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僕もあんな風に飛んでみたい

じぶんは、何者なのか。



生きていれば、いろいろなコトが起こる。
ほんとうに予期しないことの連続で、思うがままに生きようとしても
それが叶わないで生き続ける者は、星の数ほどいるんだろう。

「なぜ、自分だけが」

そんな言葉が、口をつく。
そんな現実を受け止めるには、どうしたって時間がかかる。
それは時間が解決するものではないのかもしれない。
それでも人は、時の流れに身をゆだねることで、受け止められなかった現実を見ることができるようになったり、その話題を口にすることもできるようになったり、また自分は何者なのかを、知る。

そして、自分の中にあった「ほんとうのじぶん」を見出すことで、歩くことすらままならなかった心が稼働し、躍動し、歩くこと、走ることができるようになるのだろう。

未来は誰にもわからない。

いま置かれている状況が一年後、三年後、五年後、十年後
大きく変化している可能性は、誰にも否定できない。
そんなことを思い、想い、思ひ、信じてみる。


大きく息を吐いてみる。

吐いたら、吸って、また吐いて。
お腹が膨らんだり、へこんだり。
生きていること、実感できる。

いつもやっていること。
死ぬまで繰り返すこと。

それでも、そこに意識を持っていくことで
なぜ生きているのかを、確かめている。
見上げると、トンビが気持ちよさそうに翼をはためかせていた。
風に乗って、緩やかに、穏やかに、どんどん高度を上げていく。

青空に映ったソレは、とても神秘的な輝きを放っているように、僕には見えた。どうして、どうしてこんなに羨ましく思えるのか。

僕もあんな風に飛んでみたい。

自由に、誰にも止められることなく、自分の意志を、想いを、カタチにして、誰かと比べることなく、空へと舞い上がってみたい。
そうしたら、どれほど、ワクワクすることができるんだろうか。

いつか抱いた子どもの頃の鼓動が、また自分の奥深くに蘇る瞬間は、言葉にはしがたい奇跡のような瞬間なのだろうか。
そんな日が、来ることを信じて。


視線を水平に戻すと、よせては返す波打ち際。
同じようなくり返しは、永遠に続く日々のようにも感じられるが、
実際はひとつとして同じ波はやってこない。

僕らの人生も、生きていれば同じような日々に思えて、それはまったく違う出来事の連続で出来ているのではないかと、少し自分に言い聞かせるように、その波を見つめて立ち尽くした。

また、歩こう。
今日の散歩はここまでだ。

波の音、潮風、相変わらず強く吹きつけてくる。

ここに来ると僕の奥深くをエグった何かが少しだけ和らぐようで、そんなこと本当はないのに、そう思えて仕方なかった。

だから来れるときは、時間を見つけて
家から徒歩十分くらいの海岸沿いを散歩している。

未来は誰にもわからない。

だから、また、時間と少しだけ旅をして、歩いていこうと思っている。
誰にも気付かれない声で、そう、つぶやいてみた。

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