私とあなたから、私と私へ

2019年の終わりに実感が増して、2020年以降はこの感覚が平常の「土台」になるんだなとつくづく思ったのが「分離のない私」という根本感覚の確かさだ。
「私」はひとつであり、個々に分かれて見えるすべてのものが同じ「私」の様々なあらわれである。このことを理論上認識している人はたくさんいる。
存在するありとあらゆるものが同じひとつのものであるということを「そうなんだろうね」「なんかわかるよ」と受け入れられる人は多い。
けれども、現実にそれを実感しながら生きているかと問われると、そうとは言えない状態が依然として続く。精神世界の知識としてそれを理解していても、耳にタコができるほど聞いていても、普段は「そのことを忘れた前提があるからこそ成立している世界」を自分自身の通常の状態として生きる。
私たちのほとんどが本当に、ひとつの私という気づきを土台に日常を生きていたら、現状見られるような世界は存続し得ない。

じゃあ、「多くの人が一緒に気づけるように」呼びかける? 
「みんなで目覚める」ための活動をする?
ううん、究極的には、その必要はない。
たとえば私に必要なのは、私が気づいたままで生きること。自分が目覚めていることにほかならないのだ。
そのように生きる中で、自然としたくなる活動としてこうした執筆があるのなら、「結果として」私はそれを行う。
結果としての「形態」は色々あるし、変化もするだろう。もちろんあなたには、あなたにとってのそれがある。
ただし、「他者に説くために活動している」とか「自分以外の誰かのために呼びかけている」と思うことは、本当は錯覚なのだ。

私とあなたという概念に意味がなくなる世界。
これからあなたを、その世界にご案内しよう。

鏡に映った横顔や後頭部を、それぞれ別人と認識できるか

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