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本を読むよろこび

駅のホームで5分、10分。

時計をチラチラ眺めながらカバンの上に本を広げる。

それが私のほぼ唯一の、読書時間。

◇◇◇

とにかく子育て中の親は、時間がない。

たとえ勤務時間が短くとも、子どもを迎えたらいっときも目を離せず、眠ってくれるまで気が休まることはない。

けれど、仕事に復帰してから行き帰りにわずかな時間を持てるようになった。

大体5分から10分。

電車の遅延を見込んで少し余裕をとったぶんだ。

こんなわずかな時間といえども、喉から手が出るほど欲しい、砂漠の中の一滴の水のようなものであることは、育児中の方ならわかってくれると思う。

そしてそんな貴重な時間を、私は本を読むことに充てている。
もちろん、日によっては違うことをすることもあるけどね。

◇◇◇

本を読むというのは、やはり私にとって特別なことのようだ。

紙の上を、文字を追い、意味を追いながら目を滑らせ、脳を使うことのなんと甘美で愉快なことか!

自分の目と、思考を、目の前の本だけに集中させられる贅沢。

没頭は快楽。

先日はあまりにも楽しくて、楽しくして楽しくて、駅のホームで震えてしまった。
別に本の内容がすこぶる興味深かったわけではないのだけれど。

思えば妊娠後期から、思考がまとまらなくて本は読めなくなっていた。

産後は本を読む余裕などなかった。

意気揚々と買って積んだままの本、まともに開くこともせず返却した本のなんと多いことか。

今こうして、わずかでも本を読める体と、頭と、時間があることが、この上ない幸せである。

◇◇◇

コンテンツでは、おなかはふくれない。

生命の維持に必要不可欠なものではない。

かつて「無人島に持って行くなら何?」というベタな質問を大学の教室で受けたことがある。

教養系の様々な学科の人が集まる授業で、先生は「美術科の人は紙とペンかな?」と聞き、実際美術科の人はそう答えていた。
私はうっかり文学系の代表として「本を持って行く?」と問われてしまったのだが、正直無人島に行くならもっと実用的なものを持って行くかな、と思った。(し、そう答えた)

生命維持の見通しがたたないと落ち着いて読めそうにないし、そうでなければ燃やすか食べるかしか用途が思い浮かばなかったのだ……。

◇◇◇

しかし、生き続けるのに必要なものなのかもしれない、と思い始めた。

あるいは、私が愉快に生きていくために。

私は恋は多くなくても全然生きていけるけれど、そうでない人もいるように、本を必要としない人生だってあるだろう。

ただ私には必要だったのだ。

駅のホームのゆるやかにカーブした椅子の上で読書のよろこびに震えた時、『夜と霧』で過酷な状況の中でも人々は創作を行い、それが生きる楽しみであったことを思い出した。

泣いたなぁ、その部分を読んだ時。
体の中から何かがこみ上げるような感覚であった。

その割に詳細は覚えていないけれども、夜と霧の映像作品で実際の創作物も見たので、そういうことがあったということは強く印象に残っている。

今時読書が好きなんて、おカタい古代生物みたいだけど。
重い本を持ち歩くのもナンセンスっぽいけれど。
(なぜか私は紙の本がイイみたい。)

脳が最上の食事をしているようで最高に楽しいので。
キモチイイので。

私はやっぱり、本を読むのが好きです。

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