マミートラック心境の変化
相変わらずマミートラックを走行中です。
ずっと悲しくてつまらなくて塞ぎ込んでいましたが、ここに来て心境の変化がありました。
・仕事がないなら、課長から奪おう
・自分のできることを積極的にやろう
・とにかく動いて結果を出そう
アメージング!前向きに動くようになってきたのです。
ここまで1年半かかった
「どんな状況でも前向きに」「今しかできないこともある」「腐らず前向きに取り組んでいればちゃんと見てくれている人もいるよ」。
これらの言葉は散々聞いてきました。
でも正直、私は腐ってました。
実質異動と同じ業務内容の変化、説明のない最低評価(後に脱出も低空飛行)、止まる昇進、後輩に抜かされまくる役職、暇な日々。
保活してなんとか保育園滑り込んで、毎朝苦労して準備して、時間金体力色々やりくりして出社して、やることがこれか。
苦しくてつらくて影でよく泣いていました。
▼過去記事
■マミートラックを走りはじめて思うこと
■マミートラックの出口が見えない
【これまでのあらすじ】
商品開発、法人営業、営業企画の仕事をしていたが、産後、時短勤務で復帰したら一般事務(と営業事務)にまわされてしまったよ。昇進もストップ、仕事も少なくて干される日々。しょぼーん。
自分でもなぜこんな心境の変化が起こったのかよくわかりません。
単純に、時間が癒してくれたのかなとも思います。
そもそも、プライベートで慣れない育児と仕事との両立に追われているのに、初めてのメンバーと初めてやる仕事をする羽目になったのです。
そりゃ慣れるまで1年はかかるよな。
(育休中に所属部署が他部署と合併し、私は他部署の業務内容の方にまわされたのです。)
むしろよく、生き延びたな。
正直何度か人生終わりたいと思いました。もう子孫も残したし、みたいな。思うだけなんですけどね。
京都の放火事件もショックでした。
振り返ると、事件から3ヶ月くらいは普通じゃなかったような気がします。もしかしたら今もまだ引きずっているのかも。
本当によく生き延びたなと思います。
また、帝王切開でワンオペ期間も長く、産後7ヶ月で職場復帰したので、身体が本当に回復するまで2年ほどかかったのかもしれません。
心当たりがあるとすればこのくらいですが、とにかく前向きに取り組めるようになってきました。
よかった。
今は、組織改編のゴタゴタで課長が元私がやっていた仕事をしていたりするので、とりあえずそれを奪う。
「あれ、やりますよ」と少しずつ戻してもらっています。Win-Win。
また、昔取った杵柄で販売実績等を引っ張り出す権限を持っているので、営業マンの役に立ちそうな資料をせっせと作って渡してみたり、過去にどんなPOPやチラシを作ったかも頭に入っているので、それらを応用して販促品を作ったり。
微力かもしれないけれど、やれることを考えて、積極的に動くようになりました。
暗闇の中で感じていたこと
今なら1年半も何やってたんだろう、と思わなくもありません。
けれど、この国で女として生きることがどんなに不利か、ようやくわかった。
今のスペックで男に産まれたかった。
でもそれじゃあ不条理はそのままだし、息子に会えないんだなぁ。あかんなぁ。
東京勤務で初の育休取得者で、孤独だった。
相談窓口も人事部もなければ、復帰前の面談すらなかった。
弱者はつい口を噤んでしまうのだと知った。
この世は全然合理的にできてなかった。
不満があっても、保育園を追い出されてしまうので気軽に辞めることも出来ず、転職活動にも苦戦。そもそも日々を乗り切るので精一杯。
出口が見えない。希望が見つからない。毎日長い時間を過ごしているのに、何も楽しいことがない。まるで罰ゲームのようで、「子どもを産んじゃいけなかったんだな」と感じる場所に日々出社するのは苦痛だった。
干されて腐らずにいられるほど、私はタフではなかった。自分の弱さも、無駄なプライドの高さも、欲の強さもよぉくわかった。
ほんとうに、ただ生き延びただけで良くやった、と思うのです。
他人や自分や会社を物理的に傷つける前に、気分が変わってよかった。
なぜ気持ちが変わったのか、自分でもよくわからないけれど、このまま、いい流れを掴めたらいいな。
来年は飛躍の年にしてやる。
▼代表電話番として綴ったnoteはこちら
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