変化の時♪ 仕事の話と、個々の現実の色合いが明確になっていくこと

書きかけのnoteが複数あるまま、自分のブログの更新や今週末の講座の準備の方へ意識フォーカスの大半が向かっていた。
そのブログの記事でお知らせとして載せたことだが、私は来年から仕事内容を変えることにしていて、今は変化の時だなと感じている。
というよりも、実は変化はもっと前から起こっていたのだが、自分自身十分に納得する前に実行することは避けていたので、今がその実行の時だということだ。

私には、かなり前から、あるヴィジョンが見えていた。
それは、自分が「ノートパソコン1つ」で仕事している姿だ。場所や時間に縛られることのないその姿は、とても自由だった。そしてそのヴィジョンの中での私の仕事内容は、「書くこと」だった。
それを素直に実行してみるまで紆余曲折、今までかかったと言ってもいい。
(ヴィジョンを信じなかったわけではなく、そのようにできるほど「本当に自分の書きたいこと」がわかるまで、時間がかかったということだ。)

書くことについての私の遍歴は、これまでのnote、特に、
「新しい幕の、はじまり、はじまり~!」と、
「妥協なく、本当にやりたいことができると信じてる?~書く楽しさの原点に私が戻るまで~」で読める。ほかにも、私のブログの過去記事を読んでくださった方は、私の人生に書くことがいつもあったことや、そこへの私の思い入れを見出すことができるだろう。

「妥協なく……」のnoteの中で、まさにそのメインテーマである、そのときの自分が本当にやりたいことを妥協なくやる、ということを述べた。
私にとってこれまで、スピリチュアルカウンセラーの仕事、それに含まれる個人セッション講座はかけがえのない、宝物のような活動だった。
私は窓口を自分のブログのみに限定していたので、ネットを介して繋がった「人」が直接会いに来てくださる、電話やスカイプでお話しすることができる、そんな機会が持てることは心からの喜びだった。

ブログ上でお知らせした通り、それらの活動の中のいくつかは徐々に閉じていき、いくつかはまだ残すことになるのだが、スピリチュアルカウンセラーの活動として、今までの形式はもう自分の中での直観的な潮時感が否めないし、この直観が当たっているのだとしたら、私は嬉しいのである。

たとえば医療のように「現代のスタンダード」とされている癒しの方法も、患者さんが通う必要がなくなることが本当の理想だろう。そのとき、従来の形に取って代わる「何かほかの」サービスが提供されることはあって良いと思う。ただ、そのサービスとは病や苦しみを癒すことではなく、喜びを増すためのものになるはずだ。

私の究極の目標はそこにある。
「セラピー」はしたくない。それは根本解決である「目覚め」までの過程にすぎず、もし目覚めが本当に起こったなら、今度は「自分が自分であることの喜びを世界に表現していく」活動になるはずだ。
そのサポートができたら、素晴らしい。

決して、「癒しの過程」を急ぎ、おろそかにすることや、それが「完璧」になるまで喜びを感じてはいけないという意味ではない。
私は誰もを、傷を持つ人間としてではなく、傷という幻想を超えた「存在」として見ることだけを実施したいのだ。

私が書くこと、現時点では主にnoteで提供していく内容は、その考えを基盤に続けていくものだ。

こうした考えに心は動いても、「それは理想論だよ……生活はどうするの」と思う方もいるかもしれない。「妥協なく」と言っても、特にあなたの生活に直結した仕事などの決断では。
私にしてもこの仕事が専業なので、仕事の比率を「書くこと」に移すことは一般的観念から言えば、リスクを伴う。
普通にしていてもどんなアップダウンがあるかは読めない中、提供する内容を絞っていく、しかも経済的に言えば単価の低いものに絞っていくことは、「現実的に」考える人にとっては「愚か」かもしれない(笑)

けれども、私はあえてそちらを選択するし、私たちの現実が「自己一致した選択をサポートしていく」ということを身をもって伝えたい。

あなたのやりたいことは変化する。ずっと同じ形を保つことはない。
なぜなら、あなたが変化しているからだ。
あなたが変化しているということは、あなたの反映である世界も絶えず変化しているのだ。

あなたの中にまだ「恐れ」がしっかり根ざしているとき、そのリアリティーをまざまざと感じているとき、私は「無理に飛ぶ」ことをおすすめしない。
なぜなら、あなたは創造者であり、自分の感情的な思い入れの強い観念を、本当に現実にするパワーを持っているからだ。

来年以降ますます、私たちの「個々の現実」の色合いは際立っていく。
かつて「サラダボウル」の中で渾然一体となっていたような「地球の現実」はフェイドアウトしていき、「誰もが共有していた」と思い込める幻想世界は薄れていき、あなたの経験する現実は、より一層、あなた自身のカラーを直に反映する現実となっていくのだ。

これは、それまで付けられていた補助輪や、安全装置としてのフィルターがなくなっていくことにも似ている。自分の光(力)に直面することになるのだが、あなたがそれをどう「解釈」するかによって、幻想であるこの現実は様々な姿を見せる。

2020年、あなたはどんな現実を選ぶ?
11月の末、まだ年の瀬には早いけれど、考え始めていいかもしれないよ。


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