インスピレーション優先型?リズム重視のルーティーン型?【固定化した守りを崩す】

時間と場所というルールに従ってみせるこの世において、はたと、「これはどちらに合わせる?」と迷ってしまうことがある。
どちら、というのは「インスピレーション」「事前に定める予定や約束」との間でだ。
スピリチュアリティーに沿った活動や生き方を長年実践している私は、基本は自然にしていても「インスピレーション優先型」なのだが、そうはいっても他者や社会的状況に合わせての調整は必要だと受け入れて生きてきた。

つまり、自分ひとりの状況においては「型」を先に定めることを好まず、今となってはあえてそうすることがまずない。生活習慣においてもそうだ。
自分の生活上「自然とこうなった」というルーティーンのようなものができても、そのときどきの気分で変更するし、守らなければならない型にはしない。

そんな私でも考慮するのが、冒頭で引き合いに出したケース。
他者や社会の状況と都合が関わってくる場合だ。

たとえば誰かに会いたいとしよう。
「あの人に会おう」そう思いついて、心に任せてあるところへ出かけると、その人にちょうどよく会える。
これが「シンクロニシティー」の世界だが、現状、これを百パーセント実施している人はそうそういないのではないだろうか。

現状は、誰かと会うには事前に予定を合わせて日時を決めたり、どこかで何かのサービスを受けるためには予約を入れたりする。
私自身の仕事においても、講座や個人セッションではそうしてきたし(個人セッションはすでに終了)、講座なら、会場を早めに借りるなどの「見込みで動く」スケジュール決定も必要だった。
こうして「予定を立てる」ことは当たり前という考えになじんで、私たちは生きている。

とはいえ、そんな現実も変化してきて、インスピレーションに従いやすい形になっているのが現代社会だ。
たとえばインターネットやテクノロジーの普及によって、「思いついたそのときに」何かを実現できるハードルは格段に低くなった。

私も自分の目的に沿ってその恩恵を感じているひとりだが、中でも利用法についてまだ考えあぐねているのが「ライブ配信」である。

ライブ配信の「メリット」はどこまで?

私は2023年の3月からライブ配信を始めて、週2回ペースに固定してそろそろ4ヶ月が経とうとしている。
(アーカイブは、私のYouTubeチャンネル「地球生活ひと休みカフェ」から再生できる。ライブ参加は私のツイキャスからどうぞ。)

ライブ配信は、ひとり語りを録音し公開するのと違って、リスナーの人たちと交流できるのが魅力。
もらったコメントを読む形とはいえリアルタイムでやりとりしているので、据え置きのサイト上でコメントを見る、メールをもらう、などとは違って直にその場で会話ができる。

また、イベント開催時のように事前に申し込みの手続きをしてもらわなくても、そのとき参加できる人に各々の場所からオンライン上で集まってもらえるのがいいところで、様々な負荷を軽減できる便利な形態だと私は感じている。

そんなわけでライブ配信は楽しんでいるのだが、私が考えあぐねているのは、この「自由度」をどこまで享受してメリットにできるのかという部分。

定期配信(リズム重視のルーティーン型)で実感したメリット

大勢に動向をウォッチされているような著名人ならば話は違ってくるが、私の場合「完全に自分のインスピレーション次第で不定期な配信」をしたならば、リスナーを集められるのかどうかは疑問だった。
そこで、「曜日と時間を指定する」ことで覚えてもらう形をとってきた。

これはリズムを作るという点で私自身にも良い効果があった。
普段がインスピレーション優先型の私としては、「今日は話すことはないかも……」という日でも日程のルールに従ってライブをすることに元々は疑問を持っていた。
けれども、ライブを開始してマイクに向かうと話が出てくるという体験もあって、リズム、ルーティーンを作ることのメリットを感じることができた。

都合がつかないときはライブ自体を休む、または別の日に変えることもあるが、週2回の決まった曜日(水曜と土曜の21時半から)というリズムが定着することは、自分にもプラスになっていると感じていたのだ。
それは、発信する姿勢が定着するとも言えて、きっと「毎日ブログを書く」などを自分に課している人も、こうした姿勢面でのメリットを感じているのかもしれないなと思った。

その反面、私が自覚した「しかし、どうかな」という点もある。

やりたいときは連続でもやりたく、何もないときは何もない

あくまでこれは、「リスナーがいると想定しての話」なのだ。
そう、冒頭で述べた、他者や社会の都合を考慮しての形態だ。
もしこれが私ひとりの行為なら……つまり、こうして記事を書くのと同じようにひとりの作業の観点に絞って見つめるなら……定期配信のメリット、「リズムの恩恵」は実はそこまで感じていない。

「人との待ち合わせ」があるからこそ、曜日と時間は決めておくね、としているだけで、それが無ければやはりインスピレーション次第で配信する方が私の最大限を発揮でき、性にも合っているだろう。

自分自身の自然な様子を見ていると、話したいことがあるときはたとえ何日か連続になってでも配信するだろうし、何もなければその間は配信をしなくなるに違いない。
これが果たして他者(この場合はリスナー)とのコンビネーションを考えたときにどうなのか、ということだ。自分の活動を制限することになるのか、拡大することになるのか。

すべてをシンクロニシティーに任せられますか?

不定期にライブをすることがすべてのリスナーの都合と調和しないとは限らず、むしろ、その方が別な形でうまくいくことだってあるかもしれない。
ただ、現状の私の観念からは「インスピレーション次第で配信日時を決めていたら、自分の望むようなライブ(リスナーの集まり具合だけでなく、ライブの質を含む)は実現できなくなるだろう」との想像をしているのだ。

これについて「考え直す必要があるかもな」と、どことなく思いが浮上していたのが今日だった。もっと自由度を上げてもいいのかもしれないと。
そして、これは「ライブの質」と先に表現した、内容に関係することとしても吟味していた。
私は広がる方向へ行っているのか、収縮する方向へ行っているのか、と。

ヴィジョンとインスピレーション、「守り」の思考を乗り越えること

なぜなら、そもそも、

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