何をやりたいかよりも、どんな内的状態でありたいか【あなたの価値について】

「自分らしく」「個性を生かして」などの言葉をよく聞くようになり、たとえば子どもに対する大人の姿勢も「本人の好きなことをやらせてあげたい」「興味のあることをサポートしたい」という風に変わってきて久しいように思う。
かつてよりも「これを目指すべき」「これが成功」というモデルが固定されず自由が広がったかのような側面はありつつ、一方で「私のやりたいことは何だろう?」「自分らしさって?」と悩む人も出ているのではないだろうか。あるいは「これだ!」と強く思うことがあったのに、やってみたら違ったとか、ひとつのことをずっと続けることができなかった自分に落胆してしまうとか。

提示されている「型」の種類はブームとともに変わるけれど、生き方に対して何らかの「型」が提示されていること自体は変わらないと思う。それらを採用するかどうかはあなた次第だが、それらがあくまで「型」であり、あなたに(あるいはあなたの期待する誰かに)適合するとは限らないのだ。
例を挙げれば、人生の最後の瞬間に「ああ、結果として私はずっとこのことをやり続けたんだな」と気づく分野が存在してもいいが、先に「このことを生涯やり続けよう」とひとつの分野なり職業や活動なりに絞るのは、多くの場合不自然だろう。まれに、本人が早い段階で特定の何かへ集中的に焦点を絞り、そのまま邁進する一生を送ることもあるが。

子どもの頃に好きだったこと、得意だったこと、またはとても興味を持っていたことが大人になってからの活動の「ヒント」になるということは確かにあるが、そこに固執するのもおかしなものだ。過去ではなく、常に今の自分を見つめることの方が大切だからだ。私たちは変化する存在であり、あなたにもそんな経験があるかもしれないが、何年か前に夢中だったことに今は一切興味が無いということも起こる。やり切って満足したので、あるいは思いが消化できたので、それ以上の関心が生じないということだってある。

何者かになりたいという思いは、何者でもないという思いとセットだ。
「もっと本気を出せるはず」「まだ何も成し遂げていない」と思う背景に、今の自分を認めていないというれっきとした原因がある。自分には何かが足りない、十分でないと信じている。
でも、本当にそうなのだろうか? その考えこそが、欠乏の気持ちに自己を追いやる「罠」ではないだろうか。
そしてまた、自分に対してそういった考えを抱いていると、他者に対しても同じその見方を当てはめがちだ。

DoとBeのどちらに先に価値を置くか

ここで大切なのは、私たちは行動を含め「目に見えるもの」に価値を置き、それこそが「現実」であると思い込む習性があると気づくことだ。
あなたの幸福や充実を決めるのは、実際は、内でのあり方(Be)だ。
どんな行動や条件を実現したとしても、あなたが心の内では満足せずに不幸だということはある。

この明らかな事実を忘れてしまうと、「何をする(Do)か」「どうすれば(Do)よいか」ばかりをまず、考えるようになる。自分が「今」どんな心の状態にあるかという内の感覚を、行動することや環境・状況の変化という外的要因によって解決できると夢想するのだ。

――この夢想を打破することがとても重要だ。なぜなら、

ここから先は

2,230字

¥ 950

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?