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大人の発達障害の私の職歴と基本的な考え方?

発達障害だと仕事が続かないという話をよく聞きます。

それは、集中力の問題なのか、職種と特性があっていないのか、それともコミュニケーションの問題なのか様々な問題があるかと思います。

私の場合は、周りの方の理解もあり、運よく職歴を汚さずに済んでいるタイプだと振り返れば思います。1か所と、現在の家業?だけ今考えれば、発達障害だったからだろうなっていう仕事もありました。

そんな私が、どんな仕事をしてきたか、お話します。

学生時代のアルバイト

私は通信課程の大学に在籍していたため、日中生活費を稼ぐためにアルバイトをしていました。

4年間、事務請負会社で、大手通販会社、大手通信会社の事務の仕事をしていました。コールセンターのような仕事をする時もあれば、書類をただひたすらチェック、入力するだけの仕事の時もありました。

このアルバイトは幅広い年齢の同期が20人ぐらいと沢山いて、年が近い子とも仲良かったし(お互い嫁いだ今でも、新幹線の距離だけど遊んだり)、年上の親世代の方々とも仲良くしていただいて、自分の子供の年齢に近いと、色々可愛がっていただきました。

私は、マニュアルがあるコールセンターののような事の方が少し楽でした。答えが決まっているからだと思います。ただ、相手の顔が見えないので時々怒らせてる時もあったかな(笑)

書類をただひたすらチェックするのは集中力がなくて大変でしたが、チームみんなで仕事をしていたので、私だけ仕事ができないとか目立つようなことはありませんでした。

大学3年目から6年目の卒業まで無事に勤め、3月末で退職しました。

ちなみに大学入って2年間は中学生の家庭教師のアルバイトをしていました。


コンピュータ会社

大学を卒業し、私が就職した会社は医療機関向けのコンピュータソフト会社でした。

そこで、私はインストラクターとして働く事になりますが、8か月で退職しました。

退職した理由は、

・私を指導する社員が忙しく、自己流でインストラクターとしてデビューするために、自己研磨するも、会社が求めるスキルに対して私が追い付かなかった。

・最初の赴任地にが地方で、営業先も訛りがひどくて相手が言っている事を理解するのも大変、生活になじめず、辞めれるなら辞めたいと思っていた。

・丁度リーマンショックが起きて、会社の業績が悪くなった。

・上司が体育会系で罵声も浴びせられたし、長くこの会社にいたくないと思ったから。


最終的な決め手は上司です。


今思えば、先日受けたWISCのテスト結果の項目も色々この会社であった事に当てはまることが多く、早く見切りをつけてよかったと思います。


出版社

コンピュータ会社を退職した後、リーマンショックもあり、中々就職できず、有給も、貯金も使い果たし、フラフラしていました。その当時、実家近くに住んでいたのですが、政令都市とはいえ首都圏程求人はなく、関東の大学に進学していた妹を頼りに状況し、転職活動を開始。派遣で出版社で働き始めます。

数か月間の契約満了で終了するも、転職サイトに求人が載っているのを発見。

応募し、ありがたいことに合格。

教育系の出版社で私は幼児向けの教材の仕事をしていました。

5年程勤め、主人と結婚するために退職。

出版社の仕事を長く続けられたのも、派遣である程度仕事を理解ていたから、仕事を理解するまでに時間かからなかったのと、教育系で、人を育てる会社だったので、常に改善点をお互い見つけ、協力しながら仕事をすすめていく社風だった事。

私もマネジメントやら、開発やら、育成やら色々経験させてもらいました。

今でも会社の先輩方には可愛がってもらっています。

薬局経営

結婚して、1か月も休まず、主人が経営する薬局にとりあえず入る。

医療業界独特なのは知っていて、主人には申し訳ないけど、規模が小さければ小さいほど個性が強いなって思った。

しばらくすると、体に異変が現れ、

もう、仕事いきたくないんじゃ!

