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探し物は神様からのプレゼント


秋の長雨は気温も低くなりがちで、これから訪れる寒い季節を彷彿とさせる。一日シトシトと降り続く雨のせいで今日は客足もまばらだった。


あと30分…。閉店時間まであと少し。


いつまでも降りやまない静かな雨に心の中で不満を呟きながら紗代子はガラス拭き用のタオルを手にして店の外へ出た。

ショーウインドーに掛かった雨の滴を、水で薄めたアルコールを霧吹きで吹き付けて拭き取ると跡が残らずに美しく透明に輝いた。ほんの少し、心が晴れるような錯覚で自分を誤魔化すと紗代子は小さくひとつため息をついた。

ディスプレイはこの秋の最新作。店を任されている紗代子はいつも自分の好みのスタイリングをこのウインドーに飾るのを楽しんでいる。

「ちょっと地味だったかしら…」

この秋の流行色のキャメルブラウンのナイロンコートにプリーツのロングスカート。インナーをオフホワイトのハイゲージのニットにしてみた。気持ちが沈んでいるときはコーディネートがうまくいかない。なかなか決まらない組み合わせは自分の心に完璧に比例している。


そうだ、アクセサリーで華やかさをプラスしよう。


紗代子は店内に戻り、パールのロングネックレスを手に取るとトルソーの首に掛けてみた。少し長すぎて間延びして見える。ちょうど良い位置を調整しながらくるりと一度結び目を作ってみる。Y字に形を変えたパールのネックレスは押さえたコーディネートにアクセントを与えてくれた。

ハロゲンのスポットライトに照らされて、パールを掛けた胸元のちょうどよい位置に光が当たって一気に華やかさが際立った。

「うん、これでいいわ。やっぱり困ったときのパールよね 」

真珠の光はダイヤモンドやクリスタルと違って女性の肌を優しく照らす。カジュアルな着こなしを主張しすぎずクラスアップしてくれるので万能に使えるお助けアイテムだ。


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店番をしながら紗代子は物思いに耽っていた。少し憂鬱なのは大学の同期の仲良しグループの一人が、この秋に結婚するという知らせを受けたからだ。


とうとう私一人が残るということか…。


20代も半ばを過ぎ、アラサーといわれる年齢になって、仕事は充実しているもののここ2年ほどで仲良しグループの数人が何かに追いたてられるようにぱたぱたと結婚が決まっていった。取り残されたような、出遅れたような、どこかで人生の舵取りを間違えたかのような焦燥感に苛まれながら、日々の忙しさにかまけて今の自分の状況を見て見ぬふりして来た。


まだ20代だし。やっと店を任される立場になれたんだもの。ここでエネルギーのシフトを他のことに分散させたくない。今が踏んばりどころだ。隣の芝生はどこまでも青く美しく見えるけれど、私は私の道を行く。今、目の前のやるべきことに全力を注ごう。

なんて…。それは表向きの単なる言い訳で、はっきり言って男性との新しい出逢いがないのだ。件のウイルス騒動でもう半年以上飲み会や合コンの類いは開くことができないでいる。新しい出逢いがないのだから結婚など夢のまた夢。大体もとからそういった集まりは苦手だし、仕事が終わるともうほとんど他のことに費やすエネルギーが残っていなかった。


またご祝儀とパーティー用のドレスを新調しなくては…


はぁ~、とため息がでてハッと我にかえる。

さっき飾ったばかりのウインドーをガラス越しにじっと眺めている男に気が付いた。


彼女か奥さんにプレゼントかな・・・


様子を伺っていると男は店内にいる紗代子に気が付いた。男の視線を感じてにっこり笑って軽く頭を下げた。


店の外から店内を眺めている男性客はおおかたプレゼント探しの下見だ。そのまま入店して購入することは稀で、大体そのまま帰っていくのだが、その男は違った。

ガラスのドアを開けて入ってきた男は、真っ直ぐに紗代子に向かって歩を進めて来た。


「いらっしゃませ」


「あのディスプレイはあなたがコーディネートされたんですか?」


「あ、はい。そうです」


「ふぅん…。そうなんだ」


何なのだろう。気に入ってるの?気に入らないの?値段が知りたいのか?それともサイズ?


