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本づくりをひとりで進めている人への尊敬

自分ひとりでタクトを振るうことが
どれだけ困難なことなのかを、少し理解した。


誰かと一緒にクリエイティブしていれば
もし自分が不安を感じたときに「意見」をもらうことができる。

ただ、そのすべてを自分で背負ったときに
それらの判断はすべて自らの感覚を頼ることになる。

ファンや、身近な友人がいればその人たちのことを思い浮かべることで
そういった不安は解消される方向に向かうかもしれないけれど
もしもすべてがゼロからスタートするとしたら
それはとても困難なことなんだな、と。


さらに難しいのは
誰かの意見を聞いたとして
それを納得し、受け入れ、修正できればいいけれど
その意見に納得がいかなかった場合
結局のところ、自分の感覚に戻っていくということ。

違和感なく意見を受け入れられればいいけれど
そうでなかったとき。

「これは自分で判断しなければいけないんだな」と
直感が震えたときに、最後は自分の目の前に戻ってきてしまう。


本づくりをすべて自らの手で行っているすべての人へのリスペクトが
日々、どんどん深まっていくのを実感している。

と、同時に、頭を抱えてもいる。


とても難しいことにチャレンジしているんだな、と。
それに加えて、イベントに出展するなどするなら「期限」が加わる。
もちろん商業誌でも発売日を定めて進行するから同じだけれど。

自分の過去の経験がほとんど通用しない。
新しいことへの大きな、とても思い切ったチャレンジである。
それを、とても痛感している次第です。


誰しも、何かに向き合っている。
仕事、プライベート、家族、友人、学校、勉強、生きること。

そこに正解はない。
自分ですべて選んでいて
自分ですべて選ぶことができる。

たとえ「流されてしまった」としても
それは自分の意志になるから。

だったら、自分の意志をしっかりと握りしめて
大きな声で「自分はこうしたい」と叫んで
前に進みたい、そう在りたい。

そういうコトばかり書いている。
そういうコトしか書けないかもしれない。
でも、繰り返し続けて馴染ませていく。

いつか在りたい自分に近づけた時まで。


予定の締め切り、明日なんですけどね。
後ろに倒すこと、ほぼ確定だけど。
なんとかなる、なんとかする。

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