火災の後、異次元で静養しているコアラたちに出会った夢

夢というのは脳内の妄想などではなく、実際に存在する異次元での体験を「普段生活している日常の仕様に無理矢理、翻訳して」記憶したものだ。
この事実に気づかなければ、私はスピリチュアルな仕事をしなかったというくらい「この世とは何かを理解するにも、夢は要」である。

幼少期から夢がとても鮮明だった私は、夢の中で様々な、この世以上に壮大で現実味のある経験を繰り返してきた。ただの夢と割り切ろうとした時期もあったのだが、そうはいかなかった。
昔、死後の世界や霊についての確信がなかった(むしろ信じていなかった)頃から、そうとは気づかずに「亡くなった後の人たち」と夢の次元で交流し、案内役までしていた。もちろん、そういうことをしている者は私だけではない。生きている人間の中にも、肉体を持たない存在の中にも、そうした手伝いをしている者たちは沢山いる。
(☆この種のエピソードにさらなる興味がある方はブログの「霊的な話」「夢、明晰夢、体外離脱」カテゴリー内の記事をどうぞ。)

こうした案内が常に必要とされるわけではない。案内をする必要が出てくるのは、亡くなったことを自覚していない人や、もっと言えば「亡くなっていることを(本当はわかっているのに)受け入れたくない理由がある人」への場合である。理由は様々だが、肉体の経験をしていた間に作った思い残しや思い込みが強いと、いわば強烈な自己催眠のような状態にある。その状態では、非物質的存在(肉体経験をしていない霊的存在)が導こうとしても反応しない。私のように「肉体を持っている者が、自分の意識を霊的次元に合わせている状態」で声をかけることで、「肉体的経験の意識状態にまだ波長が合っている、霊的存在(亡くなった人)」は反応しやすいのである。

この活動を目が覚めたまま(起きたまま)行うことも可能ではあるが、私の場合は意図してそうなっているわけではなく、眠っている間の夢の中で自然と体験してしまう現象なのだった。
また、これは生きている人間に対するセラピーやカウンセリングなどのセッションとほぼ変わりがない。ここで書いたケースのように、生きていた頃の自分自身のエネルギーに本人がまだ波長を合わせている場合は特にそうだ。亡くなった(肉体経験から意識がログアウトした)からといって、パーソナリティーはそう変わらない。

最近は夢の中のこの活動も、昔より少なくなったかなと思っていたのだが、近年は実は、亡くなった後の動物とふれあうことが増えた。
私が自然界と、地球の生物たちにはかりしれない興味と愛情をおぼえているので、それは当然のことにも思えるが、こうした体験が頻繁になるまでの私は、動物たちには亡くなった後の(人間に対するような)ケアは必要ないと考えていた。
なぜなら、人間と違って動物たちは心が分裂していないからだ。自分をごまかして「いくつもの心」を持ったり、嘘をついたりすることはない。
ところが、だ。

人間との接触によって、動物にも様々な状況が起こり得ることがわかった。
はじめの頃は野生動物よりも、人間と暮らしている動物(ペットと呼ばれるが、私はコンパニオンアニマルや家族の一員と呼ぶことを好む)と夢の世界で出会うことが多かった。
犬や猫などの、私自身は一緒に暮らしたことのない動物たちが、色々な状態でそこにいる。自身の日常的な心象風景としての夢と、こうした体験の夢との違いは、彼らを癒したり手助けしたりする活動が必ず含まれることだ。

そうした動物たちは、グループでいることも、ひとりでいることも、まれに亡くなった飼い主といることもある。亡くなった飼い主と一緒にいる場合、飼い主がまだ、既述のような「とどまっている状態」にあることが多い。

人間からの虐待を受けた動物たち、つらい思いが残った動物たち、心の休養が必要な動物たちがそこにいるようだった。癒しを手助けする方法は、エネルギー的なヒーリング、ただそばにいることなど、色々だった。

ただし、あなたが愛した動物たちについては、心配をしないでほしい。
動物たちは人間のように死を恐れることも、死をネガティブなことのように思い込むこともない。亡くなるまでの経緯はどうであれ、通常は心配は要らない。そして、彼らが亡くなった後も、愛の絆はなくならない。

亡くなった後の動物たちとの交流に話を戻すと、人間の場合と同様、これらは私の自覚している意識コントロール下にある体験ではなく、私が「起きている間の活動」ともあまり関連性がないのだ。
いつ、そうした夢の体験が訪れるか、どんな相手と出会うのかを予測したり、表層の意識で意図したりしているわけではない。

ただ、昨年の12月9日◆「自分の心を修正し、住みたい地球へ移行しよう」というnoteで言及したコアラたちの状況は、昨年から引き続きニュースになっていたので、その日以降私が自ら情報を調べることはしなかったけれども心の片隅にはあったのだろう。

一昨日の夢の中で、私は火災後と思われるコアラたちが静養している場所にいた。
それは、この世の「場所」ではなかった。

水の上を流れてくるコアラたち

その日も色々な夢を見ており、動物たちとは全く関係のない別の夢の体験も数多くあった(誰でも、一日に見る夢の数はひとつだけではない)。
けれども、とても印象的なコアラの夢があった。以下はその内容である。

私は気づくと、動物園のようなところにいた。
動物園といっても、現在地上にあるような動物を閉じ込める施設ではなく、様々な種類の動物たちを保護するための施設だった。
施設ではあるけれど、野外の風景だ。

私は、柵のある広めのスペースの中に立っていたが、そこは腰くらいまでの位置の水で満ちていた。水といっても冷たさは感じない。そして、川のように流れがある。

ゆるやかなカーブを描いてそのエリアを仕切るように設けてある柵を、私は手すりにしてつかまり、外を眺めていた。すると、私の立っているすぐそば(柵の内側)の私のいるところに向かって、さほど大きくない丸い籠が次々と流れてきた。

見ると、水上に浮かぶその籠にはコアラが一頭ずつすっぽりと入っている。
ひとつの籠に、一頭ずつ。屋根や蓋はない。

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