全生物のコミュニケーションリンクへの感受性を取り戻す【テレパシー的存在として】

よろこびに満ちあふれている人を見たら、「何かいいことあったのかな?」と考えることが、この世界ではまぁ、まだ普通だよね。
幸せやよろこびが、出来事や状況と結び付けて考えられているということ。
これが完全に幻想だと、あなたはもう気づいてる?

よろこびにも二種類ある。
「反応」としてのよろこびと、「ただ在る」生粋のよろこびだ。

反応としてのよころびは、喜怒哀楽というように、両極の感情の一端なので、その感情を「ポジティブ」とすれば、逆の「ネガティブ」も対になる。
一時幸せでも、しばらくすると不幸に。喜んでいても、状況が変われば落胆する。

しかし、「ただ在る」生粋のよろこびは、そうした二極に分かれた「反応」ではない。
あなたの内にいつでも備わっていて、消えることがないよろこびだ。
なぜなら、それはあなた本来の性質だからだ。存在の属性だからだ。

では、どうして人間は、「ただ在る」生粋のよろこびを感じていないのだろうか。人間の世界には反応としてのよろこびは多くあるが、その反対の極である悲しみや苦しみもまた、多くある。

私たちが自分自身をどんな状態にしてもなお、私たちの内には無傷のまま、存在のよろこびがあり続けるのだが、それを「無視すること」「見えなくすること」も可能だということだ。

逆に言えばあなたの決意次第で、そのよろこびを今感じること、あなた自身の「常態」にすることが可能だ。
ただし、それは外部的な条件によってもたらされるのではなく、あなたの「内で」、自ら真の自己と繋がることでしか実現できない。

あなたに必要なのは、外を見て反応することではなく、内とのパイプを太くすることだ。自分の存在の「本拠地」がどこにあるかを見誤らないことだ。

すると、あなたの視点は「現代社会で通常と見なされる発想から」逆転することだろう。
何が「因」で何が「結果」であるかを正しく把握するようになるのだ。

美しく咲いた花を、よろこばしい「表現」と見て、その根を無視することは可能だろうか。
土の中を「ないこと」にして、花だけに執着するとしたら、その姿勢がどうアンバランスなのか、全体を見ている人にはわかるはずだ。

テレパシー的存在である私たち

霊的存在としての本来のあり方に返ると、コミュニケーションについても真の理解が訪れる。
人間の「現在信じているこの世界」においては、行動次元でのコミュニケーションこそが効力を持つという観念が優勢だ。
「形にする」ことを重視している、と言い換えてもいい。
言葉にする、話す、会う、ふれあう……そうしたことがコミュニケーションだと考えているが、どれも「二次的なもの」で、元には「思い」がある。
(参考にしていただける記事◆「お互いが、お互いにとって概念として意味を持つこと」

つまり、あなたの内にある思いの次元、目に見えないところで起こっていることが「先」なのだ。そこから形は発生している。
思いの次元で起こるコミュニケーションを「テレパシー」と呼んでもいい。
つまり、形を結ぶすべてのコミュニケーションの元には、思いによるコミュニケーション、テレパシーコミュニケーションが存在する。

私はこれまで、テレパシーについて折にふれ伝えたり、教えたりすることをしてきた(詳しくはブログを)。
2018年の秋には、テレパシーを集中的に扱う講座を行ったのだが(ブログ内カテゴリー★テレパシー講座★)、翌年のテレパシー講座の上級では、人間以外の生物との異種間コミュニケーションに焦点を当てた。

私は、私たち人間が「テレパシー的存在である(今もそうである)」ということを思い出す必要性と、近い未来にはその在り方が主流になっていくとの大局的理解を持ってそうした活動をしてきた。

また、現代人はこのことをおとぎ話のように捉えがちだが、人類が自然界の一員であるという自覚をもっと持っていて、他の生物たちとコミュニケートできていた時代もあった。
今でもその自覚を伝統として守っている文化の人々は存在している。

他の生物と意思疎通できないことは「異常事態」であるという認識を、現代どれほどの人が持っているだろう。
人間以外の生物の知性を「脳」の大きさではかり、彼らに思いや感情はないことを当然とする――この歪み、誤認識を解除しない限り、人間は「自然界から切り離された者であるとの錯覚」、「自然対人間という対立構造が成り立つという勘違い」を維持し続けてしまう。

人間同士のテレパシーコミュニケーションが常時起きていることはもちろんだが、自然界の全生物のコミュニケーションリンクから、人間だけ「外れている」はずがない。
人間だけが、自分には聞こえない!(繋がっていない)と信じて、他の生物の仲間たちみんなが認識しているテレパシーの繋がりを、表層的には「無いこと」にしているのだ。

人間と暮らす生物と野生生物、コミュニケーションの際の姿勢の違い

個人の背景を紹介すると、私は今、野生生物とのコミュニケーションに関心の焦点を当てている。
そこにはあなたのごく身近に日常的に存在しているであろう、虫たちや植物たちも含まれる。

