オモテで語る、ウラ話【芸術家・学者成分濃いめの者が、講座を開催し続けて気づいたこと】

これは私が講師として教える講座を5年弱の期間開き続けて気づいたことを、タイトル通り独自の視点からシェアする記事だ。
講座そのものを「表舞台」とすると、その「裏」となる合間の日々に考えていたことも書くので、洒落で「裏話」とした。
講座は私の活動の中では比較的近年になってから始めたものだったが、今年の11月末をもって思うところあり、会場で行う形式の講座にはひと区切りをつけた(最近はオンライン講座も行っており、そちらは別の扱い)。

私たち人間は多面体で、自分の個性の中に色々な側面を持っている。あなたがへヴィーに活用している側面もあれば、ほとんど引っ込んでいてひっそり存在している側面もあるだろう。意識的にせよ無意識的にせよ、携わる活動や仕事ごとにそれらを使い分けているのではないだろうか。
この観点から私が気づいたことを挙げながら、「社会的活動の中で作られた一側面」にあなたが重心をかけすぎていないかも、問いかける。

それから、先にひとつ述べておきたいのは、私の教える内容、霊的な目覚めや悟りと呼ばれる(悟りという言葉は何かの終わりをイメージされがちで、あまり好みではないが)経験を「基盤」とする姿勢についてだ。
こうした内容を教えるときに避けられない、ある特徴がある。知識を積んでもらうだけでは意味がなくなっていくのだ。ある地点まで導くことはできても、「本人の経験」を伴わない限り学んだことにならない。また、同じ基盤を共有していなければ、その先を語ることもできない。「自分では経験していないからわからないけど、そうなのかな」という受け取り方に終始してしまうからだ。

講座の現場では、ある内容が受講者に本当に伝わっているときと、本当には理解されていないときとの違いがよくわかる。たとえば、初回から継続してほとんど全ての講座を受講してくださった方々であっても、なじみの概念が必ずしも「体験として腑に落ちている」とは言い難い場合もある。
いつか別の記事で説明したいのだが、私が扱っている内容は、一定の条件が揃わなければおそらく「本気で」学ぶことができない。その意味では、理解の進度や時機を私の方で何とかすることはできない。

その上、講座は「ライブ」や「消え物」のようなものだ。繰り返し同じ授業をすることが苦にならない人は別として、変化していきたい私は各回に違うテーマを設定するので、それぞれに意義あるものが「時間・空間」を指定した形で行われ、終了するということに、徐々に消耗感が出始めていた。
現状、私にとってこれらを解決してくれるのが「書いて提供する」方法だ。文章として出せば、時間や空間の制限を気にしなくていい。私の公開日時に限定せずとも、ある人にとっての「ちょうどいい時」に読んでもらうことが可能だ。読み返すということもできる。それに、物理的に直接会えないような人にも読んでもらうことができる。

約8年半前に現在のブログを開設し、書くことを第一目的に据えていた頃と同じ考えに戻ったとも言えるが、
☆関連記事◆「新しい幕のはじまり、はじまり~!」
その頃と今とでは当然私も変化しているし、違う意図、違う姿勢を持って書いている。

私が講座を開催するようになった理由

面白いもので、私は子どもの頃から一度も「先生」になりたいと思ったことがない。小中学生頃からちらほら「将来先生になりたい!」と、教職につくことを夢見る子たちがクラスにいたが、私は全くそう思わなかった。むしろそれを希望する人の気持ちがわからず、人それぞれだなぁと思ったものだ。
かといって、教えることが嫌いだというわけではない。「教えること」と「先生という職業」は私の中でイコールではない。

そんな私のキャラクターを総合的に見ると、芸術家や学者・研究者的な気質がかなりの割合あって、ひとりで黙々と自分好みの探求をし、理解を深めること自体が楽しいという一面がある。放っておいても自発的にそういうことをしており、ワクワクしている。だから、それらの内容を他者にシェアするかどうか、仕事などの「形」にするかしないかは、後から生まれてくることなのだ。

講座を行うようになったきっかけは、その頃は「文字だけで教えること」のもどかしさを感じていたからだった。
ブログで「書いて伝える」ことをする中で、当時はコメント欄でのやりとりも大切にしており、記事への質問が入ると丁寧に答えたり、次の記事で取り上げたりもしていた。これは個人セッションとの線引きが難しいため、後に廃止したが。

発信する以上は、受け手にゆだねず、自分の本意を説明し、わかるまで教えたいという気持ちがあった(今はそうとは思っていない)。
つまり、教える情熱があって、教えたい内容もあって、講座をしない理由はなかった。ただし、私はある観念(Belief)を持っていたのである。

仕事の「パートナー」が必要だと思っていた頃

講座を始めたいなぁと思いながらも、それには一緒に開催するパートナーが必要だと、ある時期まで私は信じていた。
しかも、「公私ともにパートナー」という形だといいなと願っていた。
そう、前回の◆「恋愛で起こる投影。あなたの要素を相手に見ていること、その戻し方。」の中で述べた内容は、過去の私に当てはまる。自分だけでは理想の仕事を実現する力が十分ではないと信じていたのだ。
その観念からはとっくに抜けたが、今でも恋愛中はどんな投影が起きているかを観察するようにしている(恋愛や人間関係に興味がある方は、上記記事をおすすめするよ!)。