と、切れる。

薬剤師の嫁もらえばよかったじゃんか(# ゚Д゚)

とも。

色々いわれるのが面倒だったので、一応、簿記3級と登録販売者の資格だけは取った。

薬局の経営の仕事もフルで出ると、私が体壊すのもあり、一応、文句言われないように資格だけはとって、本当に最小限しか出勤しないことにした。それ以外は在宅勤務。

今は、週2日10時間程度出勤し、それ以外は在宅勤務をしている。


マスコミ

今から4年前、薬局経営の傍ら、週2しか働かなくなって、子供もおらず、不妊治療する、しないの話も出ていなかったころ?暇になったので、老後のお金少しでも稼ぎたい!と、合間にできる仕事を探していました。

そこで、マスコミの経理部署の求人を見つけ、応募。

自営の仕事とWワークになることも正直に伝え、契約アルバイトで採用していただきました。

仕事はボリュームたっぷりで、忙しかったし、大変だったけど、楽しかったです。積極的に動けば動くほど立場関係なく、勉強会や、チャンスの場を与えられる企業でした。1年程働き、退職。

この会社を退職した理由は、丁度部署が解散、どこに異動になるかわからないっていう状況もあったけど、

不妊治療のために休みを調節するのがしんどくなったから。

っていうのが正直なところ。

上司も女性だったし、周りの同僚も、ママさんが多く、みんな何かしら理由があって、遅刻、早退、欠勤は当たり前の部署だったけど、私の身体のスケジュールが不定期だったので、そのたびに、仕事調節して、休みの交渉して、病院行って、治療して、働いてっていうのが、息苦しくなったんです。

そんな事で退職しなくてもいいって声もかけてもらいましたが、退職しました。

今でも会社の方には可愛がってもらっています。


働き続けられた理由

8か月で退職したコンピュータ会社と、薬局経営は発達の特性出て、長く続いていない、経営は続けないといけないので黒子のように働いていますが、それ以外は特にトラブルも無く、就職・退職をしています。

働き続けられた理由を自分なりに考えてみました。

理由1→環境が整っている。

名前は出せませんが、学生時代のアルバイト先も、出版社もマスコミの会社もすべて名前を出せば誰でもわかる会社です。大きい会社なので、人を育てる仕組みもできていたし、仕事が細かく分類されていたんだと思います。

理由2→周りが人が素晴らしかった。

周りの人が素晴らしかったっていう言い方は上から目線かもしれませんが、本当にいい人たちばかりで、私も色々コミュニケーションを学ばせていただいたと思っています。確かにむかつく上司もいたし、嫌な同僚もいたけど、あの人がいるから今日も仕事に頑張っていこうとか、そういうのがあったと思います。そして、今も可愛がっていただいて、本当にありがたいです。

理由3→マイナス思考を極力しないようにしていた。

うまくいっていない時とか、疲れてるときって、誰でも、何でも人のせいにしたいし、他に責任転嫁したら解決しないけど気持ちは楽なんですよ。本当に。私もそんな時もありました。

正直、行きたい大学にいけなかったし、行きたい大学行ってたらほかの道で成功していたかもしれないって思ったこともあります。

ただ、そこでウジウジしてても仕方ないっていつの間にかきづいて、達成するにはどうしたら出来るようになるか…と色々考えるようになりました。

色々考えるようになりましたが、全ての事に対してこの考えは私の生活の中では取り入れていません。嫌なものは嫌だから、本当に受け入れられない事は受け入れず、そこで終了にしています。

終了にして、その後、思い出さないようにもしている。

思い出してまた負の感情に振り回されると、それだけでも疲れてしまうから。負の感情の時にした決断ってなにかしらうまくいかない事も多い。

最後に

今、私は2歳のイヤイヤ期の子育て真っ最中。

私の負の感情を持ち出して、子供を不安にさせることもしたくないし、変な決断もしたくない。

35歳に片足突っ込んでの出産だったので、子育ては若いお母さんと比べて体力的には間違いなく劣るし、もしかしたら子供と健康面で長くいられないかもしれない。

そう考えたら、仕事も育児も何事も前向きにとらえて、前に進みたいと思っている。

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