本から聴こえる "声" を待っている
書かないとって思うことが、どんどん積み重なるのに
僕の筆は、動かなくなると、しばらく書くタイミングを見失う。
とうとう1か月を切った文学フリマ東京のあれこれ
本の紹介とか、出展者としての自己紹介とか
もっともっと、アピールしないといけないのだけれど
いまはどうしてか、心が動かない。
そういう時には、どうやっても自分の腑に落ちる言葉なんて生まれない。
ことを、僕は知っているから、やっぱり書く気になれない。
本づくりの進捗については
実際はもう出来たのだから
さっさと本の紹介すればいいのだけれど
自分にとっての「1冊目」だということもあってか
あまりに思い入れが強すぎるからなのか
紹介文を書くタイミングを見失っている。
ただ、どの文章も自分が「書きたい」と思った時でなければ
ちゃんと内側から言葉が視えてこないから
書かなきゃっていう焦りもあるけれど
タイミングを待っている。
「ねぇ、書いてよ」っていう声を
自分で作り上げた本から、聴こえるのを待っている。
焦り、不安、恐れ、ちょっとだけ置いておいて
ちゃんと受容して、その時を待っている。
あとは、4月20日に起きたことについて。
人生で初めて作った本を、自分以外の誰かに見せて
初めて感想を受け取った日。
僕は誰かに何か言われても
「いやいや」とか「そんなことないですよ」とか
恐ろしいほど謙遜グセがついてしまっているんだけれど
自分の本に対しては、何を言われようとも、受け入れようと思っていた。
もちろん、批判は一切、受け付けません。笑
だって、嫌だし、怖いし、無理だもん。
急に語彙無くなるほど、怯えてます。
感想は、しっかり受け止めようと思った。
それがたった一言だったり、たくさんの言葉をくれたり
大なり小なりは全然関係ないけれど
「手に取って、見る」ということも、その人の選択で。
それを選択して、見た時点で、すでに僕は何かを受け取っているし
少なくとも手に取って開いてくれた時点で
僕の言葉はその人の脳内に言葉を投げかけていて
それが響くか否かは別の話として、その事実は、ちゃんと僕に残るから。
見てもらえたこと自体が、とにかく嬉しかった。
ああ、自分の本を読んでもらうって
こういう感覚なんだなって。
まだちゃんと解っていないだろうけれど、全然それで良くて。
とにかく自分は、前に進んだんだな、と。
ちゃんと動いて、行動して、何かをカタチにしたという事実が
何よりも自分にとっては、大きな出来事だったから。
またそのことについて
書きたくなったら、掘り下げて書けたらいいな。
いまはやっぱり、向き合える時ではない。
少し時間に身をゆだねて、心が震える時を待ちたい。
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