教えることに不安はなく、人前で話すことも得意だったが、私はイベントの「企画」が嫌いだった。だからその部分を誰かに任せたかったし、そうしたサービスや会社に「属す」ということを考えた時期もある(それはブログを始めた頃よりももっと昔の話だけど)。
一方で、私は過去の一時期、精神世界系講師の講座やワークショップを開催する複数の会社に勤めていたことがあり、沢山のそうした講座を見て、経験していたという点も書いておく必要があるだろう。企画が仕事に含まれることはもちろんだが、講師と交流し、親身になって立場を理解しつつも、現場では参加者のこともよく見て全体を改善していくという役割を担っていたため、講座の開催にまつわる一連の作業は、板についていた。こうした仕事に適した仮面(活用可能な自分の一側面)が、すでに出来上がっていたのだ。
(ただし言うまでもなく、私の行う講座の「中身」は私独自のものだよ。)

やがて自己を見つめていくうちに、仕事をサポートしてくれるパートナーが必要だという幻想は消えて、自ら講座を開催するようになったのだが。
講座を始めたこと自体は本当に楽しかったが、やはり「元々好きではないと自覚していること」をこなす部分はわずかずつ蓄積するストレスになってはいた。
かといって人を雇いたいとか、誰かに手伝ってほしいとか思っていたわけでもなく、「自分のやりたいことを実現するために必要な作業の一環」として淡々と受け入れていたのである。

なお、今では、私の仕事にパートナーは必要としていない。
というよりも、もし以前考えていたように自分のプライベートのパートナーがそこに関わろうとしてきたら、拒否する気がする。
私はかなり「自由」を求める人間で、自分の好きなようにやりたいからだ。

社会的に身に付けた自己の一側面に重点を置きすぎると……

そうして2015年2月から開催を続けた私の講座は、開始して5年弱、途中、活動エリアが変わって会場探し等で開催を休んだ期間もあったが、おおよそ月1のペースで(正確には年間で振り返るとそれより少ない)続けていたので、その間ずっと何らかの形で常に講座のことは頭にあったと言える。

一般的な職業としての「講師」や「講座で教え続ける人」と、自分はタイプが違うのかもしれないと感じることが多々あった。もちろん、講師にも様々な人がいるのは確かなのだが。
まず、その特色に当てはめてみてどうかなと思ったのが、「同じことを繰り返し扱う」のが好きになれないという点だ。
これは、私が外国人の精神世界系セラピストのアシスタントをしていた頃、毎年同シーズンに来日して、一通り同じ講座を教える活動が十年以上繰り返されていたので(私がアシスタントを務めたのはその全部の期間ではないが)、「ずっと同じセラピスト養成講座を続けることは、苦にならないか」を本人に尋ねてみたところ、全く苦にならないという答えを聞いていた。
だから向き不向きがあると思ったのだ。私はといえば、アシスタントをしているだけでも繰り返しにだんだん飽きてきてしまっていた。

最初から自分の講座テーマは毎回違うものに決めていたのだが、そうすると前述の「消耗感」が生まれてきたこともあって、「この内容なら何度も扱える。同じテーマの中で、その都度色々にアレンジできる」と思うものだけを厳選して、「定期開催」にするという試みも実行した。

けれども、企画し、会場を借り、講座を開催し続けている自分、その一連の活動に必要な自己の「一側面」に継続的に重点が置かれた結果、「芸術家や学者成分濃いめの自己」が不自由さを感じていることがわかってきた。
これは、少しずつじわじわと飽和状態に近づいていたのが、ある日突然一気にあふれ出すという形で驚きとともに自覚した。
私がそうした活動ができるのは、元々自分が得意である「人前で話す」とか「人に教える」という要素以外は、過去の経験による「仕事(社会的活動)の中で作られた仮面」を取り入れてのことだったので、その側面を使うこと自体が早い話、負荷をかけていると気づいたのだ。

ひとりきりの自発的な関心だけに絞ると、マニアックかもしれないがもっと深めつつある進路があって、しかしそれには「受け手」がなかなか存在するように思えないという観念に捕まっていた。少なくとも、自分が講座をしてきた手ごたえでは、そうだと思っていた。
すると、「講座が開催できるだけでもありがたい、学びたいと来てくださる人がいることがありがたい」という思いにのまれ、それを手放してまで自分の興味にストイックになるのは「違う」と思っていたのである。

そんな中で、「先に」転機が訪れた。

書くこととスピリチュアリティーへの愛は、私の表現として融合できると気づく

これまでの私のnoteを読んでくださった方は、ぴんと来るかもしれない。
そう、この2019年の夏、私はどういうわけか書くことにフォーカスしようと決意した。機が熟して、それ以外にない感じだった。

それまで「過去のことと片付けていた」ずっと昔からあったヴィジョンが、堰を切るように押し寄せてきて、私は書くことをどれだけ楽しんできたのかを知った。まるで呼吸をするように、それは私の一部だったのだ。
さらには、新たな気持ちで書くことを実行していくうち、
「天職や情熱には二種類ある。スピリチュアリティーに導かれた私の例」で記した「二種類」が融合することに、やっと気づいた。

私自身が「書くって、こういうことだ」、「スピリチュアルなことを教える仕事って、こういうことだ」というそれぞれに対して持っていた観念を溶かしたら、両者は私の得意分野として、ひとつになるものだったのだ。
まるで「灯台下暗し」のように、私はそれまでそのことに気づいていなかった。実質、それと同じことを長年し続けていたのに……である。

芸術家、学者成分の濃い私は、こうして自己の考えを文章に打つこと自体が楽しくてしょうがなく、はち切れんばかりのワクワクを感じている。ずっと昔、小説家と物書きをイコールと考える観念を持っていた頃と違って、「何を書こう?」と途方に暮れることもない。
そうか、これがやりたかったんだ! という気持ちである。

あなたも、少し無理して使っている一側面があったらお休みさせてみたらどうだろう?

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