すべての迷いや悩みが消える実質的な「決断」【知っている自己と知らない自己の違いを理解しよう】

どうにもこうにも、自ら戻りたくても、ある段階が終わったんだなとわかることがある。楽しくさえあったあの「学んでいた時代」よ、カムバック、と思ってもそこに戻れない。
たとえ形だけは同じことをしてみても、スカッスカッと空振りしているように以前の手応えを感じない。充実がないのだ。

ある段階からの卒業は、本人にとって喜ばしいとばかりは言えない。
なぜなら、もれなく新しい世界に飛び込むことになり、それを拒否すれば「どっちつかず」になるからだ。戻ることはできず進むしかないのに、進むことを何とかして自分自身が阻止するという「努力」はいつまでもつだろうか。

目新しいことを学んでいるうちは楽しい。わからなかったことがわかるようになるまでは渇望に似た「引き」がある。けれども、学んでいたことを理解し、それが定着すれば「日常」になる。

では、本当はもう定着の段階に来ているのに、それを認めることを拒否して「学びが終わっていないふり」をし続けたら……どうなるか想像がつくだろうか?

原理・法則そのものを学ぶ時期は必ず終わる

たとえば公式を覚えたら、目的に沿って公式を「使う」「応用する」ことを今度は練習するだろう。それと同じで、スピリチュアリティーにおいても「原理・法則」そのものをしっかり学ぶ段階は必ず終わる。
そしてスピリチュアルな観点から言えば、基盤となる「原理・法則」の数は少なくシンプルなので、なおさらだ。
はじめは、その「原理・法則」自体をわかっておらず、忘れていたのだから身につくまで徹底的に学ぶことは当然だ。

でも、その後は「それを生きる」実施や応用の段階に入ることが自然だ。

私個人の活動に関連したケースと、時について

私の場合は数年前から少しずつ、それまでの自分が力を入れていたこと、「スピリチュアリティーの基盤となる原理を学び、伝える・発信する」という意識の焦点が終わりに差しかかっていることを感じていた。
これは自分が「そうしたい」というより、「そうならざるをえない」ことで、持続させたくても終わりは来るのだ。

これについて私が解釈し誤っていたのは、「私自身がスピリチュアリティーにまつわる活動を表立って行うこと自体の終了」なのだとある時期まで考えていたことで、詳しくは今年初めの◇「すべてに効くコントローラー(2023年1月8日)」という記事内でふれている。

私にとって、スピリチュアリティーについて話す活動が終わるわけではないが、原理そのものを力を入れて説くということに関しては、終わりが訪れているのは間違いない。具体的には、基盤、骨組みを学ぶ時期は終わったし、それだけを特集する講座等を創ることは今後ないのだろうと思う。

では、なぜ今そうなったのかというと、私の人生の運び(計画)のためとも言えるし、この私の視点からは、すでにそういう時期であるということ、「集合的な変化のタイミング、時」に入っているということも言える。

こうした中で、スピリチュアリティーの基盤となる概念を真剣に学んできた自負のある人たちに伝えたいのは(自分は「ちゃんと」できているかどうかわからないから……などと否定せず、あなた自身がいかに取り組んできたかをまずは自分で認めよう!)、
「わかっていない自分にしがみつくのをやめる」ということだ。

あなたが決断する以外にそれを終わらせるタイミングは来ない。

あなたの中には、わかっている自己と、わかっていない自己がいる。
わかっていない自己にいつまでしがみつくつもりだろう?

わかっていない自己が、わかっている自己に「なる」のではない。
そのような変化は起こらない。
どちらの自己を、あなた自身の「実在」と認めるのかが、「あなたの決断」
なのだ。

別な言い方をすれば、「わからない」状態に自分を置いておくこと、迷いながら生きることも「あなたの決断」なのだ。

知っている自己と、この世においてのあなたが「知らない」ということとの両立

すべてあなた自身の「決断」だと伝えたが、これはどういうことだろう。
何よりも、素朴な疑問として、あなたがここで「知っている自己」になれば何もかもがわかるのだろうか?

いいえ、この世においてはそうではないのだ。
それでも私はここで「知っている自己」についての話を続ける。

……知っている自己? 現にこうして迷っているのに、わからないと悩んでいるのに! と途方に暮れてしまうときにも、以下のことをぜひ思い出してもらいたい。
決断とは、

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