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『猫と遊ぶこと、それすなわちスポーツ』

猫と遊ぶとめちゃくちゃ疲れる、こう言うと猫との生活を知らない人たちからは、まず理解を得られず、「どれだけ運動不足なの?」と呆れられる。

だが、彼らは知らない、猫と遊ぶこと、それはスポーツだ。もはや一つの競技なのだ。


それはまず、相手にとって最も良きタイミングを見計らうことから始まる。
遅すぎてもダメ、早すぎてもダメ。
試合開始のホイッスルが鳴りそうだ、と察すれば、すみやかに〈カシャカシャぶんぶん〉を手に取り、私の体は臨戦態勢に入る。


相手は、ふだん切れ長の黒目をまん丸くして、床にお腹が擦れるほど体勢を低くし、おしりを左右にフリフリしている。


棒を突き出し、糸を垂らし、獲物を物陰に隠す。
しかし、ここで完全に隠しきってはいけない。ちらりと相手から一部分だけが確実に見えるように獲物を配置するのだ。


すると相手は、まん丸い目をさらに開いて、耳を伏せる。

「まだ、早い」私は自分に言い聞かせるように、一つ大きく息を吐く。
まだアマチュアだった頃の私は、駆け引きの意味も分からず、むやみやたらに棒を振り回していた。

でもそれでは、セロハンで出来た蝶のようなトンボのような物体が、カシャカシャとただ空しく乾いた音を響かせるだけになってしまう。

大事なのは、相手の興味、興奮、そして狩りたいという欲求が最高潮に達する、その瞬間を見極めること。

そして、相手の呼吸を読み、息を合わせること。
さながら相撲の立ち合いのように。
〈待った〉はなし。

相手のお尻フリフリの速度が上がる。

「来る!」
その瞬間、私は糸を思いっきり引く。しかし、ここでも、ただ糸を引けばいいというものじゃあない。
相手が、取れるか取れないか、そのギリギリのラインを常に保ち続けなければいけない。

相手が本気で追いかけてくる。
でも、すぐに捕獲されてはいけない。

私は、蝶なのだ、トンボなのだ、虫なのだ。

虫はバカではない。そう易々と猫に捕まったりはしない。そのリアル感、臨場感こそが相手を興奮の高みへと押し上げていく。

そして興奮が最高潮へ達したところで、相手に気持ちよく捕獲してもらう。

しかし、プロはここで手加減などはしない。
そんなことをすれば、相手にいとも容易く見抜かれ、場が白けてしまう。

あくまで本気で逃げている虫としての気持ちは絶やさない、それでいて相手のキャッチしやすいところへと棒を上手く使い、糸を操る。

相手が、一段と高くジャンプした。
予想外の動きに私(カシャカシャぶんぶん)は付いていけない。

そして、華麗に着地した相手の口には、見事セロハンで模した虫が咥えられている。
「勝った」
両者が心の中でガッツポーズする瞬間だ。

この競技において敗者は存在しない。
獲物を確保した猫も、その猫のなんとも誇らしげな顔を目を細めて見つめる私も、ともに勝者となる。

「いやあ、今の試合は盛り上がったなあ。もう一戦やるか!」と、相手を見れば、さっきまでの熱気はどこへやら、やる気スイッチをオフした猫が白けた目を向けてくる。

この競技は引き際も肝心なのだ、見誤れば、うざがられる。

静かに、〈カシャカシャぶんぶん〉を所定の場所に戻し、私はふうっと息を吐く。


あー、疲れた。

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