「プレゼントをお探しでしょうか?」


「え、あぁ…。まぁ、そんなかんじです」


これはもしかしたらいいお客かもしれない。もしもあのコーディネートをまとめて買ってもらえたら、今日のノルマは達成だ。よし、がんばるぞ。


紗代子は接客モードのエンジンをMAXに切り替えた。


「あちらはこの秋の最新作です。特にコートのお色は今までなかった新色ですのでまだ街でも着ている人は滅多にいません。プレゼントされたらきっと喜ばれますよ。因みにその方の身長はどのくらいでしょうか?」


「え~~っと、そうだな…。160センチってとこ…かな?」


「普段お召しになっている洋服のおサイズは分かりますか?」


「えっと… 普通だと…Mサイズ?」


「イタリーサイズの38か、もしくは日本の9号というところでしょうね。それでしたらあちらに飾ってあるもので丁度いいと思いますよ 」


「そうなんだ。じゃあ、あのコーディネートを包んでください 」


紗代子は脳内に一気に湧き出たアドレナリンを必死に抑えるように落ち着いた笑顔でゆっくり言った。


やったね!飾ったばかりのディスプレイをトータル買いしてもらえるなんて滅多にない。今日はとてもツイてる!


先程着せたばかりのトルソーから洋服を脱がせながら、男の様子をちらちらと伺い見る。年は30代半ばというところか。明るいネイビーのスーツは流行りの細身シルエットだ。ダークネイビーにシルバードットのネクタイが品よく決まっている。ロングノーズのレースアップシューズは明るいキャメルブラウン。ちょうどこのコートと同じ色味だ。きっとこの秋新調したのだろう。ピカピカと光って落ち着いたビジネススーツにアクセサリーのように華を添えている。


「お待たせいたしました」


「ありがとう。じゃあこれで 」


男はクレジットカードを差し出した。紗代子は手早く処理し、サインをもらって品物を手渡した。


「ありがとうございます。喜んで頂けますように。またのご来店をおまちしております 」

店の出入り口まで男を送り出し丁寧に頭を下げた。

「ありがとう。また伺います 」

そう言って男は立ち去った。


いいなあ…あんなふうに素敵な彼からプレゼントされたら幸せだろうな〜


紗代子は男の後ろ姿を見送りながら、自分の今の孤独な身の上を顧みた。

だけれどもそう思うのはほんの一瞬だ。紗代子は男に服やアクセサリーをプレゼントされるのはあまり好きではなかった。何故なら自分が身に付けるものは全て、自分で選んで決めたいからだ。そして自分が働いて稼いだお金で買いたかった。たったひとつ、香りだけを除いては。



紗代子は人から香りのプレゼントをされるのが好きだ。しかしそれ以上にプレゼントすることの方がもっと好きなのだった。その人をイメージした香り選びには自信があった。そして送った相手にはいつもとても喜ばれていた。

その人を想う時間。それは物以上に嬉しいギフトのように感じる。なんて贅沢で情緒的な贈り物なんだろうと。自分のことを考えてくれている時間を想像するだけで充分嬉しいことだと思えるのだった。


例えば、さっき彼女にプレゼントを買っていかれたあの男性客のイメージは・・・。

頭の中で妄想が始まる。


澄んだ空気。柔らかな秋の陽の光。少し湿った土の香りと雨上がりの緑…。


一番初めに浮かんだのはクリードのベチバーだった。スパイシーなウッディーベースの落ち着いた大人の香り。しかし先程の男はこの香りを纏うには少し若すぎた。もっとシンプルでフレッシュな柑橘系のフルーティーなアクセントの効いたものが似合いそうだ・・・。


そんな風にして常に出会った新しい相手にも想像を働かせて似合う香りのシュミレーションをすることが紗代子の隠れた趣味であり、お気に入りの一人遊びの妄想ごっこだった。


先程の男性客の顔を思い出しながら楽しい妄想は続く。

若くて爽やかだけれど、マリン系ではないんだよな〜。これから季節的にももう少し雰囲気のあるのもがよさそうだ。

紗代子は頭の中に浮かぶたくさんの香りたちを脳内で再生させてそれを確かめるように深く息を吸い込んだ。

もちろん、何の香りもしないのだが、紗代子の脳内でははっきりと思い浮かべることができた。いくつもの銘柄を思い浮かべながらシュミレーションは続く。

違う…違う…。どれだろう…。

何個目かの香りでハッと目が覚めたような感覚を覚えた。


あ、これだ!


