人間は、幸せになるために生まれてきたわけじゃない

今回のタイトルは、「人間は、幸せに『なる』ために生まれてきたわけじゃない」と表記すると、後で述べることの理解が深まるだろう。
生まれてきた目的をどう捉えようと自由だし、そもそも、そんなこと生きているうちにわかるものなの? と思う人もいるかもしれない。

私個人の人生では、この地球体験をしていることへの疑問が繰り返し表れていたので、ここ(地球)で生き続けるにあたり、自分なりにその答えに肉迫することが不可欠な設定だった。
すると、霊的な(「存在」や「魂」としての、と言い換え可能)自己を思い出すことは必須だったのだ。
けれどもというか、だからこそというか、他者から「人生の目的は……」と語られることに興味はなかったし、たとえ聞いたとしても心に響かないものを受け入れたことはなかった。それどころか、「生きる目的」という表現も嫌っていた方であり、昔は、生きている間にそれを自覚したら意味がないのではと感じていた時期もある。

今も同じように思っているわけではないが、少なくともこの点は言える。
人から語られる内容は、本人が心底ぴんと来ない限り、言い換えると他者の言葉というきっかけを使って「自分の内から思い出す」のでない限り、ただの素通りする情報のひとつになる。
後になって、その情報が「ぴたりとはまる時に思い出され、役立つ」ことはあるのだが。

これから書く内容も、あなたの琴線にふれれば、あなた自身が内から何かを思い出した、すでにある何かを呼び起こした、ということだ。

幸せになるために生まれてきたという発想は「忘れている状態からの発想」

幸せに「なる」という発想は、自分とは何かを「忘れている状態から意味を成す考え方」だ。
これが腑に落ちれば、「幸せになるために頑張る」、「幸せの追求」という幻想のゲームからあなたは降りるだろう。

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