現象に意味を見出したくなるときに覚えておくこと【現実創造】

「あなたの望みは自動的に叶い、人生は善、それも最善をベースに動いている」――人間の概念を用いて事象の本質を「表現するならば」これは正しいのだが、私たちは「思い」を分裂させ、複雑さを装い、その状態を好む傾向があるので、この表現にも様々な思い・知覚の角度を考慮した解説が必要だろう。

まず、ここで「あなたの望み」と表現した部分には、あなたの人生における本当の望み、いわば魂の望みという意味が該当する。
しかし、実はあなたという存在は「ひとつ」であり分裂しておらず、魂の、とか表層上の、とか自己を分けて呼ぶときには自身の内の分裂、これが自分だとあなたが信じている自己イメージ(思いで作り出している別な自分)の想定がある。現実を「体験」している私たちにとっては、その自己イメージが自分の人生上の事実になり得るのだ。

次に、「自動的に叶い」の部分だが、これには解説は要らない。そのままだ。あなたがあえて取り消したり邪魔をしたりする意図がなければ、本心の望みはただ叶う。

そして、「人生は善、それも最善をベースに動いている」の部分。
私たちは二元的な概念のもとに物事を理解しているので、善という言葉で表現するのがふさわしいのだが、少し補足が必要だ。
事象の本質には明らかに、人間が信じているような「悪意」は存在しない。悪がないならば善もないのでは? と思うかもしれないが、人間の知覚で受け取ると「よろこび」や「感謝」などに該当する性質が存在しており、その働きを言葉で表現するなら「善」が当てはまるというわけだ。
さらに言えば、あなたの人生では常にそのときのあなたが選んだ中で起こり得る「最善」が形になっている。あることが、体験しているあなたにとって最悪に感じられ、後々振り返ってもやはりあれは最悪だったと思うようなときですらそうなのだ。断片にフォーカスするのではなく全体を見る視点からは、「そういうことか! 事象はなんて親切なんだ」とわかる。
ただし、「常にそのときのあなたが選んだ中で」と書いたように、あなたには他の選択肢があらかじめ何もなく、その事象、現実の経験だけが「必然」だったというわけではない。思い出してほしいのは、あなたが選択するのはまず「内」でだということだ。

すなわち、どんな事象を体験するか、現実にするかという選択を行ったのもあなたなら、その体験に対する反応や解釈、意味付けをするのもあなた。
創造における、私たちの体験上の、この二段階を覚えていてほしい。
あなたという創造者は自身の内を外に見るサイクルの中で「常に」創造をしており、その点で、自分の作り出したものを体験することによって内を自覚し、自分の状態を意図的に変える・「選び直す」機会があるということだ。

現象に意味を見出したくなるときに覚えておくこと

創造者としてのこうした理解が定着すると、あなたの経験するあらゆる現象に「自分の望みに沿った(あなたにとって有益な)意味付けをしたい!」と思うかもしれない。
意味のありかを現象に付属するものとしてでなく、自分の内に戻すという点ではこの姿勢は正しい。
と同時に思い出してほしいのは、あなたがうわべだけ「こう意味付けしよう」と決めて自分が信じたい意味を物事に与えたとしても、腹の底ではまったく別のことを強く信じていたら、あるいは望んでいたら、そちらこそがあなたの「本当に効果を持つ意味付け」になるということだ。

そもそも創造者の内に「意味、元となる概念」が存在していなければ、体験は無い。だからあなたは気づいていようといまいと内にある何らかの意味を「形にして」体験しているのだが、この認識が深まると物事のひとつひとつに対し「あなたが自覚して行う意図的な、細かい具体的な意味付け」は要らないとわかるのだ。
「意識的に生きよう!」としていた人の中にはこう聞くと拍子抜けする人がいるかもしれないが、以下を知っていれば肩の荷が下りたように楽になるだろうし、ではあなたが唯一「決断する」必要があることとは何なのかが明快になるだろう。

物事にそれぞれ「具体的」意味を考え出し、思いついた意味を割り振ることが創造なのではなく、あなたが覚えておくことは、

ここから先は

1,715字

¥ 1,100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?