自分だけの自分という時期が終わる

Seasons change. 人間の心の季節も変わる。
変化に抵抗しなければ、それは自然と起こることだ。

私が近頃感じていたのは、「自分だけの自分」という時期が終わったのだということだった。
これを、錯覚に没頭する時期が終わったと言い換えることができる。
本来はいつでも、誰にとっても、「孤立した個、自分だけの自分がいる」というのは幻想で、私たちがそう信じるとき、実在している基盤を忘れて錯覚のもとで生きている。

私たちが互いに「切り離された個」ではないと気づくと、エゴは脅威を感じて不安になり、大反抗をする。その概念を否定しようとする(否定するためには何だってする!)。
というのも、エゴ「分離していることを前提にした観念」なので、分離が幻想であると認めると、エゴが幻想であることも認めることになってしまうからだ。

ここで改めて解説すれば、私が言っているエゴとは、個としての活動が可能な「存在・スピリットのパーソナリティ」のことではなくて、その中に作られた「偽物の自己」のことだ。恐れによって自己を源から切り離し、自と他を別々のものだと信じる働きをする。

あなたがこの意味での「エゴ」をなくしても、個人として機能できなくなるわけではない。むしろ、あなたに備わっている個性を純粋に発揮しながら、自分自身として生きる充実をこれまで以上に感じられるだろう。

「自分だけの自分」は思い込みだと完全に気づくと、その観念に基づく考えや発想すべてが意味をなさなくなる。あなたの人生に、もはやそれらを採用しなくなる。
けれども、そうなるまでの間エゴは、他者および森羅万象と「ひとつであること」を「自己犠牲」に繋げて考え、危険視する。
――自分はどうなるの? 私の幸せは? 安らぎは? 
そう心配し、被害者にならないよう警戒し、「自分だけの自分」を守るべくバリケードを築くのだ。

だから、あなたのエゴの観念がリアルである間は、道徳観念として「利他的になろう」とか、従うべきルールとして「博愛主義になろう」とかを自己に強制しないことをおすすめする。
無理にそうすると、あなた自身の分裂の度合いが強まり、結果としてエゴの勢いが増すからだ。
それよりは、現状の等身大の気持ちに正直であること、その様子をしっかり自分自身で見つめることを実行しよう。罪悪感なしに。

すると、結果としてあなたは統合されていき、思い込みの自己(エゴ)ではなく、ひとつの自己とは何かが真に、自然に、わかるだろう。
それは常に「在る」からだ。

ここから先は近頃の私が、「自分だけの自分」の終了と新しい始まりをどのように体験していたかを語る。

ゆるやかに継続的に進んだ、自分だけの自分の終わり

正直言って、もう何年間もかけてゆるやかに「自分だけの自分」の終わりに向かっていることは感じていた。

この流れを人生の上に投影し、世俗的に捉えると、今年のはじめに◆「家族がNext Stageに入ること」で書いたようなアイディアになるのだと思う。
つまり、人間としての自分の人生段階が変化していて、次に何か新しい要素が物理的に現れるだろうという発想だ。

それも間違っているわけではないけれど、原因ではなく結果を見ている。
原因は、物理的現実に表現される前の、内的な本質のことだ。

また、同じく世俗的な意味で言うなら、仕事面ではセッション(個人でお話しするスピリチュアルカウンセリングなど。現在は終了)をしていたときの方が、物理的に人と関わっているという点で、「自分だけの自分」ではない活動だったかのようにも思える。

けれども、私の内はそういう「形」のレベルで判断できるものではない、「自分だけの自分であることの終了」に向かっていた。
そして、その終了が完遂されたとわかったのは、つい最近だったのだ。

少しずつ高まっていたものが飽和状態を迎え、不動になった。
それが今だった。

夢に表れた合図と、インターバルの5日間

「自分だけの自分の終わり」に気づく最後の現象は、5日間、ちょうど今朝まで「夢を見ない」という、私にはイレギュラーすぎるものだった。

他の記事も読んでくださった方はご存知の通り、私は眠っている間の夢から多くの情報を得ているし、そこでの活動の意義をよく知っている。
それに、生まれてこの方、5日間も連続で夢を見ないことなど経験したことはなかったと思う。「夢を見ない」というのは通常「記憶していないだけ」なのだが、今回の私は眠ること自体に異変があった。

突如として極端なショートスリーパーになってしまったのだ。
ごく短い時間の眠りでも鮮明に夢を見ることはあるものだが、それもなかった。完全な空白。

眠りのサイクルの変動はよくあることなので、数日は何とも思わなかったが、日数が増すにつれ「尋常じゃないな」と思った。

自分がショートスリーパーになることはまずあるまい……と思っていたのに。ただし睡眠時間が短くても、この期間は元気だった。
さらには、起きて活動している間の心も静かだったのだ。
不思議なほど、まったく揺らがない静寂の状態が続く。

とはいえ、もし、今後もこのような状態で生きるとすると、
1.時間が余る。
……これまで睡眠に回していた時間分を、どう過ごすんだろう?

2.意識の新しい使い方を学ばなきゃいけないかも。
……私は夢で多次元の経験をするのが常だったので、眠らずに同じ質の活動をしたり、情報を得たりするためには、「起きたままで」同等のことをする方法をマスターする必要がありそうだ。

意識的に自分のフォーカスを変えること――意識の焦点(周波数)を調節することでそれは可能になるし、誰しもある程度、日常でそれを行っているものだが、これまで眠っている間に行っていた分をカバーするほどの実りある活動が、それでできるのだろうか。
少なくとも私には、新しい訓練が授けられることになるだろう。

この2点についてはどうなるのかなと思いながら、一方で静かな不動の心で過ごした5日間。
表層の自分はそうなるとも知らずに、この5日間のインターバルに入る前の最後の夢で見ていた内容とは、振り返ると、あからさまに「浄化」「終了」を告げるシンボルだらけだった。

それを思えば、眠りそのものが少ないインターバルの間、自分の知覚できていない意識の領域で確実に何かが進行中であることを理解した。
浄化され、終了し、新しい何かが始まるところ。

そして今朝、やっと、ほぼ普通に眠れて夢を見たのだ。

5日ぶりの夢の中で、私は繰り返しある単語を口にしていた。
色んなストーリーの夢があったのに、全部の異なる夢の中で自分がその単語を口にしていて、あまりのアピール力に笑った!
単語自体も、何を象徴しているのかをはっきり示していた。

聞くだけで意味のわかるその単語とは、

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