思うように動けないと思い込んでいる人へ

私たちが自分の人生を変えたいとか暮らしを変えたい、もっと言えば世界を変えたい……なんて思ったとき、「普通」に考えれば物理的な方法や計画に思いを馳せるかもしれない。
つまり、「何をしよう」「どうしよう」「どこに行こう」などだ。
何もしない、どうもしない、どこにも行かないで何かが変わるなんて、そんなことあるものか、それじゃあ何も始まらないさ! というのが、現代人の「通常慣れ親しんだ」発想と言える。

この延長上にはとにかくがむしゃらに「行動することが善」という価値観もあり、とにかくやってみなけりゃ! Give it a try! とばかりに、果敢に行動する者は少なくとも「何かをやっている」ということで賞賛される。考えているより動け! ということだ。
文化にもよるが、何もしないではいられない(常に何かしている)という人を日本では活動的な人、さらには「勤勉な人」と見なすことも多い。
勤勉さはほめ言葉であり、その前提からすれば「忙しさ」は勲章なのだ。

ところで、行動へ移すことそのものについてである。
考えるより先に体が動いちゃうんだ、という「外向き」タイプの人はそれが苦にならず自然に感じられる場合もあるが、「内向き」タイプの人にはそうすることがなかなか難しい。もちろん、人生の中で外向き・内向きの傾向は変化もするので、「以前はパッと動けたんだけどねぇ……」と、妙に内向きになった自分を残念に思う人もいるかもしれない。
けれども元来、どちらがいいわけでも悪いわけでもないし、場合によっては「動く選択だけでなく、動かない選択もできるようになった」という進歩であることもある。

自分の中の何かが一致するまで、これだ! と思えるまで、どうしても体が動かないというのはある意味、祝福である。
もちろん、「恐れによって一歩も動けない、本当は進みたいのに前にも後ろにも行けない」という拮抗状態になっていることもあるけれど、「動かないように見える状態」には、ほかの理由もある。

動物たちを見てごらん。
多くの時間をごろっと横になって過ごしたりしているけれど、必要なときにはパッと俊敏に動く。怠けているわけじゃないのだ。

行動をするのと同じく大切な「行動をしないこと」

先に言ってしまうと、私たちは「何もしてないように見えるとき」ですら、何かを絶え間なく生み出している。創造の作業に本当の意味での中断はないのだ。

もの思うこと、あるいはあなたが自覚していない意識活動を含めて、あなたは常に「在る者(=万物の源)の活動要素」として存在している。
こう理解してもらってもいい——あなたは何かを経験している。眠っているときですら。

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