梅林を僕らは散歩した。

「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかはー」

彼女は徒然草を詠んでくれた。
花は満開のときだけを、月は雲りがないのだけを見るものであろうか。いや、そうではないときに観るのもまた趣深いと。
「だとしたら今日来れたのも正解かもね」と僕らは笑った。

梅林を経て竹林を抜け、散策路を延々散歩した。

許される限り長くそこに留まり、そのとき眼にした情景を心の指先でいつまでも擦っていたかった。

ただ戻る時間が近づいていた。
運悪く彼女の職場の送別会がその夜に重なっていたから。

◆◆◆

午後の光が徐々に薄らぎ夕暮れの気配が漂った。
帰りは家路に急ぐ車が続く渋滞にはまった。

「少し眠ってていいよ」と僕は告げた「朝早かったし、このあと夜もあるしさ」
「大丈夫です」彼女は笑った「でも少しだけ眼を閉じるかも」

窓を透かすと遠くの道路から海鳴りのような音が風に乗って聞こえてきた。

こうして3月だけのバカンスは終わった。
都内に戻ると緊急事態宣言が出されるだろうという噂で持ちきりだった。

◆◆◆

新しい夏が始まろうとしていた。

ようやく緊急事態宣言も解除された頃、もう会うこともないかもと諦めてた人から思いがけない連絡が届いた。彼女が好きなアーティストのライブを観に来るために8月上旬に上京する、と。だったら横浜でやってるバンクシー展も一緒に観に行こうと約束した。

こういうのが縁ってことなんだろうなと神様に感謝した。世の中は少しづつ元の形に戻りたがっていた。

しかし7月半ば、都内は感染第2波に襲われることになる。

ライブは中止になった。上京は叶わなくなった。

それでも今度は、秋に元の職場の先輩の結婚式で上京するから、バンクシー展もギリギリ間に合うねという代替案を提案してくれた。

じゃあこれで直前にその二人が破談にでもなったら、もう運命だと諦めるよ、と冗談を交わしたくらいだ。

まさかそのときは結婚式自体が中止になるとは思ってもなかったし。

◆◆◆

そろそろわたしも気づいてました。
確かににふたりで予定を合わすと必ず!100%!ズレますよね。

会おうとすると面白いくらい必ず何かが起る。最初に待ち合わせた店も直近で日程の変更があったことを思い出した。ほんと100%だ。

それ、彼女に線を引かれてるだけじゃない?と言ってくれる親切な友達もいる。でもここまで重なると何か大きな力が働いてるとしか思えない。

神様か?いや、これ全部コロナのせいじゃん。もし最初にオリンピックチケット当たってたとしても駄目になってた。不可抗力だ。

◆◆◆

東京オリンピックが開かれようとしていた夏が終わろうとしている。

ソーシャルディスタンスなんて言葉のせいで、人に会うということ自体に特別な信頼感が必要になった。「コロナが収まったら」は大人の“いつか”に相当する都合のいい慣用句になった。

人と会う機会はすっかり減ってしまった。
だからこそ、このコロナ以降、出会えた人。再会した人、あるいは会いたいと思ってくれる人。かけがえのない出逢いだとずっと大切にしたい。

人に会うこと自体は重要じゃない。
いつか会えるかもしれない人がいることだけで励みになる。
会いたい人がいない人生は、欲しいものが何もない人生よりはるかに淋しい。

◆◆◆

今でも渋滞につかまるとあの夕暮れの帰路を思い出すことがある。

あの日、いつかこの風景を思い出すことがあるんだろうかとハンドルの上にカメラを掲げた。

窓を透かすと遠くの道路から海鳴りのような音が風に乗って聞こえてきた。

最後の日差しが車の中からこっそり移っていくと、記憶の中で眠る彼女は光の子のように小さく光った。


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