自己を知ることの真の意味と、あなたに伴う地球

「汝自身を知れ」。これを「個人の私」の発想で解釈していると、真の意味を理解することはできない。
あなたが、「肉体に属し、命を終えたら存在しなくなるのが自己である」と信じているのなら、その観点からの「私」を知るということの範疇はとても狭い。たとえその前提からであっても「私を知ろう」とすることは、あなたのパーソナリティーへの理解をもたらすだろうけれども。

ポイントは「私」とは何かということだ。

これを本当に認識している者にとっては、「汝自身を知れ」の意味の深さは自明である。

あなた自身が解かない謎、自分のことなのにわかっていないかもしれないこと

固有の人間として生き、「この世界の一員」であると信じている間のあなたは、あなた自身のことをほとんど何もわかっていない。

あなたは、あなたがどこからやってきたか知っているだろうか。
そして、どこへいくのか、わかっているだろうか。

より高い観点からは、どこからも「来てない」し、どこにも「行かない」と説明できるが、それは時空を超えた視点での話だ。
まずは、時空を利用した観点からでも、それを考えたことがあるだろうか。

わりと多くの人が、それすら真剣に思い出そうとせずに生きているようだ。
そうした生き方になりやすいのは「この世界優先」の目線に固着するからで、自分という存在と肉体の命をイコールと考えれば、自分自身は有限であることが当然だ。そして自己がそのような短い期限の中での「存在」ならば確かに、難しそうなことを考えるために時間を費やすよりも、目の前の今を満足して生きることの方が有益で、最重要事項にも思えるに違いない。

しかしそれは、繰り返すが、「あなた自身のことをほとんど何も知らない、知ろうとしない」生き方なのだ。

ところで、エゴ的な「自己愛」のための「私探し」も、まず入り口としてはいい。
けれどもその段階にとどまっていると、先に書いたようにあなたの「パーソナリティーについての理解」を深めることはできるが、パーソナリティーを超えた自己への理解は訪れない。

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