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それはトム・フォードの「ネロリ ポルトフィーノ」。

オードパルファムだが強すぎず、上質な天然由来の成分でなければ成し得ない、シンプルだが奥行きのある優しく爽やかなその香りは万人受けでしかもクセがない。だけれども若者向けのわかりやすいセクシーさや華やかさとは一線を画す大人のリュクス感が漂う香り。


パズルのピースがピタッとハマったときのような充実感と達成感にテンションが上がって気分がいい。本日の売り上げノルマは達成できたし、今日は本当にいい日だ。閉店の片付けをしながら紗代子は自然と笑顔になった。


こんな日は仕事帰りにいつものバーにでも寄ってみよう。

数年前から、仕事を頑張った日や何か嬉しいいことがあった日に自分へのご褒美として楽しむ時間を設けることにしている。

誰にも邪魔されない、空白のひととき。


いつからこんな風に一人時間を楽しめるようになったのだろう。

既に結婚して主婦になった大学時代の友人に言ったら「女が一人でバーで飲んでたら物欲しげに見られるからやめなよ」と言われたが気にしない。物欲しげ上等。そんな風に見たければ見ればいい。確かにこれみよがしな視線を投げかけてくる男や実際に声をかけられる事もあるけれど、それも含めて楽しめばいいじゃない。要するに、私が良ければそれでいいのだ。


店を出て駅までの帰り道の途中にそのバーはある。

真鍮のドアノブが付いた重い木の扉を開けると、カウンターの端に一人、先客が座っているのを目の端に捉える。


「こんばんは」


「いらっしゃいませ」


口数の少ない、しかし絶妙なタイミングで話を振ってくれる優しいマスター。

紗代子はいつも気分の良い時にこのバーへ来ることをマスターはわかっている。

スツールに腰かけるとまずは喉の渇きを癒そうと、モヒートを注文した。


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スペアミントの葉がたくさん入っていて、一口飲むとその爽やかな香りが鼻に抜け、気持ちの良い風が吹き抜けるように一気に疲れが取れた。


「はあ〜、美味しい!」


「今日はどんな良いことがあったんですか?」


「…うふふ。まあ、仕事はツイてました 」


「それだけ?」


「あとは…。見つけた。かな?」


「何かお探し物があったんですね。見つかってよかったです」


探し物?


そうではない、あの男にぴったりの香りを…と言いかけて紗代子はその言葉を心に留めた。


私の探し物…。


仕事は順調だ。こうして一人時間の楽しみ方も自分を喜ばす術も知っている。

あとは何が足りないんだろう。


もちろん恋人がいればそれに越したことはない。何度か人並みに恋愛してきて、その楽しさや喜びは他で得られる物質的な喜びなどとは全く違った幸福感を味わえると知った。しかしそれは自ら探しに行ってもなかなか見つからないし、目の前にあったとしても気付かないこともあるから厄介だ。「これがその探し物だった」と言い切れるのは結婚というゴールでしか断言できないことも知っている。何度かの別れを経験してきたし、痛い目にもあった。紗代子は恋愛に全てをかけたり重きを置くことに躊躇っている自分に気が付いていた。


結婚か…。あ、そういえば招待されたパーティーに着るドレスを買わないといけないんだった。会場まで行く服も何か新しいものがいいな。明日お店で探さなくっちゃ。


仲間内での最後の一人になることは少し憂鬱だが、友達の結婚はやはり嬉しい。幸せになってほしいしそれによって自分を卑下したり敗北感を味わうことは全く違うと思う。私は私の幸せを見つける。いつそのタイミングがやってくるかをワクワクしながら待っている。