これ以前に私は、人間とともに暮らす生物たち(コンパニオン・アニマル、俗にペットと呼ばれる生物たち)とのアニマル・コミュニケーションを経験しており、その経験を通してよくわかったことがあった。
それは、人間と一緒に暮らしている生物たちは「家族の一員」として、人間への多大な思いやりと興味を持ってくれているということだ。
彼らのこの姿勢のおかげで、人間と暮らす生物たちとのコミュニケーションは本当に容易だ。

多くの人がこれを実感していないのは、テレパシーコミュニケーション自体を信じていないためと、その使い方に注意を払っていないためである。
家の生物から伝わってくるものがあっても、自分で心のドアを閉めて遮るような状態。そして自分の思考や感情は、流しっぱなしで無自覚でいる状態。
たとえば、「この動物が、こんな風に考えたり感じたりするはずがない」「わかるわけない」との思い込みでコミュニケーションを否定する。

これが積もり積もると生物は、「ああ、人間ってそうなんだな」と理解し、人間に「わかる形でしかコミュニケートしない」よう努力する。
鳴くとか、吠えるとか、行動で示すとかね。

あなたが一緒に暮らす生物へ愛情を持っていれば、その愛情は相手に伝わるが、コミュニケーションに限界を設けることによって、相手を「自分の思う範囲内の生物というもの」に仕立て上げているのだ。
その姿勢は、魂同士として対等にコミュニケートすることとは違う。

また、人間と一緒に暮らしている生物たちは、飼い主や家族のメンバーの心を密に「反映する」。
そのため、アニマル・コミュニケーションのセッションは、何らかの形で「人間の心のセッション」になる。

私は昨年末から今年にかけてちょうど、スピリチュアル・カウンセリング等のすべての個人セッションを終了した。
私自身のやりたいことは長年を経て、人間の心の癒しから、自然界の調和を乱さないために人間の心を癒すことに変わっていき(人間も自然界の一部であり、自然への著しい影響を与えている)、今はダイレクトに他生物へ向いている。
アニマル・コミュニケーションは素晴らしい経験ではあったが、人間の心のセッションに携わる点が過去の仕事と共通なので、この機に他のセッションメニューすべてとともにクローズしたのだった。

野生生物の世界に改めて焦点を移してみると、気づくことがある。
野生生物は、人間の暮らしとの接点は持ちながらも(人間と直に関わることがほとんどない生物でも、環境面で人間の影響を受けている)、人間と一緒に暮らす生物たちとはかなり異なる生活と内面世界を持っている。
そしてそれは、多くの人間のほぼ知らない領域と言っていい。

しかも◆「一日、一虫(いちにち、いちむし)。虫へのこもった熱い思い」の中でふれたように、野生生物にとって人間は自分を脅かす存在であることが多い。生きていくために、人間に警戒する状況が日常茶飯事である。

同じ「生物とのコミュニケーション」と言っても、このスタートラインの差があるので、野生生物とコミュニケートする際には自分の内的姿勢を、よりつぶさに見ていかなくてはならない。
私は、どんなエネルギーを発しているのか。

テレパシーは、エネルギーによるコミュニケーションだ。
エネルギーの世界で嘘はつけない(言葉や行動では嘘がつける)。
人間がテレパシーを実用できずにいるのは、自分を偽り、互いに本当の思いを隠し合いたい部分があるからだ。
思いが「ダダ漏れ」の状態を、あなたは受け入れられるだろうか?

人間と一緒に暮らす生物は、家族である人間と理解し合うために(コミュニケーションの相手が本人ではなく「仲介者」であったとしても)心を開いてくれる。
野生生物はどうだろう。
生命をかけて、あなたがコミュニケートしようとする「動機」と、あなたの「心の状態」を感じ取っているのだ。

これまでのところの私個人の実感としては、野生生物とコミュニケートするには「人間と暮らしている動物に対する以上の、クリアーな意識状態になること」が必要だ。自分のわずかなブレも大きく響く。
野生生物の気分や感情を感じ取ることは比較的容易だが、相互のコミュニケーションと呼べるやりとりとなると、これが必須だ。

人間と暮らしている動物たちが「人間側」に歩み寄ってコミュニケートしてくれているのに対し、野生生物はほとんどの場合、そうではない。
だからこそ、彼らと意思疎通するには人間の「枠組み」を透明にしなければならないし、より繊細な感受性が必要になる。

人間はなぜ、他生物の思いを受け取れなくなったのか

先程、人間が他生物とコミュニケートできていた時代もあったということにふれたが、ではなぜ、ほとんどの人間は他生物の思いを受け取れなくなったのだろうか。
ここにははっきりとした理由がある。とても大切なことなので、
「私は他生物と意思疎通したい。その意欲があるのに、うまくいかない」と感じたことがある人は、必ず理解しよう。

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