心の目をしっかり開けて、機嫌よく保つことでいつでもそれをキャッチできる状態にしておくことが紗代子にとっての生きる姿勢だ。



さっきから何となく視線を感じるのは気のせいか。

カウンターの端に座った先客がふと気になった。


あっ…。


その男の足元に目が釘付けになる。そこに置いてあるのは白地にロイヤルブルーのロゴが入った紗代子の店のショッパーだった。


あの人だ…。


直視はできないものの、暗い店内でもわかる艶感のあるキャメルブラウンの靴。

背格好も間違いなく今日プレゼントを買った男性客だと認識した。


紗代子は店の外で客に会うことが昔から苦手だった。接客業の人間の持つサガなのだと思うが、一旦仕事から離れた時間に客に会うとその距離感をどう保っていいのか分からなくなる。ましてや自分がプライベートのリラックスしたい時に遭遇すると、何とかして気付かれないようにその場からフェードアウトしたくなるのだ。仕事以外で人に気を遣うなんてまっぴらだと思っていた。


紗代子はなるべく小さな声で、しかも話し込まないように当たり障りのない会話をマスターと交わし、モヒートを急いで飲み干すと勘定をお願いした。


「もうお帰りですか?今夜はお早いですね 」


不審がるマスターに愛想笑いを返し、支払いを済ませてバーを出た。


ふうう〜、気付かれずに済んだ。ああ疲れた。


本当はもう一杯ギムレットでも飲みたい気分だったが仕方ない。紗代子は気を取り直して駅へと向かった。


歩き出して程なく、後ろからアスファルトに靴の踵を響かせて走ってくる足音に気付いて振り返った。


「すみません。あの…。あの、これ 」


さっきのバーにいたあの男だった。


「は?…何でしょうか」


「これをあなたに渡したくて…」


それはさっき紗代子が男に売った服が入ったショッパーだった。


「何か問題ありましたか?」


トラブルか、もしかしたら返品?今この状況で渡されても対処のしようがない。

困った客だ…。明日、来店してもらって処理するしかない。




「いや、そうじゃなくて。これはあなたにプレゼントしたくて買ったんです。すみません、不器用なもので。でも、あの店でいつもおもてのウインドーのディスプレイをされているのを知っていたので。その…。勝手に見ていて。いつも素敵だなって、センスいいな、って。綺麗だな、って…。思ってて…。そう、あのバーに入っていくのを以前お見かけして。今夜は一か八か、賭けに出てみました。もし来てくれたら、想いを伝えようと…」


そこまで言うと、男は恥ずかしそうに下を向いてしまった。

紗代子は一気に緊張が緩んで、何だかおかしくなって笑ってしまった。

その笑いにつられて男も顔を上げて頭を掻きながら照れ臭そうに笑った。


「あはは…。あの、それで綺麗だな、って思ったのは…。その、どっちですか?洋服なのか、それとも…?」


「あなたです!もちろん。そして、この服が絶対似合うと思って、思い切って今日はお店に飛び込みました!」


「それはどうもありがとうございます。これは私が着たい服ですから、私が似合うに決まってます。サイズもぴったりだしね!」


「そうですよね。うん、当然だ。そして、身長は…160センチくらい…ですよね?」


「まあ、だいたい合ってます。でも、本当にいいんですか?」


「もちろんです。そしてもし時間がもう少しあれば、先程のバーでもう一度、飲み直しませんか?」



男と女の出逢いなんて、どこに転がっているかわからない。ただ毎日を丁寧に、楽しみを見つけながら自分なりに努力して機嫌よく暮らしていると、ある日突然神様からのプレゼントのように与えられるのかもしれない。幸せを掴もうとして必死にもがくより、こんな風に日々の自分のことをちゃんと見ている人がいてくれることに、少しの希望と喜びを見出してもきっとバチは当たらないだろう。


「本当はもう一杯、ギムレットを飲みたかったんです」


紗代子がそう言うと、男は満面の笑みを浮かべてうなずいた。


そして紗代子の頭の中では、洋服のお礼はあの香りにしようと決めた。


「やっぱり今日はツイてる!」


そう思ったのは紗代子か、それとも男か。


ふたりは足取り軽く、駅を背にしてもといたバーへと歩き出した。


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